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4歳児とクリスマスケーキを作る。

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結月でございます。

やっと土日が終わる午後23時56分。

日曜の夜、鬼滅の遊郭編を見終わったこの時間、4歳の愛娘はいびきをかいて眠っている。

そうなのである。4歳児は鬼滅の時間直前に眠たくなってしまい、鬼滅を断念。しかし、栃木県に住んでいると栃木でしか見れないくせに栃木県民でさえシカトしているローカル放送局「とちテレ」がなぜか翌週に再放送をしているから、次の土曜に見られるのである。

しかし、毎度土日は保育園がないから終日4歳児に付きっきりであるから、ぐったりとする。やはり自分のことに時間を使えないのは疲れるわけで、とは言えそれでもまもなく5歳になろうとするところで随分いろんなことができるようになり、楽にはなってきた。これからもっと文化芸術がわかるようになれば同等に楽しめる。

さて、昨日はバイオリンレッスンのために宇都宮に行き、その後、行きつけのショッピングモールで定番のリンガーハットのちゃんぽんを食べ、駄菓子屋へ行ったり、遊んだり。

そこにはSPORTS DEPOがあって、キャンプをしないくせにキャンプ用品を眺めたりする。それはいつかキャンプがしたいという気持ちがありつつ、しかしまだ4歳だから連れて行くのも面倒で、テント張りの邪魔にはなっても戦力になりそうにないからまだ実行しない。

とは言え、わたしはずっと引きこもり・文化系・インドア・夜のバー通いばかりで陽に当たらなかったから、山登りをきっかけにアウトドアに憧れている。おまけになぜか栃木に住むようになってしまい、アウトドアにはぴったりなのである。

と、アウトドアのひとつとして4歳児と雪遊びをするということ、そして安全面であったほうがいいだろうという意味でミシュランのスタッドレスタイヤを買ってしまったから、雪の奥日光へ行く。

そこは早朝はマイナス10℃になる極寒で、昼でも0℃前後。聞けば北海道の旭川と同じと考えればいいらしい。

行きつけのホテルに電話すると、年末年始は予約でいっぱいとのこと。三が日を過ぎれば空いているらしい。

年末年始なんか混まないと思っていたが、なるほど年末年始出ないと休めない人がノーマルであるからそうなるのか。

年末年始は暇だろうとタカを括っていたわたしは年明けにその頃には5歳になっている愛娘を連れて行こうと思った。

そこでふと立ち寄ったSPORTS DEPOはキャンプ用品はすっかりなくなり、その代わりスキーやスノボーのコーナーになっていた。

雪は冷たいから手袋がないといけないよ、という話を4歳児にしていたから手袋コーナーを見ると、スキー用の手袋で子供用があった。

雪だるまを作るには防水でないといけない。というわけで、在庫も残り一個だったから今日買わないと探すのが面倒、しかも愛娘が大好きなピンク色だったから買うことにした。

さらにスキーウエアを見ると子供用がある。思えば、氷点下の奥日光で雪だるまを作るとなればこれくらいの装備はなくちゃいけないとわかり、それもピンクがあったから買う。さらに今持っている雨靴でいいやと思っていたが、雪用の長靴の防寒仕様を見て雨靴程度じゃダメだと気づく。

雪などまともに降らない地域でずっと過ごしていたわたしは雪の冷たさを知らないところがあって、スキーグッズを見てその寒さを知る。

というわけで、スキーに使えるウエア、手袋、長靴を購入。全部で12000円ほど。まったく金がかかるものだと思いつつ、小さい年頃にいい経験をさせるのが大人になってからの影響が大きいから、そこには金は出し惜しみしない。そうしたほうが大きくなってから楽であり、かえってコスパがいいのである。

しかし、ずっと財布に入ったままであったUCのギフトカードがあることに気づき、それが5000円分、さらにSPORTS DEPOにライン登録すると10%割引になり、結果的に5000くらいで買えたのである。

あとはわたしも防寒着がないから、ユニクロでヒートテックのタイツを買った。

だが、自分のためにはあまり金を使いたくないわたしはスキーウエアなんて買う気も起こらず、そこは山登り用のウエアを活用することにする。

と、ショッピングモールから夕方くらいに帰ってきたが、その後、どうやって過ごしたか覚えていない。とちテレで先週の鬼滅の再放送を一緒に見たのは覚えているが、4歳児相手のことは記憶に残りにくい。

そして今日はスーパーへ行くとクリスマスのせいか、ケーキ用のスポンジが売られていたため、ケーキを作ることになった。

ケーキを作るのはわたしも初体験で、正直言って興味ない。そもそも甘いものは嫌いじゃないけど自分で買って食べる習慣がないから。しかし、ケーキ作りを提案すると4歳児は喜んだ。これで今日はちょっと時間つぶしできる。

生クリームを作るが、やってみるとこれがなかなかハードでケーキに使える固さになるまで攪拌すると右手が筋肉痛になった。4歳児と交代でやるが、4歳児の攪拌はほとんど効果がなく、体験を提供している。

