結月です。
わたしの中でコロナのことはずっと前に「処理済み」になって「終わっ」たものになったけど、いまだにネットに普通にアクセスすると、大きなメディアも小さなメディア(個人SNS)もコロナの話題ばかりで、一体いつまで同じようなことばかり言っているのだろう?
もう話題としては出尽くした感じがあるし、コロナウイルスがどんなものかもみんな概ねわかって、あとは製薬会社がワクチンを作るくらいなんじゃないかな。
自粛が要請されたりして、このままだと小さな企業や個人事業主がたくさん倒産したり、店を閉めたりすることもまあ確定で、多くの人が政府からお金ももらえないであろうことも確定。
あとは感染するかどうかなんてわからないし、それはなるようにしかならない。
緊急事態なんて言ったって、ウイルス自体はこれからも消滅するわけはなく、まあ夏くらいにはちょっと収束気味になってもまた秋か冬にまた流行り出すだろうから、あとは人間のほうがその存在を認めてインフルエンザみたいに慣れることで「新型」という新しいイメージがなくなってワクチンができるのを待つくらいでしょう。
政府が行う対策などもネットで必死に取り上げて批判したり、文句を言ったところで何も変わらないのは、当事者の政治家である多くの国民なんて選挙の時以外はどーでもいいっていうものでしかないってことは選挙の度に学習してることだと思うけど。
届かぬ声を必死にSNSで呟いて、よほど暇なんだろうと思う。在宅勤務でやってることはそれ?みたいなところがあるね。
しかもその個人の発信が又聞きの又聞きみたいなものの反応だったりして、怪しいものばかり。
SNSで発信できる時代には自分が偉いと勘違いしやすいんだよね。だから必死にTweetしたり、Facebookに能書き垂れたり、ヤフコメに書き込んだりと忙しくなる。
笑っちゃったのがイギリスのボリス・ジョンソンが集中治療室に入った記事に対して、
「ブレグジットも含め、いろいろお疲れだったのでしょう。お体をお大事にしてください」
なんて書き込んでる馬鹿がいて、
「いやいや、お前、ボリス・ジョンソンの知り合いでもないし、ただの名もなき日本人だろ!? そんなこと言えるのエリザベス女王くらいだし!」
と、SNSは自分が偉いという錯覚を起こしやすいメディアなんだよね。
なので、わたしはコロナのことなんか興味ないのにネットにアクセスしたらコロナの話題ばかりでウンザリしちゃったよ。まあ、みんな、似たようなことばかり呟けるもんだなって。
もう脳内コロナ感染が著しくて、悪質な新興宗教状態だよ。
マスクなんて、神社で売ってる効果なしのお守りみたいでさ。今日も栃木をクルマで走ってたら、だだっ広い田園風景の国道の歩道でマスクして歩いてるオッサンとか、誰もいない閑静すぎる住宅地の道をなぜか一人マスクして歩いているスーツ姿のサラリーマンとかさ、
「いやいや、こんなとこ、ウイルスなんてないし、どうやっても接触感染も飛沫感染もあり得ないでしょ!」
と思って、笑えるどころか呆れちゃったよ。
だって、マス釣りに行くような巨大な自然公園でもマスクして来ている馬鹿が多いんだよ。情弱っていうか、ここまで来ると喜劇だよ。
感染した有名人だって、人一倍清潔に気をかけて普段からマスクしてたのになんてことが言われて、
「いやいや、だからマスクって予防効果は期待できないってずっと言われてるし」
と、筋違いすぎて、わたしにとって結構、このコロナ騒ぎ、喜劇に見える。
人間ってこうも愚かで、政府ってこうもケチなのかとかさ。でも、給付が一律でなくなって大批判だけど、そりゃ乞食根性みたいなもので、「もらえるかも?」って期待しちゃったら誰だって乞食になるよ。物乞いスピリッツだよ。
わたしだってもらえるものはきっちりともらいたいよ。10万でももらったら、そうだな、電動歯ブラシでも買うかな。
でも、もらえなくなっちゃって、そうなると人間ってさ、その乞食根性を正当化するわけ。そんなことしてたら経済がマジで沈没するから一律で配るべきだ!ってね。
「いやいや、それ、お前が金ほしいだけじゃん。素直にお金欲しいって言えよ」
でもね、一律給付はするべきだとわたしは思ってるよ。経済は今後、とんでもないどん底を経験することになるから、それを緩和させるためにもお金は社会に回したほうがいい。
とは言え、政府や財務省としては、きっとコロナに関係ない地域、東京とか都市部でないどこかの田舎、例えば栃木もそうだろうし、田園地帯の農家とか、正直言って、
「コロナ、あんまり関係ないよね、あんたのところ」
という都合があって、そこまで一律に配るのはどうかなって思ってんだろうなぁ。
それでも一律に配った方がいいけどね。お金は天下の回りもの。回り回って必要なところに落ちて行くものだから。
だから、やっぱケチなんだよね、政府は。
なんて、わたしもコロナにまつわる話をしちゃったよ。ごめん。
と、こういうコロナ談義が無駄ってわけ。なので、この記述を書いた時間もわたしにとっちゃ、すごく無駄だし、英語でも勉強しておけばよかったよ。今、ちょっと後悔してる。
まあ、言いたいことはコロナの対策なんてできるところはみんなやっちゃったし、あとはなるようにしかならない。
新鮮な話題がないんだよね、すでに。
でもさ、もし政府が気が変わって一律に10万配るとか言い出したらさ、国民みんなでオンライン飲み会で乾杯しようよ!
