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マスク圧力って、将来イップスが大量発生しそうだよね。

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結月でございます。

わたしは終わったことや過去のことは基本的に忘れるというか、気にしないタイプなのですが、4歳の小さな女の子と過ごしていると、自然と自分が小さかった頃のことを思い出したり、10代の頃やそれよりももっと後のこと、つまり自分の過去全般のことを思い出すようになったんですよ。

思い出すといってもチラホラだから、ずっと思い出しているわけではない。断片的にあんなことがあったなとか、そういう記憶。

人間はネガティヴなものをよく憶えていて、いいことはそれほど憶えちゃいない。だから、わたしもいいことはそんなに思い出さず、かといって嫌なことは処理済みにしているから思い出しはしないが、恥ずかしかったことはまあまあ思い出す。

今から考えるとあれは恥ずかしかったと思うもの。それは今が進化しているから過去を恥ずかしかったと思えるわけで、当時は恥ずかしいと思っていないからそんなことを平気でやっていた。

だから、恥ずかしいと思えるのは、ちゃんと自分が進化して、改善されているってことなのだろう。

しかしながら、それが進化の証だとしても、

「あんなことしたのって馬鹿だったな…」

と、反省がブレンドされた恥ずかしさは思い出すと嫌なもので、後悔の念に変異するとどうにもこうにもいたたまれない。

そうした恥ずかしさとはつまりは「若さ」であって、若さゆえにわかってなかったからそんな行為をしてしまう。そして、今はわかっているから恥ずかしく思う。

とはいえ、人間はいきなり恥もなく、完璧にこなすことはできない。そうした恥ずかしさを経て物の道理がわかるのでるから、生きていれば恥ずかしさから逃れることはできない。

それこそが成長であるのだから、

「恥の多い人生を生涯を送ってきました」

と書きつけた太宰治はやっぱり人間的にはクソ野郎で、恥を認識しているくせに恥を成長と捉えないで女と心中し、恥の上塗りをして死ぬのだから、紛れもなく最低男だと言える。

しかし思えば、過去の恥をいつまで経っても悔いたり、他人に話している人は多いのではないか。

それは自分の中でそれを消化し切れていないからに違いないが、いつまでも悔いたり、他人に話したところでそこに執着している限りはずっと同じことを繰り返す。

つまり、成長しない。

過去のことをいつまでもグズグズと言うのは人間として美しくないもので、同情してもらうことでその恥ずかしさを正当化したいのだろうけれど、他人からすれば迷惑でしかない。

他人はその過去の現場にはいないし、その恥ずかしさに関わらせてしまった人であっても、他人がそんなことを気にして生きているわけもなく、忘れていたものを振り返されるのも気分が悪い。

過去というのはやはり過去でしかない。

過ぎ去ったものなのである。

執着するものではない。

それに他人が気にしていないようなことを自分が気にしすぎて生きるのは自縛しているのと同じであるから、愚かすぎる。

それに多くの場合、自分が失敗したと思うこと、その現場にいた他人というのはすでに会わないような人であったりする。悔いたところで追いつけやしない。

だから、過去の中でネガティヴな臭気を放つものは忘れてしまうのがいい。

たとえ忘れなくとも、その出来事を客観的に分析して成長の種にする。そうするのがいい。というか、そうするしかないのである。

一番よくないのは、過去の恨み辛みを持ち続けること。これは悪質な生き霊になるからやってはいけない。

わたしは過去の不幸を話す人間とは極力付き合わないようにしている。

どうすることもできない過去の話なんかされても困るから。時間的に遡れない過去はどうすることもできないのだから、そんな話をされても困るのである。

どうせ聞くなら、過去の武勇伝のほうがおもしろい。

武勇伝は得てして愚かで、嘘臭く、針小棒大であるけれど、それを語る人間は生き生きとしているものだから過去の不幸よりもまだマシ。

しかし、過去の武勇伝もリアルタイムで共有できない代物だから、最初はおもしろくてもだんだん飽きてくる。

やっぱり過去はつまらないものだ。

できる限り関わりたくない。

しかし、自分の過去に関しては、恥ずかしさを伴うものは反省材料として反面、貴重なものなのだ。それがあるから、今の自分があるわけで。

その過去の恥ずかしさに自縛され続けてしまうと、イップスになる。

イップスは何もスポーツ選手だけのものじゃない。

過去のことをネチネチと言い訳したり、同情をひこうと話してしまうのもイップスであり、なぜなら未来に進めないから。過去を気にして、現在の中で自信喪失し、少しも前に進めない。

だから、過去に囚われてばかりいる人は不幸そうにしているし、他人目線ばかり気にして苦しそうだ。

ところで日本の場合、コロナで爆発したのはウイルスではなく、同調圧力だろう。

感染対策というより他人目線を気にしてマスク率が高くなる日本的な現象。そんな同調圧力をコロナは高めた。

他人目線を気にすることを過剰に押し付けられたことは、コロナが落ち着いたあとでもその経験はイップスとして将来に残りそうだ。

特に成長過程にある子供は精神的な面で大きなダメージを負っているに違いない。おそらくマスク圧力のせいで、マスクを強いられた子供が将来、精神的に病むイップスになる確率は高いのではないか。

いや、大人もそうで、コロナが落ち着いてもマスクを外せなくなる病が出てきそうだ。例えば、マスクをしてないと対人関係を作れないとか。

コロナ禍もいつかは「過去」になる。過去になったとき、自粛警察やパチンコ屋が槍玉にあげられたこと、閑散とした住宅地でマスク姿で散歩している風景や効果のないマウスガードをしているテレビ番組などの愚かさを笑えるか、笑えないかだ。

笑える人間は心配ない。

笑えずイップスになる人間は不幸が継続。

同じ現象の過去でもどう捉えるかによってその人の幸不幸が決まる。

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