結月でございます。
「斉藤由貴って、ええ女やな〜」
なんて、昔はわからなかったことが後になってわかることってある。
と、斉藤由貴をYouTubeで見る。
今日は日曜日で4歳の愛娘の保育園が休みなため、ちょっとBGM代わりに斉藤由貴の「AXIA」を鳴らしてみた。すると、反応する。
それから斉藤由貴にハマってしまった4歳児。どうやら一番のお気に入りが「悲しみよこんにちは」のようで、その次が「AXIA」。三番目が「夢の中へ」という順。
ハマった4歳児はスマホを独占して、斉藤由貴ばかり、しかも「悲しみよこんにちは」は特に何度も再生する。
映像が昭和の、つまり80年代のものだったりするので衣装が可愛らしかったりというのも4歳児にとって魅力らしい。やっぱりアイドルはアイドルなんだよね。
斉藤由貴の中では「悲しみよこんにちは」が確かに一番いい。あれは玉置浩二作曲。
「AXIA」は銀色夏生の歌詞がたまんないし、曲も美しい。「卒業」もこれまた歌詞が最高。
「夢の中へ」は井上陽水で、斉藤由貴にはちょっと合わない気もする。悪くはないんだけど、ちょっと押し付けがましいというか、くどいというか違和感があるね。でも、あの曲を斉藤由貴以外で歌えるかというと、思いつかない。
「悲しみよこんにちは」がいいのは、音としてはそれほど高音でないけど、斉藤由貴にとっては限界近い高音域のところが胸をくすぐられるんだよね。
特にあそこは斉藤由貴の声にいい倍音が出てるんだと思う。あれは斉藤由貴の声を決定づけるよ。
斉藤由貴の歌い方って、小さなフランス車みたいで、エンジンは非力な1000ccほどで、ステアリングは緩くて危なっかしいし、直線が弱くて街乗り。なんか、そんなイメージ。まあ、今のフランス車はそんなふらふらしてないだろうけど。
で、「悲しみよこんにちは」の斉藤由貴にとっての高音域は、非力な1000ccをレッドゾーンまで踏み込んだ感じ。それでもスピード出てないんだけど、その色っぽさがいいっていうね。
ほんと、力ないのに聞かせる色気が斉藤由貴には10代の頃から備わっていて、それをプロのプロデューサーは見抜いてたんだろうなぁ。
さて、「悲しみよこんにちは」はフランソワーズ・サガンの小説のタイトルで、Bonjour Tristesse。
そんなタイトルをうちの4歳児は覚えて、悲しみよこんにちは、悲しみよこんにちは、と連発している。
この言葉はうちの愛娘にとって紛れもなく初めて口にした文学的表現。
いつ文学的な言葉を覚えるのかと思っていたけれど、それは「悲しみよこんにちは」だった。
そして歌詞としてはAXIAの最初だけ覚えて、
「ごめんね、今まで黙ってて」
を口づさんでいる。それ以後は言葉が難しいから自分で作詞して、お花がなんとかと言っていた。
いい加減な歌詞を歌っているのもいいことで、なぜならそれこそが文学だから。あるものを暗記したってつまらない。自分で言葉を生み出していくことがおもしろい。
オリジナリティーを持つ人間でないとね、やっぱり。
まともなこと喋ってそうで、それがみんなテレビのコメンテーターの受け売りとか、そういうことはよくあることで。
オリジナリティーで話せてない人って大半だと思うんだけど、そういう話、薄っぺらで退屈。嘘の話でもいいからオリジナルで聞きたいよ。
よくさ、自己啓発系の人は、
「学ぶは真似ぶ」
とか、まずは真似てみることとか言うけどね、それはあんたにオリジナルの才能がないからだよ。
真似たものなんてつまんない。それを世間では亜流という。
でも、斉藤由貴ってオリジナルだよね、女として。斉藤由貴はどこから見ても斉藤由貴で、斉藤由貴なんだよね、やっぱり。
あんな歌声を出せることがどんなにオリジナルかってことが昔はわからなかったのに今はよくわかるようになった。
そんな発見が楽しくて、YouTubeで80年代や90年代の歌を見てます。