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悪いことはずっと続かない

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結月でございます。

お盆休みなんかいらんと思っているのに世の中はお盆休みがあって、保育園が休みになる。4連休でわたしの自由はなくなり、4歳児主導の4日間。

公演の業務もやらなければならないことがあるけれど、それは仕方なしに週明けの火曜から。

さて、そんな世の中を眺めていると様々なことが起こっている。九州や広島あたりはものすごい豪雨であるらしいし、新型コロナは感染者数最多を更新し続けているし、メンタリストDaiGoさんが何やらやらかしてしまっただとか、パラリンピックはもう始まるんだっけなどなど。

豪雨に関してはなんせ相手がお天気であるから、こればかりはどうにもならない。幸いわたしが住んでいるところはちょうど台になっていて、さらに川も近くにないからいくら雨が降っても洪水という災難には縁がなさそう。

しかしながら、7月のある日、4歳児と一緒に宇都宮のトイザらスにバービー人形を買いに行った帰り、突然、ものすごい豪雨に遭遇して、バイパスをクルマで走るもほとんど前が見えない状態で流石に怖かった。しかし、後部座席に座る愛娘は大はしゃぎで、遊園地気分。

市内に入ると、道路が冠水していて、プール状態。数十センチの深さはあり、赤信号で停車中は水の中にいるわけで、これも怖いものだった。

今日の豪雨の広島の映像はそれの何倍もある水深で、車が走っていた。車は壊れないものなのだろうか?

新型コロナはワクチン接種で感染しない人を少しずつ増やすしか手立てはなさそうで、少なくともあと1ヶ月はこの調子でないかと思いつつ、公演をやる身としてはこういう事態になるとどうもチケットが売りにくいから困ったものなのである。

人流を少なくすると言っても、今更制御はできないし、諦めムードもあれば、デルタ株への認識が甘い人たちも多くいる。お盆は帰省を控えろと都知事が言ったところで、わたしの周囲でも数人はこの時期に帰省しているのだから、まあそんなもんだろうと思う。

ところでわたしは菅政権をそこそこ支持していて、菅さんはよくやってると思う。それなのに支持率が低いのは気の毒なもので、出来る限りの仕事をやっているのにそれをちゃんと見てもらえないのは仕方がないにせよ、やっぱり気の毒だと思う。

国民への情報発信が乏しいなんか言う意見もあるようだが、それはキャラの問題で、そういうトークが上手でない人にそれを求めても仕方がない。

得てしてそういうトークが上手い人は中身がなくて、仕事はしないで目立つ時だけしゃしゃり出てくるもので、しかしそんな人のほうが大衆受けするから支持率が高かったりする。

菅さんの目が死んでるとかいう話も、

「いやいや、菅さんってもともとああいう顔じゃん」

というわけで、顔のことまで言われるのはこれまた気の毒である。

わたしが菅さんがすごいなって思うところがひとつあって、それはロックダウンをやらない理由を日本には合わないとか、海外でもそれをやって効果がなかったなどとごまかして、言いたいことを我慢していること。

つまり、日本でロックダウンは憲法に非常事態条項がないからできない、そんな私権制限は憲法上日本ではできないのだと声を大にして言いたいに違いないのに、首相という立場として憲法を敵視するような発言はしないと堪えている。

これは立憲主義の国のトップとしては立派なもので、菅さんの気持ちを想像すると「何も知らないくせに勝手なこと抜かしやがって!」と思っているに違いなく、立憲主義を守っているのにロックダウンを云々なんて言われるのは辛いに決まってる。

憲法上できないことを議論にしたり、要求したり、主張したりするのが素人というもので、それはヤフコメであり、YouTubeであり、Twitterであり、Facebookなどの場であったりする。

そんな床屋談義が世論を作るわけだが、超法規的にロックダウンをやらず、憲法の下に政治をやる菅さんは立憲主義としてはこの事態ではよくやっている。

とどのつまりは法的に政府がやれることはほとんどないわけで、やれることがないのに政府に無理難題を要求する世論というやつは、ファシズムが実は大衆の中にあるという心理が見えて、わたしは空を眺めて煙草でも吸いたくなる。

