結月美妃.com

結美堂の結月美妃公式ブログ

【スポンサーリンク】

ロマンティシズムはもう終わり

【スポンサーリンク】

結月でございます。

東京から帰ってふとEテレをつけるとバレエをやっていた。わたしはバレエは美的で好きなはずなのだけれど、バレリーナが日本人ばかりで白けたし、しかしそれ以上に古臭いというか、不潔に感じてすぐに消してしまった。

古臭いと感じたのはバレエは舞台の上で序列があって、プリマと王子様を取り巻く引き立て役の名もなきバレリーナたちが傍に並び、その様子が古臭いと感じた。

今は序列をあからさまにするのは好まれなくて、みんな仲良し的であり、ああいう配置は昭和だなって思う。というか、バレエの脚本自体が古い。

そして、不潔に感じたのはプリマと王子様が体を密着させて恋を表現するところで、肉体の絡み合いがエロいではなく汚らしく見えるのは、恋というロマンが今は面倒なもので、ネチネチとしたネガティブに捉えられるから。

その証拠に今はラブストーリーの映画は流行らないからほとんど作られない。トレンディドラマも恋ネタは90年代までで、今はコミカルな展開重視か、リアリズムなドラマが多い。

ちょっと前、民放のBSで昔の007をやっていて少し見たのだが、ジェームズ・ボンドがボンドガールと濃厚にキスをするのを見て、

「汚ったねー!」

と、思った。

あんな濃厚なキスなんか歯周病がうつりそうで嫌だし、気持ち悪い。そう感じてしまったのである。

このように感じたわたしは若い感性だと思うのは、今の20代は昭和のトレンディドラマ時代のようにキスにときめきは感じやしないだろうから。

さらに民放のBSでは昭和の演歌が結構やっていて、もともと演歌が死ぬほど嫌いなわたしは拒絶反応が働いてすぐにチャンネルを変えるの。なぜなら、演歌は歌詞が粘着質で、泣いたとか涙とか、惚れたとかネチネチしていて、さらに自虐的で、一方的な愛情を押し付けるところが我慢ならないのである。

ああいう歌詞にジンとくるのは昭和世代であって、感情をベタベタやるところにロマンを感じるのである。

さらに令和になって昭和の演歌歌手は有名どころも軒並み年寄りになって、そんな年寄りが粘着質な歌詞を眉間にシワを寄せて熱唱するものだから、ものすごく不潔なものに見えた。そこに同調するのは年寄り世代だけであり、20代が見るときっとおぞましいものに見えるだろう。

そういう意味でバレエも古臭くて、不潔なものに見えたのである。

今は合理的な時代であり、さらに清潔さを求められる時代。

それゆえに多目的トイレで性交渉することは今の時代の感覚からすれば強烈に不潔で受け入れがたいもので、これは皮膚感覚的に認めることができない。

さて、歴史的に言えば、ロマンティシズムは合理的、理性的な時代から反動として生まれたもので、だからこそ、ロマンティシズムが古くなるということは合理的、理性的時代ということである。

バレエだってロマン派の時代の脚本だとどうしてもプリマと王子様になって恋愛ベタベタ路線になる。そんなロマンティシズムにうっとりとなるのは昭和世代が主体ではないか。

宝塚もベタなロマンティシズムだが、劇場へ行くと確かにおばさんが多かった。

クラシック音楽でもわたしはもう随分前からチャイコフスキーが生理的に聴けなくなっていて、それでも年に一度くらいはCDをかけてしまって、

「いい曲だなぁ」

と思いつつ、脂っこい料理を食べた後のような気分になって、これから1年は聴かないなと思う。

コンサートの場では今でもチャイコフスキーやロマン派の音楽は演奏されるが、クラシックが好きな人たちは高齢者が多く、団塊世代だとか、若くてそのあとのフォークソング世代が多いから成立しているのかもしれない。

要するにロマンティシズムははっきりと時代遅れなものになっている。さらにコロナも発生し、ソーシャルディスタンスを言われて定着したから、より一層、ベタついたものは毛嫌いされる。

あと、時代の変化を感じさせるのは、映画館で映画を見終わったあと、20代くらいの男女が映画の感想を述べているが、総じて「感動した!」という情念の話ではなく、ストーリーの展開の分析をしているのをよく見かけること。

