結月でございます。
4歳児と暮らしていて、育児と教育を日々、施している。
ここで注意しておかねばならないことは「育児」と「教育」はまったくの別物だということ。
よく母親が、
「一生懸命育てた!」
なんて言うのは、それは育児の話で教育ではない。育児は肉体の保持と助成であり、教育は頭脳の躍進であろうか。
教育はどちらかと言うと要領が大事で、一生懸命さみたいな精神論は要らない。いくら一生懸命やっても志望校に不合格なら意味はないし、一生懸命な意識がなくとも要領の良さで合格したならそちらの方がいい。一生懸命やってもやり方がマズければ学力は伸びないし、やり方がよければ一生懸命やらなくても頭は良くなる。
家庭では得てしてここが混同されていて、家庭教育なんて言ってもちゃんと教育になっているケースはそれほどないと感じる。
わたしは教育的に愛娘と接していて、おもちゃの選定もそれが教育につながるかどうかを考えている。楽しいだけであんまり将来的には意味ないなっていうものは基本的に買わない。
かと言って教育ママ的にビシバシやってるかというとそうでもなく、ほどほどに緩くという感じ。
やはり強制的にやらされるとおもしろくないし、拒絶反応が出てしまうとおしまいだから。でも甘やかせすぎるのもいけないから、言うときはバシッと言うけれど。
そんな4歳児の教育は「加算式」であり、なんせこの世に生まれてまだ4年しか経っていないのだから、できないことだらけ、初体験だらけであるから、どんなに小さなことでもできるようになれば「加算」なのである。
ちなみに今日は料理を手伝ってもらって、ピーラーでジャガイモと人参の皮を剥いてもらった。随分うまくできるようになった。
思えば、特に日本は「減点式」な社会で、できないことや失敗をどんどん減点される。
減点されると人間は自信を失うのは当然で、あまり人は伸びない。
でも、大人なのにこれくらいもできないと困るという事実はあって、さすがにこれはできてくれなきゃね、なんてことも間違いではない。
大人になるとある程度の基礎知識や常識、基礎能力はないと困るわけで、だからこそそこが不足していると減点対象になる。
しかしながら、大人になってしまってから加算されることをやろうとするのはこれまたハードルが高い。
日本の場合、大卒だって学校を出てしまえば積極的には勉強しなくなるし、9割くらいがサラリーマンという世界的には特殊な日本は雇われること、つまり会社の求めることをこなすことが仕事になるからクリエイティヴとは言いにくい。
加算していくには無経験な状態が好ましく、それは4歳児状態である。
新しいことを始めればスタートがゼロであるから加算しやすい。
わたしがどんな仕事でも加算の要素がなくなれば辞めるべきだと思っている。
つまり、その仕事に関してはほぼマスターして、あとはただの繰り返しであったり、ルーティン化してしまったものはそれ以上の発展がないのだから成長がない。
しかしながら、人間とは惰性が好きなところがあり、そうした状況が心地よく、何も考えずに同じことをやって給料がもらえればいいと思い、さらに転職したら仕事がうまくできないのではないかと怯え、保身に走り、ますます加算されることのない仕事にしがみつく。
それは要するに好奇心がない状態をいうわけで、それと対照的に4歳児は好奇心に満ち溢れている。
小さい頃からの好奇心の高まりを満たしてしまって大人になり、そこが頂点になってしまうと加算することができず、減点するしかなくなってくる。
日本が減点主義なのは大人になってから好奇心が薄れる人が多い社会だからなのかもしれない。
もしくは好奇心でもって新しいことをやる行為に否定的で、好奇心なんて持ってもうまくはいきはしねえよと冷ややかに見られる空気があるせいかもしれない。
ちなみにわたしは加算されることしか興味がないから、体力がないくせに山登りなんか始めている。
山登りは加算される喜びであり、登れなくて途中で挫折した山を再挑戦で登りきれたりすることは大きな加算である。
だから、先月、あまりハードでない無難や山を体力に合わせて選んで登ると、体力的にはマッチしていても加算されるものがなかったから正直、あまり印象に残っておらず、体がズタボロになってでも加算の可能性がある山にすればよかったと内心後悔した。
あとは仕事なんかでも加算される挑戦に乗ってくれる人と一緒でないとおもしろくない。
石橋を叩きすぎるタイプとか、何でも悲観的で挑戦することに冷や水をかけるタイプは勘弁してほしい。
ともかく、加算されることのほうがおもしろいし、楽しいし、将来も飛躍するし、加算で生きていくのがよろしい。
どうも日本人は謙遜しすぎて、あるいは自分を卑下しすぎて、
「私は駄目です…」
なんてやる前から諦めてしまう傾向にあるけれど、何もやらないうちに自分を減点するっておそらくそれは精神の病だと思う。
とまあ、加算されることは頼もしいから、4歳児といるおもしろさにつながっている。
それは育児ではなく、教育なのである。