すなわち、マクロとミクロの対峙であり、世界はマクロとミクロが境界線なくただ存在しているはずなのだけど、人間それぞれの立場に視点を置くとその境界線が見えてくる。

政治とはマクロであり、世論とはミクロの集合。

マクロな政治としてはとにかくワクチンを確保して、接種を進めるしかないのであり、ミクロは事情を知らぬのにできないことを好き放題を言ってくる。

さて、メンタリストDaiGoさんがやらかしてしまったのは、YouTubeでチャンネル登録者数が大きくなり発言力が強くなると自惚れてしまうからで、得てしてTwitterなどもフォロワーが大きくなると代弁者という意識が芽生えて発言が極論になりがち。

要するに自分は偉いと錯覚してしまうのである。

しかし、この世は上には上がいるもので、メンタリストDaiGoさんが自分がたくさん税金を収めていると思うのは税金面で上には上がいることを知らないからで、本物の大富豪から見ればメンタリストDaiGoなんて生活保護レベルだろう。

どうしても自分が偉いと錯覚すると自分の上にいる人間のことが見えなくなり、下に見えるものに対して極論を持つようになる。

つまりは虚栄心というやつで、これはうまく制御しないと暴走してしまって自滅を招く。

しかし、YouTubeで大量の本をバックに撮影するところなんかは虚栄心の強さの表れで、ああいうのは下品だなと思う。

自分が読んだ本なんて人に知られたくないとわたしは感じていて、だから人に本は薦めないし、自分の書棚なんて人に見せたくない。

電子書籍になって書棚が要らなくなり、読んだ本を人に見られないようになったのは本当にいい。とにかく、本なんてものは読んでしまえば読み滓であり、使用済みのティッシュペーパーみたいなもので汚らしい。それゆえ、自分が読んだ本を人に貸すなど、不潔極まりない行為で嫌なものだ。

さて、そんなやらかしてしまったメンタリストDaigoさんに対して、文学系の人なんかはどうしても左翼的であるから生活保護というキーワードにはものすごく敏感で、Twitterでも嫌味なほどに批判というか、悪口を垂れ流していたりする。

そうした人は日々、政権批判というか、政権悪口をひどい言葉遣いでやってしまっているが、これは彼らがそれが正義だと思っているから自らの言葉の汚さに気づいていない。

だから、メンタリストDaigoさんに対して批判する言葉も下劣なもので、これではどっちもどっちと言われても仕方がない。

反知性を批判する人が意外にも反知性である事実。

とまあ、そんなことを連休中に眺めたりしている。

しかしながら、コロナがあるとどうも人の気がピリピリするようで、早く終息させないとどんどん精神が荒んでくる。

人間は精神が荒むとお酒を飲んだりして紛らわせるものだが、それも今は推奨されなくて、お酒が好きな人には受難の日々。

わたしは去年からお酒は飲まなくても大丈夫な人間になったから飲めない苛立ちもなく、コロナが猛威と言っても栃木の田舎では現実的には人に会う機会もなく、ないない尽くしで寂しいくらい。

でもさ、わざわざお盆だからって親の顔を見に帰るって、わたしにはわからないメンタリティー。

大人になってなんで親の顔なんか見にいかないかん?

うちの愛娘が20年後、社会人になって夏休みにわたしのところに会いにくるなんてしたら、わたしはそんなことせんでよろしい、と言うよ。社会人になったのなら、勝手にしなはれ。わたしも勝手にする。まあ、時々、飯でも食いに行こうや。

それくらいがええよ。社会人なら仕事も好きなだけやって、その若さを日々、発散しなはれ。親に会いにくるなんて時間の無駄や。

わたしだって20年後もやりたいことやるから、来られても会う時間なんてないデ。

と、そんなことを思っている。

今は4歳。可愛い盛り。こんなにベタベタしてるのも今のうちで、それはそれで貴重なのであろうから、この4連休も長い人生の中の実は小さくて美しい時間だと思って大事にしよう。

そして、そのうち、

「コロナってあったよね!」

なんて、言うようになるよ、世の中が。

かつての中国で起こった文化大革命だって10年で終わってる。悪いことは永久に続かないものなのだ。

時の過ぎゆくままに。

As time goes by....

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