結月でございます。
うちには3歳の女の子がいて、ウィークデイは毎日保育園。その送迎にはクルマを使っている。
そして週末はどこかに遊びに連れてい行くことがほとんどなので、またクルマ。
こうしたところが東京での生活と違ったものだと思う。もし東京にいたら、遊びに行くのも電車だろうし、保育園だってクルマで行くような距離には通わない。
今日も保育園に向かっていると、後ろの車には助手席に小さな子供が座っていて、ジュニアシートはつけていてもシートベルトが外れている。子供だからそれを肩から抜いてしまっているわけ。
運転席のママさんは知らん顔。わたしだったら気が気でないけどね。
保育園の送迎のクルマを見ても、しっかりとチャイルドシートをしているひともいれば、まったくしないで後部座席で子供をそのまま遊ばせているような親も多くいる。
チャイルドシートは義務化されているけれど、それを守らない昭和的な人は多くて、それは田舎だからなのかはわからない。
それでいてド田舎の保育園なのに送迎には親はマスクで、どう考えても感染云々のような環境でないのにそこは神経質になっている。
ところがチャイルドシートやシートベルトには神経を使わないってどういうことなんだろう?
小さな子供がコロナ感染で死亡したという例はなかったと思うし、子供は重篤化しない特性がコロナにあることがわかっている。もちろん、なぜコロナが子供は発症しにくいか、まではこれからの研究でしかわからない段階だけれど。
そう考えると、子供の死亡率でいえば、チャイルドシートを使わないことのほうが確実に高いわけで、保育園も行政もどうしてそこをちゃんと徹底させないか、そういう働きかけをしないのかがとても不思議。
子供がいる家庭では、重要度はマスクよりシートベルトでしょう。
今日わたしの後ろを走っていたクルマだって、正面衝突したら確実に助手席の男の子はフロントガラスを頭から突き破って即死だよ。でも運転する母親はシートベルトしているから助かる。
母親は子供のベルトを徹底しないことで、自分の息子が真横で血まみれになって死ぬのを見ることになるっていう想像がないのかな? ないんだろうな。
それでいて、感染が広がっていない地域でクルマの中でもマスクするっていうことが、わたしには理解できない。
きっと近場だから事故は起こらないと思っているのかもしれない。
しかし、栃木に来てわかったけれど、田舎の運転はひどい。
それは田舎が土地が広いがために道路が広く直線的だったりで運転しやすいから雑なのだろう。都内のように入り組んでいて、道路が絡み合って複雑な状況でないから、アホでも運転できる。
そんな単純な道を走るだけの技能教習で田舎は免許が取れる。一方、東京だといきなり都内を仮免許だから自動車教習所の段階でレベルが違う。
だから、こちらで毎日保育園のために運転していると、東京ではいないようなムカつく運転を見ることが多々ある。東京じゃ、あんなことはできない。
都内はそもそもスピードを出せるような環境でないから、運転は紳士的だし、歩行者も多く、道路が複雑ゆえにみんながすごく神経を使っている。
だから、接触事故はあっても、田舎ほど過激な事故にはなりにくい。
それに東京は免許を持っていても、運転に自信がない人は運転したがらないから、上手な人が多い。
ところが田舎はそうはいかない。
生活の足であるから、運転が紳士でなく粗雑。まあ、粗雑さは運転だけでなく、田舎の特徴かもしれないけれど。
そんなものだから、事故ったら子供は悲惨な死に方をするなっていう運転とチャイルドシートなしというクルマが多い。
それはもう家庭の教養レベルの問題なのだろう。
どう考えても要らないところでマスクをし、どう考えても必要なシートベルトをしない。
他人の子供が頭がかち割れて死ぬのは関係ないけれど、それでもルームミラーにベルトしないクルマがいたり、愛娘と同じ保育園で、同じ組にいる子供がクルマの中で野放しというのを見ると、なんだか頭にきてしまう。
親の悲劇は自業自得でも、子供が親の頭の悪さで死ぬのはかわいそうじゃないか。
知識がないというのは、愛情が不足しているということかもしれない。愛情がないから我が子を守る知識を増やそうとしないのではないか。
知識がないというのは子供を苦しめるものなんだと。
でも、知識がない人は自分が知識に乏しいことを理解しないところがあって、なぜなら頭の良さとは自分の無知を知ることだから。
やっぱり親の馬鹿さで事故死する子供はなくならないということか。