結月でございます。
保育園で遊び疲れて早く寝てしまううちの3歳児。早く寝るから早く起きる。
今日も朝5時に起きて、昨日は4時半だった。
ご丁寧にも自分が起きると、隣で寝ているわたしに、
「朝だよ〜」
と、起こしにかかる。
窓を見ると、朝とはいっても、まだちょっと薄暗い。
「ちょっと、アタシ、2時まで起きてたんだよ…」
と、わたしは3時間前後しか寝ていない。
じゃあ、早く寝ればいいじゃないかと言われそうだけれど、もともとわたしは夜行性だし、3歳児が眠ってくれてようやく静かになり、勉強したり、本読んだり、いろんなことができるから寝るのが遅くなる。
しかしまあ、朝方ダラダラして寝坊癖がつくよりも、子供は朝ちゃんと起きてくれるほうがいい。保育園の次は小学校になるわけで、遅刻ばかりするのでは困る。
と、早起きに付き合わされているわたしは早朝から3歳児に時計の読み方などを教える。「時間」という概念を3歳児に教えるのは殊の外難しい。
よく愛娘が「きのう、何某をした」という言い方をする。それは昨日の出来事でなく、数週間前のことだったりして、つまり昨日のことでない。
そこでわかったのが、「過去」を「昨日」にひっくるめているということ。
24時間で日にちが変わる概念がないから、終わったものは区切りなくずっと過去で、それを「昨日」に集約させている。
3歳児に地球の自転や公転の話もできないし、となると時計を見せて時間を教えるのも困難極まる。
しかしながら、「いま、なんじ?」だとか「きょう、なんようび?」と頻繁に尋ねてくるから時間の不思議に気づいているのだろう。
とまあ、そんな早起きのおかげで、朝6時25分からやっているNHKのテレビ体操をやるようになったわたし。
あんなもの、超絶ダサくてバカにしていたのに、今はやってみるとなかなか心地いい。
体がバキバキに硬いために、何をやっても、
「いて〜」
なんて言いながらストレッチ。それでも血行が良くなるのか、体にはいいと感じる。
そして、朝の体操をすると、それだけでは物足りなくなって、スクワットを30回連続でやる。
おかげで今ではこの朝の体操を心待ちにしていて、時間になればきっかりとテレビをつける。
ところで保育園の時間を除けば、ずっと3歳の愛娘と一緒にいる。言葉も覚え、いろんなこともできるようになってきた。
すると、
「ちょっと、アタシに性格、すごく似てね?」
と、思うことが多い。
まるで小さい自分が増えたかのようでもある。
わたしが長年かけて更正した負の性格部分を愛娘に見ることがある。これは困った。せっかく自分が克服したというのに。
自分が苦労して更正した部分だから、このままだとこんな不利益があるとか、このようにすれば性格を変えられるとか、わたしの中にはその資料がたくさんある。だから、庭の雑草は芽が小さなうちに除草剤で処理したほうが後が楽なのと同様に、大きくなったらその性格では困るところは上手に改善を導こうと思う。
しかし、性格って遺伝するものなのだろうか?
子供は基本的に二人の親から半分ずつの遺伝子を授かる。とはいえ、それは遺伝子だから単純なものではなく、それがランダムに絡み合い、無数のパターンを作り上げ、その結果、親が持ち得ないものを持つようになるはず。
だから、遺伝子は受け取っても、その遺伝子で性格が遺伝するとは言いにくい。
それなのに似ている。
人間は遺伝子よりもむしろ環境による影響が大きい。
例えば、昔の中国残留孤児なんて、遺伝子的には完全な日本人だけれど、幼い頃に中国の家庭で育ったがために、大人になって日本に来ると顔はまるで中国人になっている。
やはり環境なのか?
うちの3歳児は、自分が好きでないテレビだとリモコンを自分で取って、
「うるさいから、消すね」
と、ブチっとテレビを消す。
おおぉ!アタシにそっくり!
わたしはくだらないテレビの音が不快な雑音にしか聞こえなくて、うるさいと感じたらすぐ消す。それを真似しているってワケ?
絵本を買ってもらったら喜んで、絵本を読むのが好きなのも、これはわたしが本を読んでる姿を見ているからだろう。
保育園ではふらふらしているらしく、どうもみんなと一緒に揃ってというのは嫌いらしい。
そんなところはわたしの保育園時代そのままで、先生のスピーチは聞かずに、下向きながら地面に絵を描いているような具合。
興味がないことには白けまくって、早く終わんないかなとふらふらしている。
でも、これは大人のわたしが見せた姿ではない。となると、これは遺伝か?
髪ゴムのリボンやシュシュを選ぶときもその色や柄などの趣味も同じ。
ともかく、細かいところをあげるとキリがないけれど、自分に良く似ていると思う。
しかし、本音を言うと、あまり似てほしくない。自分は自分だけでいいし、クズな部分まで似られるのも困る。
それに似たもの同士はおもしろくない。違ったものにこそ興味がわくのであり、その融合が新しい価値を生むのだから。
だから、大人になったら、愛娘からは遠く離れよう。最低限のことだけ関わるようにしよう。
勝手にやるのがいいよ、お互い。勝手にやって自分にしか作られない価値で生きよう。
親のダメなところが似てしまって、それを克服することに時間を費やすなんて馬鹿らしいしさ。
そういうのをイギリスの哲学者フランシス・ベーコンは「洞窟のイドラ」って言ったんだよ。