結月です。
一昨日、無事にマロオケ2021の公演が終わった。やっと終わった。
企画を急遽立ち上げたのが4月下旬。動き出したのが5月。およそ7ヶ月間、毎日ずっと公演のことを考え、その業務に追われていた。
これでやっとトイレに行くときも必ず首からぶら下げていたマロオケ窓口専用ガラケーを首から外すことができ、バッグの中にいつも入れていた太田区民ホールの座席表、それからお客様から申し込まれたチケットの座席や送付先を記入するアナ雪のメモ帳を持たなくてよくなった。
マロオケ専用ダイヤルは解約するので、電話をかけても繋がらなくなります。
公演はわたし自身、最大級に満足して、心底からやってよかったと思った。2016年のサントリーホールでのマロオケ東京初公演も最大級に満足したけれど、今回はコロナ禍の中で立ち上げ進めて来た企画だったので、神経戦で気苦労が多く、さすがに疲れた。100年に一度というパンデミックだからこの疲労は今となっては貴重なものになりそう。あと100年も生きてやしないから、もうこんなことを経験することはないから。
それにもし新たなウイルスが出てきても、mRNAワクチンという技術が確立されたから、どんなウイルスにも対応できるようになり、もう人類はウイルスによってこんな大騒ぎすることはないでしょう。
公演での演奏についてはわたしからはもう何も言うことがない、というか言う必要もなさそう。
なぜなら公演終了後にわたしのところにはたくさんの感動メッセージや賛辞のメールをいただいて、自分でわざわざ言わなくても十分なほど多くの素敵なお言葉を頂いたから。
モーツァルト絶筆のレクイエム、そしてアヴェ・ヴェルム・コルプスというモーツァルト最期の曲もやれて、大好きなモーツァルトのコンサートとしては円環を閉じることができた。もうこれ以上はない。
ここまでやるといつ死んだって後悔はないし、でも猫と4歳児がいるからまだ死ぬわけではないけれど、マロオケをこれだけやれたことで寿命が来たときにも満足して死ねることは決まった。
しかし、今回は声楽のある曲をやったおかげで、東京オペラシンガーズという素晴らしい合唱団とも知り合うことができたし、4人の素晴らしいソリストとも知り合うことができた。
ずっと管弦楽ばかりだったから声楽は畑違いでまったく知らなかったが、新たに視野が広げられた。
今回の公演でコンサートプロデュースからは足を洗おうと思っていた。レクイエムまでやれたら満足だし、それ以上のことなんて自分としてはありやしないだろうし、これを超えるものでないと次はやる気がしないし、エネルギー量が下がるに違いないからもうこれで終わりでいいだろうと思っていた。
でも、声楽がとても素晴らしかったので、公演後にはソリストと歌のコンサートもやってみたいね、なんて話をしてしまっていて、わたしはこれから声楽に目覚めるかもしれない。
管弦楽は長年やってきたけれど、声楽だとゼロから始めることができ、新たな自分のなれるのではないか。
人間は知らないこと、やったことがないものをやってみるほうが楽しく、能力値も高くなっていく。
とはいえ、今回の公演で全力を出し切ったので、回復までは時間がかかりそう。
コンサートホールでは久しぶりに会えた人やお世話になった方に挨拶したりでちょっと忙しかった。だから終わってみて落ち着いてみると、あの人に会ってないじゃないか、あの人に会ってないよね?と後からわかってくる。
言い訳をすると、マスクをしないとホールに入れないご時世のため、顔の半分以上マスクで隠れているから、誰だかなかなか認識できなかった。
わたしは基本的にマスクなるものが大嫌いな性格だけれど、わたし自身はわたしだとわかるように横尾忠則作の目立つマスクをすることにした。あとは誰でもしているようなマスクをして自分という人間のキャラが誰でも同じになるのが嫌なのである。
ちなみに今年の夏くらいだったか横尾忠則が徹子の部屋に出ていたのを見ると、横尾がマスクも作ったんですよ、と黒柳徹子に行った後、
「あんなマスク、本当に使ってる人、いるんですよ。僕ならしないけど」
と、言っていた。
何とも無責任な話だと思いつつ、ファンというのはアホだから横尾ファンのわたしは平気であれをしてしまうのである。
ちなみにあのマスクを実際にしているのを見たのは一例だけであり、それは週刊プレイボーイ元編集長島地勝彦さん。新しいサロン・ド・シマジに訪れると、島地さんは横尾マスクをしていてわたしはすごく嬉しかった。ちなみに島地さんもマロオケ2021に来てくださった。
