結月です。
栃木に来てちょうどまる4ヶ月。一年の三分の一の時間が過ぎたってわけ。
とは言っても、栃木生まれでもないし、ここに住みたくて来たわけでないし、東京での仕事をいきなり切り上げて移転してしまった育児的都合のせいか、栃木は土地としては好きであってもアイデンティティはここにはない。
だから、何ら変わりなく自分が異邦人であるという感覚。
さて、毎日保育園への送迎のためクルマに乗っているけれど、こちらに来て思うのは運転が雑ってこと。
雑っていうのは荒っぽいという意味ではない。単純に近い意味かな。ジグゾーパズルでいえば、ピースの数が少ないパーツの大きなものっていうか。
運転が荒っぽくないのは、県民性かもしれない。
気を使いすぎるところもあり、自分でサッとやってしまうことなく、相手に合わせてしまうのか、クルマに乗っていても、
「おい、サッサと行ってくれよ」
と思うシーンでも、あちらがこちらに気を使って行かない。
思うに物事をハッキリと言わない県民性もあるようで、恐縮し過ぎなのだと思う。
田舎だから道が単純。こんな単純な道で教習して免許がもらえるのって、不公平だなと思う。わたしは仮免の公道デビューがいきなり国道4号線だった。そして免許交付がされたその日に自力で走るデビューが川崎から足立区までで、東京都心の渋滞を四時間かけて走ったときはマジで怖くて、緊張で圧死しそうだったよ。
その後も都心ばかり走ったおかげで、多くのことを学んだ。都心は複雑だし、交通量は多いし、つまり運転が上手くなる。
でもさ、田舎って、田舎で免許を取得して、地元の田舎しか走ってないひとが多いので、ピースの数が少ないジグゾーパズルしかしたことないような感じなんだよね。
だから、運転が雑っていうか、注意レベルが低いんだと思うよ。
わたしがいるところは住宅地だけれど、こんな簡単な道なのにちゃんと見てないドライバーが多い。クルマがないと過ごしにくい土地のせいか、東京よりも断然、女ドライバーも多い。やはり比べると、女は男より運転が下手だよ。
女でも上手なひとはいるけれど、確率的にはやはり下手だと思うね。
それはどうしてか?って考えてみた。そのわたしの回答は、
「自動車は男が作ったものだから」
これに尽きる。
男の脳みそで、男の合理性でできているのがクルマ。そして、交通ルールも男の脳みそ的なつくり。女はこういうものは向いていない。女が設計した自動車なんて聞いたこともないし。
とにかく、田舎を走っていると、頭が悪いんだなって思う運転をよく見る。東京のほうが安全だと思うね。
というのは、東京は多くの情報を察知して走らなければならないから、東京を走っていれば上手くなるし、運転に関して頭が良くなる。そしてそれができないひとは怖くて運転をしなくなる。自然に下手くそが淘汰されてペーパードライバーになり、東京では運転が上手なひとしか走らなくなる。
ところが田舎はそうじゃないんだな。簡単なレベルの道しか走ってないから運転が向上せず、頭が悪いまま。そのくせ、クルマは必需品だから毎日走る。こりゃ、危ないよ。
あとは今話題の高齢者が田舎はとても多い。
タイムリーなことだけど、今日、保育園から帰っていつもの道を左折すると、
「ギョッ!何で左車線に車がこっち向いて停止してんだよ!」
初めて逆走車に遭遇し、ようやく逆走に気づいたのがそのクルマは慌ててバックしていった。
それはものすごい高齢者ではないけれど、初老のおっさんだったね。ちなみにつくばナンバー。
高齢者マークをよく見かけるし、運転席にかなり干からびた婆様が乗っていたりすると、やっぱり怖いね。大丈夫な、この婆様…ってかなり警戒しちゃうよ。
頭が良くならない田舎でずっと婆様になるまで走ってきたんだから、これは恐ろしい。
池袋で凄惨な事故があったけれど、高齢者は運転は辞めるべきだと思うよ。しかし、田舎にきてみて、田舎ではクルマがないと何もできないっていう事情はわかるはわかる。
東京は交通が発達しているから、住所によって強制的に免許を剥奪っていうのがいいと思う。東京23区に住んでいるなら何歳になったら免許は返納と決めてしまう。
田舎は基本的に人が少ないので、池袋のように次々とはねるほど、通行人が多い場所はあまりない。それでも地域によっては駅の周辺とかは危ないから、田舎ではあるエリアは70歳以上は進入禁止とか、そういう分け方をするとかね。
人間は年寄りになると強情になるばかりで、何を言っても聞かない。家族が忠告しても喧嘩になるだけだろうし、そこは法的な強制力でやるしかない。
ところが日本て気を使い過ぎてダメなんだな。
この記事にあるように教習所の高齢者講習なんて形だけだし、基本的に誰でもパスできるような簡単な設問で不合格を出さないようにしている。
これは運転だけじゃないよね。
わたしは銀座にいた時、消防責任者講習を受けに消防署に行ったけど、全員合格できるように最初から問題はここが出ますとか言っちゃってるし。
要は法律的に義務付けてはいても、不合格者がたくさんだとまた再試験で手間がかかる。そうなると面倒だから基本的に合格させて、法律的にはパスですよって責任回避してるわけさ、お役所的に。
日本の大学だって、授業に出てなくても単位をもらえて卒業できるのも同じ。
こういうのは中国共産党的にダメなものはダメ、あんた能力ないバカだなからダメ!ってハッキリ言うようにしないと。
ハッキリ言うと失礼かな…っていう文化だから、結果的に何事も曖昧で、遠回しになって本質が失われる。
教育現場でも勉強できない奴にバカって言わないで、「気にしないで!やればできるよ!」みたいな言い方するよね。
いやいやいや、バカなことは気にしろよ! できない奴はどうやったってできないし。
そうやってできないことをしっかりと言わないから、変な希望を持っちゃって、大人になっても厨二病みたいな日本人がたくさんになる。
でも、そういうのって、逆に気の毒なんだよ。できないのに続けちゃうから。
だから、ジジイとババアは統計的に運転はヤバいから、もう運転は禁止ってハッキリと法律でやってしまわなきゃ。中には運動能力に優れたジジイやババアもいるだろうけど、そんな少数派のために多数のヤバいドライバーが野放しになるほうが危ない。
それは個別には対応できないんだから、基本的人権とかクソなことは無視して、抗がん剤みたいにいい細胞も合わせてがん細胞を死滅させるしかないんだよ。
ともかく、東京は人が多くて高齢者ドライバーは危ないし、田舎は人が少なくても根本的に単純な運転しかしてこなかった人ばかりだから危ない。
しかし、日本が抗がん剤的法改正なんてできるわけがなく、だって日本の選挙は年寄りが票田になっているんだもん。結局は自動運転技術の普及を待つしかない。
そうなるまで不幸な犠牲者を出しながら、やりくりするしかないんだろうな。