結月でございます。
堀江貴文さんが尾道の餃子屋に行ったら、店主に追い返されてしまった話。ご飯も食べられず、気の毒なだと思ったけれど、仮に餃子が美味くても、ああいう店には行きたくないね。
店主のブログを読むと、その文章力や書き方、言葉の使い方でどのようなポジションにいるか、どのような教養レベルの人なのかはすぐにわかる。まあ、餃子屋はそういった感じの人のほうが美味しいものを作りそうではあるけれど。
逆に堀江さんはプログラマーだからね。考え方も事の進め方もプログラマーなんだよ。
だから、仲間の一人にマスクしてない人がいて、そういう場合、この店ではどうなるのかを事前に知っておきたくなる。それはバグになっては困るから。バグ解消のために質問しただけなのに、それが理解してもらえず、店主がいきなり追い出したという結末。
こういう話、すごくわかるんだよね、わたしも。
わたしはプログラマーではないけれど、つまんないバグは困ると、そこは合理的に考えるようにしている。
要は合理的に理解できていないところがありそうだったら、ちゃんと訊く。確認する。そこは感情を排して、理屈を確かめる。
取引先とのやり取りではお金のことも絡んで来るし、そこはしっかりとしておかないとあとで困るから。そんな不確認で、せっかくのいい関係を壊したくもないしさ。
でも、日本人はお金のことをタブー的なところがあって、曖昧ではっきりと言わないところがある。そういうのは商習慣としても残ってるよね。
それは日本が信用社会で、生々しいお金の話をしなくてもちゃんと気持ちよくできるという民度があるからだと思う。
これがよその国だと、約束しても口約束で契約書もなければ、金を払わないなんてことはザラにあるし、契約書があってもトンズラとか、そもそもそれが偽物とか、日本では考えれらないことが普通にある。
だから、契約社会ではその辺りがすごく厳しい。
日本はよほどのことがないと、そんな心配はする必要はなく、お客さんだってだいたいはちゃんと払ってくれる。
でもちょっとした行き違いや勘違いで些細なことでトラブルと、一気に信用しなくなる。
「こんな人だとは思わなかった!」
となって、その後の付き合いがなくなったりする。
行き違いや勘違いをちゃんとお互い確認して、理解して、落としどころで収めればいいのだけれど、その辺りの話合いは日本人は実に苦手。
で、堀江貴文さんも餃子屋がマスク着用を求めていること自体には何の抵抗もなくて、ただちょっとした確認をしたかっただけなんだよね。なのに店主が一方的に激怒するという…
まあ、店主ワンマン系の店はこうなりがちだけれどね。
「うちの寿司が気に入らねえなら、出てってくれ!」
みたいなシーンって昔からドラマでもあるよね。
特に飲食店とか、感情的なこだわりが色濃く出るから。まあ、その愚かさが美味しさにつながるところがあるんだけどさ。
でも、味に関して嫌なこと言われたら怒るのはわかるよ。しかし、今回の堀江さんはマスクのことを確認しただけだよね。マスクでそんなに敏感になるっていうことは、まあ、そういう風にウイルスを信じちゃってる人ってことになる。
だって、きっちりとした医学的な見方ができる人だったら、そのシーンではヒステリックになることはないし、マスクしてないだけで攻撃的になるわけがないから。
だから、堀江さんとは相性が最も悪い人種に当たってしまったというわけ。それは店主側からもそうだけど。
というわけで、合理的な考えや判断を基に生きていない人というのは、何かと怒りやすい。
感情とは合理的に枠組みされると、反射的に拒絶してしまうものだから、その防衛本能として怒る。
そして、単なる「確認」でさえも理解できる頭がないと、それを馬鹿にされたと感じて、また怒る。
世の中には何をどう話しても怒る人がいるけれど、それはそういう理屈であって、何を言っても理解する頭がない上に、感情ですべてを「誤訳」して、自分がけなされたと思い込む。そして怒る。
だから、そういう人は巨大なコンプレックスを抱えているに違いなく、どんな言葉にもアレルギーを起こし、過剰な防衛本能が働いて怒るわけ。
堀江さんは知性の塊みたいなところがあるから、知性がない感情派にとっては鼻持ちならないように見えるのだろう。
しかし、世の中はグローバルになってきて、随分変わってきてはいる。
だって、そんな意味不明な個人的感情でやられても、国も文化も違う外国人とはビジネスをやっていけないからで、だからどこの国の人ともやり取りできるスタンダードみたいなものができあがっている。
とは言え、グローバルで仕事していないドメスティックな企業がまだまだ多数派で、日本人が日本人を相手にしているところがほとんど。
だから、日本の企業同士で堀江さんと餃子屋みたいなやり取りになってしまうことは多々あると思う。
わたしもこれまでずっと仕事をしてきた中で、たまに揉めてしまうことがあった。
それは堀江さんのように小さなバグも困るから、ちょっと確認を合理的に質問しただけなのにわたしが小うるさい人間に思われたりさ。
先方に合理的に答える力がないとこうなってしまう。そういう力がないと、どう答えたらいいのかパニックになるらしい。そのことが経験でわかった。
こちらは別に取引をやめにしたいわけでないし、ただ問題があると困るから確認しただけなのにいきなり向こうが悲観的になってたり、些細なことが重大なものに見えてしまう人っているよね。
多分、社内論理で生きていて、物事を広い視野から見られなくなっているのだろうと思う。つまり、会社としてやったことがない事例を質問をされるとパニクっちゃうみたいな。
その結果、ただの質問を敵意として解釈して、一方的に怒り出すみたいな。
あとはね、日本独特の曖昧オブラートがないと駄目なんだろうね。
何に関して知りたいかを合理的に質問するなら、できるだけ余計な挨拶文とか、装飾的な表現はないほうがいい。端的に訊くのが一番間違いがない。訊いてもないことの言い訳などもっての外。
でも、無駄な挨拶文が長いとか、曖昧ではっきり言わない文章で結局ダラダラと何が言いたいのかわからない返事とかよくあるよ。
メールの文章で、その人、その会社の気質ってわかるよね。
で、わたしはラインでもメッセンジャーでもメールでも基本的には端的にしか訊かないし、答えないようにしている。そこに曖昧さがあって、勘違いが生まれたら嫌だから。
そんなクールな言葉は、日本では攻撃されたと思われがちなところはあるよ。
とまあ、そんなところで堀江さんとしては敵意もなく、ただ確認したかっただけなのにいきなり追い出されたっていうことが気の毒に思うわけで。
でもそれは仕方がないとも思う。
相手がそれを理解できないのであれば、もともとどうやったって通じ合えないから。
きっとすぐに怒る人は被害妄想が強いんだと思うよ。