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栃木訛りになった愛娘

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結月でございます。

テレビでチラッと夜の新宿の映像があり、傘をさした人々が横断歩道を渡るのを見て、台風が近づいていることを知る。それは天気予報の映像だったから。

新宿を見て、またしてもどうして自分が栃木にいるのだろう?と錯覚するのは、不思議の国のアリスがウサギを追いかけて、そのウサギ穴に落ちたようなものかなと思ったりする。

そんな気持ちになったら、すぐに3歳の愛娘の顔を見るようにしていて、そうすると現実が、今こうしていることは悪いことじゃないとわかるからであり、そしてテレビを消す。

そんな3歳児はよく喋る。女の子だからというのもあれど、よく喋る。

しかし、それがどうも栃木訛りになっていて、スペック都会人のわたしはそれが気に入らず、

「ねえ、そんな田舎言葉、やめてくれない?」

と、イントネーションを正す。

いや、正すと言ってしまうと、栃木の人に怒られる。

保育園の先生たちも地元の人のため栃木訛りであって、だから愛娘が東京の山王病院で生まれ落ちたといっても栃木訛りになるのである。

まあ、しょーがないよね、と思いつつ、田舎臭さが嫌いなわたしは愛娘が田舎っぽくなるのが受け入れられず、標準語のイントネーションを教える。

とはいえ、方言とは否定すべきものじゃない。やはりそれは文化だから。

ただ方言をはじめ、話す言語はその人の思考となる、そしてその逆、つまり思考が言語となるのであるから、その方言を話すと、その方言が持つ特性の思考になる。

わたしだって上方の言葉を喋ろうと思えばできなくはないけれど、それを故意にやるとぎこちなく、なぜなら思考が東京の標準語ベースになっているから。

だから関西弁を喋ろうとするなら、その思考を上方にしないといけないから人が違ったようになる。

外国語だともっと顕著で、日本語で話すのと、フランス語や英語で話すのでは性格が変わってくる。

そんなことがあるから、栃木弁が悪いとは言わないけれど、田舎っぽい性格になるのはちょっとね、なんて思うから3歳児に、

「そんな田舎言葉、やめてくれない?」

なんて言っちゃう。

でもまあ、それもよかでしょ、なんて九州弁で言ってみる。

「よか、よか、よかよ。そげんこつ」

そういう投げやりな感じは九州弁がよく似合う。

と言っても、わたしは九州弁は話せないけど、ちょっとだけ真似はできる。

しかし、栃木は東京からわずか100kmしか離れていないのに栃木弁なのである。栃木も広いから県北や県南ではまた違うらしいけれど、どちらかというと東北訛りに思える。確かに栃木の上は福島県。

そういえば、栃木の人が喧嘩をしているのを見たことがない。家族間で、子供にキツく言っている親などは見たことがあるけれど、栃木県人同士の喧嘩は知らない。

それはわたしの交友範囲が少ないせいもあれど、穏やかに思える栃木の人は喧嘩をすることがあるのだろうか?

どうも栃木のイントネーションは喧嘩に合わないような気もする。

性格が言葉を作るのであれば、やはり栃木弁は喧嘩になりにくいのかもしれない。

と、その憶測をしつつ、愛娘のなんとなく栃木訛りは複雑な気持ちでいる。

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