そして、スポンジにクリームを塗り、スライスした苺を乗せたりするのは4歳児にやってもらう。いい経験である。ケーキはこうしてできるというプロセスを知れば、何かのクリエイティヴに役立つ。買ったものではそれがわからない。

とまあ、ベタベタとクリームを塗りたくって、まるでアメリカの料理番組を見るような雑さで4歳児のケーキはできあがった。

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食べてみると当たり前だからフツーのケーキで、ちなみにコストは1200円くらい。買う値段とそれほどかわらない。イチゴがその半分のプライス。

実はケーキを作る前、今日はシチューを食べたいというシチュー好きな愛娘の要望から、わたしはハウスクリームシチューを煮込んでいた。

と、いつしか夕方になり、シチューを食べて、ケーキを食べた。

しかし、4歳児と過ごす日曜はまだ長い。双六で遊んだり、今日買った百人一首で坊主めくりをしたが、坊主めくりで勝てない4歳児はその悔しさで泣いてしまい、面倒ったらない。

とは言え、負けず嫌いはいいことでもあるからそこは良しとする。物事は執念がないと最終的には成就できないものだから。

鬼滅の時間は23時15分。まだまだ遠い。テレビでM-1を見て、優勝は「錦鯉」という漫才だったが、頭をペシペシ叩くどつき芸だから嫌だった。最終の3組ではインディアンスだなとわたしは思ったが、錦鯉だったのは意外だった。上沼恵美子だけがインディアンスだったので漫才としてのうまさで選んだに違いない。

しかし、4歳児は錦鯉の猿ネタにゲラゲラ笑っていた。わたしはガキ向けのネタだなと思いつつ、

「あんなに頭を叩く奴は最低だよ」

と言っておいた。

どつき芸があるのは日本だけかもしれない。海外で人の頭を叩いて笑うなんてことはあまり見たことがない。むしろそれはとても下品なことで、人として嫌な気持ちになるのが主流ではないかと思う。

とは言え、今年のM-1は抜きんでたのがなかった気がする。しかし6,000組以上の応募で、優勝があれだから笑いというのは難しい。人を泣かす悲劇は簡単だが、人を笑わせる喜劇は悲劇をクリエイトする何千倍もの才能が求められる。

2週間ほど前にやっていたTHE MANZAI 2021 マスターズでは、やっぱり中川家がおもしろかった。あれには涙が出るほど笑った。爆笑問題はちょっと鬱陶しかった。今はコロナもあって社会が病み上がりであるから時事ネタは鬱陶しい。

そういう意味で最低だったのはウーマンラッシュアワーで、あれは村本が個人的にのめり込んでいる左翼的な趣味をやっただけで、独り善がりで漫才になっていないし、相方が気の毒だった。直接的な政治批判は笑いにならない。あれには嫌悪感しかなかった。

それよりもナイツの尻から屁がでるネタを「飛沫が、飛沫が」というほうが笑いであり、社会を風刺するのはライトでなければならない。

緻密でうまいし練りこまれてすごいなと思ったのが、タカアンドトシ。テンポも速く、あれだけ人格を変化させ、つまり主語を高速で入れ替えるところがよかった。

あとサンドウィッチマンは相変わらずの安定ぶり。テンダラーは笑えた。霜降り明星は期待したけどイマイチで、あのツッコミは飽きられてるかもしれない。

海原やすよ ともこはかっこつけの男の風刺がおもしろかったが、大阪人にありがちな「大阪だったら」というスタンスがよくなく、うまいんだけど大阪だけのエリアでしか通用しない。世界が大阪だけじゃ狭すぎる。しかし、大阪はそういう性格が強く、ローカルであり続ける。

かまいたちは出始めはつまらないと思ったが、じわじわとおもしろくなってきてすごくよかった。

でも、やはり上方の大トリとして出てきた中川家で思いきり大笑いしてしまい、やっぱり自分は上方の人間だと思った。

わたしは漫才が好きなのである。小さい頃から漫才はよく見ていたし、それが上方なのである。

だから、今でも自分のしゃべりは漫才から来ていると思うし、感性は上方だと自認している。

とまあ、そんな土日も終わり。毎週そうやって土日の終わりを歓迎している。明日から保育園。決算の業務もしなければならない。そして注文したスタッドレスタイヤに換えてもらいにいかねばならない。

今年の年末年始は気温も下がるのか天候が荒れるのか、そんな話も聞いた。タイヤも活躍してくれるだろう。

土日が終わっても、まだすぐに土日はやってきて、今度は冬休みである。

小さな子供と一緒にいるのは精神的にも肉体的にも疲弊する。駐車場で急に走り出しやしないか、食事に行ってもコップをひっくり返さないかなどなど神経を使う。

しかし、猫の三匹いて、きっと今が豊饒なのだろうと思う。

愛娘は次第に大きくなり手元を離れていき、猫たちも順番に死んでいくときが来る。

まるで小津安二郎の映画である。次第に失われていく。

そして自分も死に向かっている。

4歳児との土日の記憶がいい思い出になるときがやってきて、猫たちがいる日々も遠い思い出になって、そうやって人間は死んでいく。

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