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なんだかんだ言って、哲学がおもしろい。

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結月でございます。

このところ哲学書ばかり読んでいて、それは構造主義、ポスト構造主義あたりのものだけれど、やっぱり哲学はおもしろい。

大学の専門が哲学だったから、まあそれは生来のもので、でも哲学書なんかしばらく読んでなかったから随分久しぶりということになる。

それもちょっとこれからやりたい仕事に関係するからで、それはもちろん哲学の仕事ではないのだけれど、コロナによる価値観変化のこともあり、これからの時代の考え方を自分の中で深めておきたいという欲望から。

今、それを読んですごくおもしろく感じているということは、やろうとしていることにちゃんと直結しているから興味がわいてくるのだと言える。

結局人間なんて、自分に興味があることにしか一生懸命になれない。無理に勉強したって突き抜けるところまではいけないわけで、ということは自分がやっておもしろくてやめられないことをやるのがよく、「好きこそ物の上手なれ」でそれが仕事になっていく。

そういう興味がないとやりたくない仕事をやらねばならなくなり、それは精神的にも辛いし、将来性がないから発展的なスキルも身につかない。

なんて屁理屈を言いながら、要は自分がやって楽しくて仕方がないってことをやって、それを趣味にとどめず仕事に生かすとおもしろいよってこと。

とはいえ、コロナでややこしい今はタイミング的に我慢のしどころであって、今無理に動いてもただのKYだと扱われてしまう。

だから、そういう時は精神の筋トレをやるのだよ。

哲学をやっているといいなと思うのは、自分が古くならないため。哲学の学者は古いままでも、哲学そのものは常に進化しているからね。

それは時代や社会の中で反映されるから。

ジャンルが違うから比較はできないけど、文学より哲学のほうがいいなと思うことがある。

文学はやはりメディアであって、出版されたその時代を描くことが多く、だからすぐに古くなっちゃう。寿命は長くても10年とか、それくらいじゃないかな。

例えば、太宰治なんて今読んだってほぼ意味ないと思うのよね。古すぎちゃって。書いている内容も生き様もすべて古い。

三島由紀夫が昨年、自決から50年で少しだけ話題になったけど、やっぱり古いよ。もう50年も経ってるんだもん。三島を論じるのは趣味でしかないよ。

わたしは作家の中では開高健を一番たくさん読んだと思う。でも、もう読めないね。古くて、あんな男のダンディズムなんて今見たら笑っちゃうよ。

まだ生きてる作家だって、例えば村上龍だとしてもその90年代の小説なんて古く感じてあまり共感できないね。具体的には援助交際が問題になったときの『ラブ&ポップ』とかね。古典だよ。というか古新聞のネタ。

文学でずっと読まれているのってドストエフスキーとかシェークスピアとかね。そんなところだね。

古典的名作だって、今にも生かされて、共感できる作品となればものすごく数が少なくなる。

それに比べれば、哲学ってそんなに古くならない。

サルトルの実存主義は古いって感じはするけど、でもまた復活しそうな気配もある。

古くは古代ギリシアのプラトンやアリストテレス。ああいうのは古くならないね。根元的なものなんだろうね。

デカルトやカントだって最新の哲学を考えるにあたって、必ず今でも引用される。だから決して古くはなっていない。

「神は死んだ」と言ったニーチェは要するに神という大きな物語に依拠するような時代は終わったと言ったようなものだけど、そういう中心のない世界は今はもっと加速していて、ニーチェは古くならない。

とまあ、哲学って年月が経っても飲める、時間が経てば経つほど熟成するようなワインに似たところがある。

一方、文学は鮮度が命のビールみたいなものかな。

さて、今、ミシェル・フーコーを読んでるから、それを読み終わったらドゥルーズの解説書を読む。

これは大学の時、わたしの専任をしてくれた教授が出した本で、実は買わされてから一度も読んでおらず、書棚に収まったまま幾度の引越しについてまわっていた。

学生の頃はドゥルーズにはあまり興味がなかったし、先生だって自分の売れない本を学生に買わせるのは常套手段だったから、「買ってあげた」感が強くて読む気になれなかった。

でも、今になってやっとドゥルーズを読む気になった。

ドゥルーズは確かわたしがフランスから帰ってきたくらいにいきなり自殺してしまって、同じ学科の友達とちょっと話題にした。

と、そんな本を読もう。

しかし、その先生はフランス現代思想が専門で、今は東京の大学で教授をしているらしい。

学生の頃はわたしが幼すぎて専門とは違う余計なことばかりしていたせいでダメダメだったけれど、今ならサシでいい話ができるだろうなって思う。

そう思うと、あんないい先生がいたのに学生の時は勿体無いことしたなといささかの後悔があったりしつつも、まあ若いから仕方がないよね、というのが現実であって、これからやる仕事が形になったら会いに行ってもいいかなと考えたりもする。

輪廻というのは死んだ人間がまた別の形で生まれ変わり、それを繰り返すことによって進化する。

しかし、人間の一生のうち、つまり生きているうちにも輪廻はあって、昔やり切れていないことがひょっとしたことからやれるようになり、そこに戻りながらも昔よりは進化している自分があるのではないか。

とまあ、そんなわけで、今はわからなくともすぐに諦めずに、思いもよらない将来、それが生きてくることがあると考えよう。

だから、簡単なことばかりしていてはつまらないよね。

慣れたことばかりしているもつまらないよね。

 

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