たとえ、コロナで給料が下がってもさ、スーパードライを1缶買うくらいいいじゃん。それだって酒税も払うことになるわけだし。
というわけで、毎日、「コロナ、コロナ」なんてどーにもならないことを言ってると、不幸になるよ。コロナの話して、幸せになった人っているの? あんた、コロナの話して幸せ?
幸せにならないんだったら、コロナの話なんかやめろよ。
だから、わたしもこのブログは基本的にコロナの話題は避けるようにしてきた。このブログは無菌状態だからさ。
なんて、今日はコロナの話したけど、コロナ鬱なんてアホな状態になっている人がいたら、
「コロナの話をやめて、ネットもテレビもアクセスしなかったら治るよ」
ってことを言いたかったんだ。
自分がコロナに感染したらどうしようとか、そういうことばかり考えるのを「取り越し苦労」って言うんだよ。そんなもんさ、実際に感染しっちゃってから考えろよ。そしたら自ずと方法は出てくるんだから。
とにかく、感染してもいないのに脳内がコロナ感染しちゃってるって結構馬鹿らしい。
そういうメンタルがさ、実は本当のコロナウイルス以上に経済を破壊するから。そしたら、本当に食っていけなくなっちゃうよ。感染もしてないのにさ。
悪いことがあるときには悪いことばかり考えるなって。アンパンマンの歌にだってあるじゃん。
「もし自信をな〜くして、くじけそうにな〜ったら。いいことだけ、いいことだけ、思い出せ」
ってね。
わたしが言う逆張りの生き方ってこれだよ。世間がコロナばかりになったら、コロナのことはやめろ。
あとはさ、思うにコロナにビビっている人って修羅場が人生になかったんだと思うよ。ほら、やくざ者って本気と書いてマジと読むくらいの修羅場を知ってるからさ、いつ死んでもいいくらいの強さがあるじゃん。
わたしもこれまでものすごい修羅場は経験したから、正直言って、コロナ程度のものぜ〜んぜん怖くないんだ〜
まあ、軽度でも感染したら入院しなくちゃいけないとかならメンドクセーとは思うけど、怖くはない。
ほんと、もっと怖いことたくさん経験したし、もう自分がおしまいになるんじゃないかってくらい追い込まれたことも何度もある。
でも、そんな修羅場が数多くあっても、ちゃんとどうにかなってる。
だから、何か大きなことがあっても自分の運命を、というか宿命をいつでも受け入れられるような魂になったんだよ、わたしは。
というわけで、コロナの話なんかいつまでもしてるなってこと。同じような話ばかり繰り返すのは時間の無駄だし、そういうのを床屋談義って言うんだよ。
みんなが実りのないコロナトークをしている間に、わたしはコロナに関係のない勉強をこっそりしたりして、世間と差をつけてやるって思ってる。
差をつけるってこういうことだよね。他人が遊んでいる間に勉強してるっていうさ。
まあ、それも栃木にいるからできることなんだけど。もしまだ東京で結美堂をやってたら、今頃大変だよ。客も来ないのに店舗家賃払うのはもう無理ッスみたいになってる。だから、自粛要請で店を開けられない人たちの気持ちが痛いほどよくわかるよ。絶望的な気分だと思う。だって、一生懸命作り上げてきた店が潰れる危機なんだから。
とにかく、人間は運命の中で生きてる。すべての人がね。コロナで最悪の結果になるのも自分の人生の一部なんだよ。
その運命を受け入れよう。そして、それをスタートとして、新たに始めよう。
だから、いつまでもコロナの話なんかしてちゃ駄目だよ。
わたしもこのブログではコロナの話はもうしないよ。本当にこの場はコロナ無菌状態にしたいんだ。
でもさ、最後にこれだけは言わせてもらっていい?
「小池百合子って、嫌なオンナだよなー」