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本というのは安いよね。

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結月でございます。

保育園が休みの土曜。もう何度も行っている那須の千本松牧場へ。

ここはヤギや羊に餌(一皿100円)をあげられて、それが気に入っているうちの4歳児。

クルマで80分ほど。

宇都宮動物園に行こうか二人で迷った挙句、千本松牧場になった。

結果、それはいい選択だったのは、ちょうど桜も満開で、それ以外の花々も豪快に咲いていて、なかなか見応えのある花風景だった。

しかし、桜というのはつまんなくて、なぜなら桜は誰が撮っても同じような写真になる花だから。

花より団子なのは4歳児で、桜なんかはどうでもよくソフトクリーム屋に直行。

桜のような肉体に充実をもたらさないものは子供にはウケない。となると、精神的な美の関心はやっぱり大人のものということか。

となると、桜にそれほど「感じ」ないわたしは子供ってこと?

いや、そうではなくておそらく脳の感受性を他のところに使っているから、誰が見ても同じような桜にはそれほど関心がないのだと思う。

さて、ヤギにご飯をあげに行く。

ヤギの世界も人間と同様に強い弱いがあって、強欲なヤギは弱気なヤギが餌をもらおうとすると頭突きをしてブロック。

それはヤギの人相にも表れていて、強気なヤギはどこか性格が悪そうで、弱気なヤギは見るからに顔が臆病で頼りない。

こればかりはどうしようもなく、人間界も強欲なのが得るものが多いのであって、それを是正しようとボランティア団体などが頑張る。しかし、外部から助けようとしても弱い奴はやっぱり弱いので根本的には解決にはならない。

解決できないから、そんな弱気を清貧として美化したり、イエス・キリストみたいな人が出てきて弱気ものを助けようとし、それが宗教になる。

しかし、自らの弱さを清貧にすり替えたり、謙虚な美しさにして自己憐憫するのもどうかと思ってしまうちょっとニーチェ的な気持ち。

ところで千本松牧場は入場料も要らないし、駐車場も無料。中で飲み食いしたり、乗馬したり、ヤギに餌をやったりするのところで稼ぐやり方。

そんな売店に入ると、うちの愛娘は金の卵のおもちゃを見つけてよほどそれがハートに刺さったのか、瞬間で手に取ると、

「これ、買う〜」

と、もう抱きしめている。

その様子が確固たるもので、一瞥して「買わないよ」が通じない迫力があったため、仕方なしと諦める。

さらに以前買ったことのある牛の形をした飴もサッと手に取った。

そして他に目もくれることなく、勝手にレジに直進し、わたしをはるか後方に置いてレジのおばさんに渡しとるやないか。

金も持ってないくせに何たる図々しさ。わたしが小走りに駆け寄り、金を払う。

というわけで、ヤギの世界と同様、強欲が強いわけである。

と、今日はソフトクリームや餌代、おもちゃ、飴で合計は1700円ほどの出費。ここに往復のガソリン代はおよそ1800円。合計3500円。

愛娘が楽しむ分には金を使ってもいいのだけれど、思えば3500円あれば本だとそこそこ買えるなと思った。

本の種類にもよるが、わたしが読む哲学書は2000円くらいのものとなると、Kindleで読書時間が8時間と出たりする。2000円で8時間も楽しめて、しかも勉強にもなる。

そう考えれば、本というのは安いものだ。特に日本は本が安い。

今読んでる本を片付けたら、ホメロスの『オデュッセイア』を読もうかなと思っていて、これは岩波文庫のKindleで上下巻合わせて2000円ほど。

世界文学の源泉とも言えるギリシア時代の大叙事詩がたった2000円。こんな壮大なものがそのプライスで読めてしまう。

内容的には牧場でヤギに餌をやったり、ソフトクリームを食べさせたりするよりもホメロスのほうがダイナミックだ。

と、金銭価値とは不思議なものだと思いつつ、さて明日も日曜で保育園が休み。明日は何をしようか。

ところでホメロスは高校生のとき古本屋に入り浸っていて、何度も手にして買おうかと思った。が、ページを開くだけでスケールがデカすぎて、これは今読んでも手に負えないと買わなかった。

今はその頃よりも戦闘力が上がっているので、読めるのではないかと思う。

去年は今活躍中の日本人作家の小説をかなりの数読んだのだけれど、正直言って衝撃的なものが一つもなく、もう読むのはやめにした。

いや、うまいなって思うことは多々ある。でも、わたしの人生がそれで変わりそうな気配は全くない。

そんなこんなでホームグランドである哲学に戻り、哲学書を昨年末から再び読むとなかなか衝撃的なものもあったし、哲学から離れている間にすっかり浦島太郎になっていたことに気づいた。

小説はいかにも小説だなと思えるものには興味がなくなってしまい、そこでホメロスとなる。

あとはゲーテの『ファウスト』を久しぶりに再読したいと思いつつ、書棚にある岩波文庫を取り出す気になれないのは、iPhoneで読むKindleにすっかり慣れてしまっていて、紙の本を読むのがウザったいから。

というわけで、書棚にはあるけど、改めてKindleで買い直し、スマホで読もうかと思っている。

とまあ、本というのは安い。こんなに内容があってこんな値段でいいのだろうかとさえ思う。

と同時に、つまんない内容の本もたくさんあるわけで、根拠なしの自己満炸裂の自己啓発本や自分の成功体験を無理やり押し付けるビジネス本や思い込みが激しすぎるエセスピリチュアル本や買う奴がアホとしか言いようがない占い本、さらには医学的裏付けが怪しすぎる健康本などなど、そんなものが一冊1500円とかしちゃっているのもどうかなと呆然となる。

さて、どうして本を読んでしまうのか。

きっとそれは自分ってつまらないと思ってるからだろう。自分がつまらない人間だからこそ、自分よりすげえ奴が書いたものを読みたい。

かといって、自分を向上させようとも思っちゃいない。

結局のところ、好きだから読んでるだけ。

読まなくちゃと思って読むとおもしろくない。読みたいから読む。

なんか根源的な欲求なんだな。

きっとダンサーだと踊りたいから踊るのであるし、バイオリニストは弾きたいから弾く。マラソン選手は走りたいから走り、酒飲みは飲みたいから飲む。

読書なんて所詮そんなもので、勉強のためにってなるとおもしろくないし、続かないんだよねー

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