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プロジェクトの内容もほぼ確定し、さあこれから。

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結月でございます。

思えば、先月から忙しくしていた。いや、もう少し厳密に言えば2月からだったかもしれないが、もうあまり憶えちゃいない。

3月はずっと交渉ごとをしていて、あちらこちらに出向いたりといった忙しさではなかったけれど、確定を得るまでのモヤモヤに心のほうは憂鬱というか不安定。しかし、それもようやく決まることは決まって、いやまだ確定できていないことはあれど、プロジェクトの根幹は決まってメンタルはそこそこ落ちている。

しかし、たった2ヶ月の間に最初の構想とはまるで違ったものができあがり、自分で「こんなことになるんだー」とその変容に驚いている。

そういうのを「紆余曲折」と呼ぶのだろうか、四文字熟語はあまり知らない。ともかく、アイデアを現実に落とし込む過程で希望通りにいかないことばかりで、だからこそ別の手段を考えることで新たな発想が出てきた。結果的には当初のアイデアよりも俄然、いいものが生まれたという不思議。

であるからして、うまくいかないことが続くとその時は辛くてイライラするけれど、実はそれによって構想は深まり、おもしろいものになるのである。

と、とりあえずはようやくのことで企画の内容自体が確定し、必要最低限のハード面もかなりギリギリではあったけれど、僅差で間に合った。

でもそれはやっと企画の概要というか輪郭が決まっただけで、これから実行しなくちゃいけない。するとまたうまくいかないことにぶち当たり、どうせ頭を悩ませる。

そして、

「なんでこんなことを始めたんやろ?」

と、その大変さに自分の行為を疑うこともあり、しかしそこは自分で決めたことだと当たり前の自己責任論でやり遂げる。

とにかくゴールを目指す。一日一日を積み重ねながらゴールを目指して必ずプロジェクトは終わりを迎える。だが、終わったと思ったら、また始まる。

するとひとつひとつのプロジェクトを重ねていくと、当初は目先のことしか考えていなかったことが視野が大きくなって、今まで見えていなかったものが見えてくる。するとそこに意義みたいなものが発生する。

発端というのは意外にもコンセプトがない。コンセプトとは後からできてくるもので、最初はただ単純な欲望だったりする。

単純な欲望がそれを実現させるための手続きや実務をしていると、どうして自分がこれをやっているのかが後から湧き出てくる。それは時間を逆行して、いつしか最初からあったコンセプトのように物語る。

どうしてそれをやるのかを訊かれて、あたかもそれが最初から決めて始めたかのような話をするようになる。

コンセプトは後回しにしたほうがいいのはコンセプトを先に決めてしまうとそれに縛られて融通が利かなくなり、イメージがそれ以上広がらないから。

最初の欲望は美しくもない原石で、もしくは葡萄を足で踏み潰したワイン以前の雑な果汁なのである。どんな宝石が潜んでいるか、どんなワインができあがるかわかりやしない。

それを紆余曲折を経て、うまくいかない憂鬱にもみくちゃにされていくうちに宝石が見えてくる、葡萄酒のアルコール臭がするようになる。

しかし、そこまで辿り着けず、企画倒れになることもある。それは原石が悪かったのか、紆余曲折が厳しすぎて中に潜んでいる宝石ごと粉砕されたか、もしくはそこには最初から宝石などなかったためである。

ともかく立ち上げたプロジェクトが内容が確定するところまでたどり着けて一安心するも、まだ油断がならない。いや、終わるまで油断できない。

航海のようである。今はやっと船ができあがった段階で、これからは船出の準備。

そして、いよいよ出港すると、これがまたキツい。沈没の危機の中進んでいく。

だから、これは楽しいことなのか憂鬱なことなのか自分でもよくわからない。

しかしながら、こうして取り組んでいると人に会ったり話したりするようになるし、頭もよく使うようになる。活動的あるほうが当然人は集まってくるし、自分に艶が出てくる。

そういうモードになると、引きこもりではいけないんだなと思う。毎度それを再確認している。

それなのにプロジェクトが終わるとまた引きこもりになる。それがいけないからまたプロジェクトをやろうという気になる。

そして死に向かっている。紆余曲折なんて言いながら、死への時間は誰しも一直線に進んでいる。

だから、プロジェクトは生の消費なのだろう。

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