結月でございます。
「酔う」ということは何もお酒だけの話じゃない。わたしは多分、音楽にも酔ってたし、絵画にも酔ってたし、映画にも酔ってたし、パリにも酔ってたし。
芸術鑑賞なるものは要は「酔う」ことなんですよね。
音楽CDを買うのはお酒を買うのと同じ。どんなお酒が美味しいかなと吟味するのと同じく、このCDはどんなのかな、なんて考える。映画も同様。
コンサートを開催するのも自分が聴きたいものを自分でプロデュースできるからで、それは自分が飲んでみたいお酒を作るために杜氏を招聘したりというのに似ている。
そして、できたお酒はたくさんの人に飲んでもらいたくて、チケットという形で販売する。それはコンサートホールでみんなで酔っ払おう!というものなわけ。
とまあ、芸術なんてお酒みたいなものなんですよ。だから、あまり高尚なものとも言い難い。
しかしながら、酔ったことがない人間というのは実につまらないもので、なんというか人としての奥行きに魅力が乏しかったりする。
芸術に限らず、事業に酔ったことがあるでもいい。でも酔ったことがない人間はとにかくおもしろくないんだよね、なんて言うと怒られちゃう?
ただちょっと自分の場合は、ベロベロに酔いすぎたかな、と思う。酔っ払っていた時間がちょっと多すぎたかな、と思う。
そのせいかあれだけ観ていた映画もほとんど観なくなったし、あれほど聴いていた音楽もほとんど聴かなくなった。
ついでにリアルなお酒も量が減ってきて、銘柄の追求なんてしないし、興味はなくなっているけど、喉が渇いたからハイボールを飲む程度。
ある程度の年齢になって、例えば中高年くらいの年頃で急に何かに目覚めてしまって酔いまくる人がいる。
それはきっと真面目に勉強して、真面目に就職して、真面目にサラリーマンをやって、ずっと真面目に過ごしてきて、つまりずっと酔わずにきて、酔うことの快感に目覚めたのだろう。
退職金を大型バイクにぶち込んで乗り回すのもその一例。
わたしの場合はその逆で、今まで真面目にしてこなくて酔っ払ってばかりしてきたから、もうそれに飽きてしまって、これから真面目に生きようなんて思っている。
我田引水すると、そのほうがいいと思う。
なぜなら、人生の後半で酔い始めると、酔うことにウブでありすぎて破滅する可能性があるから。まだまだ酔いたい気持ちがあるのに寿命が尽きてしまうのも精神的には辛い。
でも、そういう酔いの快感を人生の前半でこなしておくと、もう酔いつぶれることがない。それでいて酔ったことによる材料はたくさんあるから、それを種にして真面目に生きるとおもしろいことが創造できる。
とはいえ、ずっと酔っ払いっ放しという人も多くいて、いつまでもお酒ばかり飲んでいる。
ところで自分が酔うより、他人を酔わせるほうが実はおもしろい。
他人を酔わせるには、自分に酔っ払った経験がないとできないんだよね。
さて、酔わないより酔ったほうがいいとは思うけれど、よろしくないのは政治に酔うことかな。
政治家になっちゃうのならいいかもしれないけれど、ある政治を圧倒的に支持したり、ある政治を批判ばかりしているという酔っ払いは良くない。つまり、それは悪酒なんだよ。悪い酒というのはいい酔い方をしないものだね。
あとは宗教かな。自己啓発のセミナーも含めて。そういうのは駄酒だねぇ。
酔うなら美酒でなくちゃ。
でもたとえ美酒でもただ酔っ払っているだけじゃ駄目ってことなんだよね。