今は人の行動もまずは分析であり、テレビのバラエティ番組でもボケツッコミが分析的である。そして人の感情を相手の立場になってコメントするのも予め分析しているからだ。

分析をすると感動は生まれない。

食レポは最たるもので、「美味しい!」と感動を伝えているようでも味を分析し、どのような味なのかを解説しようとする。もちろんその解説は嘘臭いのであるが、そういうコメントが求められる。

「美味しくて、甘い!とうもろこしの甘さがほのかにあって、鬱陶しくないんですよ、全然!でも繊細のように見えて大胆なところがあるんですよね!」

みたいな。

ロマンティシズムはハートへの訴えだから、分析されると死ぬ。ロマンは干上がってしまう。存在できない。

粘着質な情念は毛嫌いされ、不潔扱いされる。

例えば、今は手で握ったおにぎりなんてあったら不潔そうで嫌だと感じる。

おそらくそのうち寿司屋も廃業が増えるのではないかと思う。カウンター席で寿司職人が素手で握っているのはちょっと勘弁…という風潮になって、生き残るのは清潔さをアピールする大手回転寿司だけとか。

熟練の寿司職人が握る旨さよりも普通でいいから清潔である保証がほしい。

そういう時代はもう来ている。

ロマンティシズムは愚かであり、なぜなら男女関係のもつれなど面倒なことが起こるのがはっきりとわかるのにそこに憧れてどっぷりと恋愛に酔いしれようとするのだから、合理的に考えればそんなリスクは負いたくない。

結婚率が下がっているのもそういう気持ちがあるからで、結婚したって面倒であるのは多くの統計的事例を見ればわかるし、そんな分析結果を見ると結婚はやめて独身でいたほうが自由で快適だとわかる。

ロマン派時代はそういう分析をすることなく、愚かなものにときめき、情念で美化し、酔うわけで、相手が歯周病かもしれないのにディープなキスができる。

さらに潔癖が進むと、遠い将来では夫婦でも性交渉は汚らしいから、子供は最初から体外受精で行うという時代も来るかもしれない。

さて、いろんなところで時代が変化しているわけだけれど、コロナが始まる以前から世界の秩序は変わっている。

そんな中、日本は制度疲労しているところがあって、言ってみれば古くなった首都高速みたいなものだろうか。建設されて何十年も経ち、ひび割れは多く、早く修理を施さないといけないのにそれも取りかかれないからダラダラと使い続けているような。

手前味噌なことを言うと、日本のクラシック業界も昭和の首都高みたいな状態にわたしには見えて、運営のやり方も昭和時代から変わってないし、昭和時代の人たちがトップにいたり、そしてお客さんも昭和時代の世代ばかりで、チラシは若手の写真であったとしもやっていることは何十年も前と同じ。

完全に時代が変わっているのに自分たちを変えることができない。

時間の問題で高齢者の割合が高いクラシック業界は衰退から消滅になるわけだが、新規の世代のお客さんを増やさないと茹でガエル理論で続かない。

ところでわたしは比較的若い世代にはロマン派はウケなくて、むしろベートーヴェンまでの古典。さらにバロックがウケるのではないかと思っている。

ベートーヴェンの音楽は構築的で、分析がしやすい。そしてバッハのバロックはデジタル的な音楽である。

それらを今の時代の感性に届けるプロデュースをしていけば、少しずつ理解され、観客が新しくなれば呼応して音楽も新しくなる気がする。

観客が古い世代のままだと音楽は新しくなれない。古臭い要望ばかりになり、新しい試みをしにくくなるから。

手前味噌で音楽の話をしたが、これと同じことは日本のあちこちで起こっている。

大きな組織の上層がいまだに演歌的であったりする。

「どうだ今日。酒でも飲んでゆっくり話でもしないか」

なんて誘いは演歌である。

情念が主軸のロマンティシズムは流行らない。ロマンティシズムが悪いという意味ではなく、時代にそぐわないのである。

タバコを吸う奴は臭い。これは随分浸透した。

酒の飲んで酔っぱらう奴はダサい。これも浸透してきている。

タバコをカッコよく吸う映画俳優は昔はたくさんいた。そんなロマンティシズムは今はカッコいいと見做されない。

酒だってバーで洒落込むなんて昔話で、今は金の無駄に見える。同じ酒ならディスカウントで買って家で飲んだほうが安いし、楽。

ロマンティシズムはおしまい。終了。さよなら。

でも、あと30年くらいしたらまた少しずつロマンティシズムな時代が来るかもしれない。

【スポンサーリンク】