と、話が逸れつつ、挨拶しようと思っていたのに会えなかった方、ごめんなさい。わたしが忙しそうにしていたから遠慮した方もいたと思います。
さて、これだけ大きな公演になるとたくさんの方に仕事を頼むわけだけれど、毎度のことながらステージマネージャーには助けてもらう。
ステージマネージャーは本当に頼りになる人材で、舞台の裏方のことや打楽器の搬入の手順などとにかくいろんなことを仕切ってくれる。
マロオケ2016、そして2018のときのステージマネージャーもそれぞれ大ベテランにお願いして、それはそれは頼もしくて大変助けられた。
そして今回は初めて付き合うステージマネージャーであったけれど、無理を頼んでもガッチリと仕事をしてくれるので本当に助かった。
さらに助っ人として来てくれた若手のステマネ補佐もよく働いてくれた。特に開場に合わせて仕切ってくれた彼は若くてもとてもしっかりしていて、わたしが至らないところをすべてカバーしてくれた。これから優秀なステージマネージャーになるに違いない。
ともかく実務的なところをやってくれたステージマネージャーにはいつも感謝しているけれど、今回は窓口業務があったため、彼らがいないとちょっとヤバかった。
言い訳するとサントリーホールだとそういう作業はサントリーホールの職員がやってくれるからわたしのほうからは何もやらなくていい。ところが区民ホールとなると完全な場所貸しであるから自前でやってくれと言われるのである。
自前でやったことがないわたしは素人であり、抜けまくりであり、トンマである。
だから彼らがいてくれなかったら入場口が混乱し、トラブル続出であったはずなのである。
今度コンサートを開催するときも、是非とも来てくれ。よろしく頼む。
いやいや、コンサートからは足を洗うはずじゃなかったのか?
と、こういうのは妊娠と出産と同じようなもので、終わりと思っても月日が過ぎれば、
「そろそろもう一人…」
なんて思うのである。
さて、公演が終わって寂しくもある。それはマロオケメンバーがナイスガイばかりで、今度はいつ会えるかわからないから。もしかするともう会えないかもしれない。わたしがコンサートを企画しないかぎり、会えないだろう。
ところで今日の東京の新型コロナ感染者数はわずか5人。ちょっと前まで大騒ぎして、公演が中止、もしくは時間制限をかけられるかヒヤヒヤした毎日を過ごしていたのが嘘のようである。
でも、公演ができて本当によかった。交響曲第31番から始まって38番、そしてレクイエム、最後にアヴェ・ヴェルム・コルプスを物語としたプログラム。
わたしは最大級の力点をラストのアヴェ・ヴェルム・コルプスに置いた。この世界で最も美しい曲を終着点としてすべてを託した。
それは想定通り、いや想定以上にアヴェ・ヴェルム・コルプスは美しく、目指していた天界に触れることができた。この思いはコンサートホールに来てくれたすべての方が共有できたと思う。
天界の美しさにわたしは涙が溢れた。あまりに美しくて涙した。そしてコロナ禍の中、プロデューサーとして企画の立ち上げからついにそのゴールにたどり着いた苦労が報われたことに安堵でもなく、喜びでもなく、達成感でもなく、何かずっしりと重いもの、充足を超えたものがこみ上げて来て涙が出た。
コンサートで涙したのは過去に一度きりである。
それは1996年9月。初めて訪れたパリでサン・ジェルマン・デプレ教会で初めて聴いたモーツァルトのレクイエム。2本のバセットホルンが旋律を奏で、バイオリンが美しく掛け合うと独唱が始めるあのシーン。こんなに美しいものがあるものかと、生まれて初めて音楽で涙が出た。
そしてその同じ旋律を再びマロオケで聴くことができ、アヴェ・ヴェルム・コルプスに至ることができた。
もうこれ以上のものは今後は経験できやしない。こんなパンデミックだってないだろうし、奇跡的なすべてのタイミングがアヴェ・ヴェルム・コルプスに終着したのだから。
でもこれもコンサート会場に来てくださった皆様のおかげ。
音楽は聴いてくれる人がいてナンボ。聴いてくれる人が集まってくれたおかげで出来上がった歴史的な名演奏。
チケットぴあWEBにて視聴券を申し込めば、この公演がネットで見ることができる。レクイエムというキリスト教文化の曲だから視聴期限をクリスマスにした。
わたしももう少し時間をおいて、ネット配信で見てみようと思う。
そしてネット配信もクリスマスで終了し、この公演は見てくださった方だけの思い出となり姿を消す。
音楽とは実体がないながらも、人の魂のどこかに残る、そういう素晴らしいもの。