結月でございます。
コロナの騒動がもはや神経症レベルで、社会がいよいよ病的になってきた気がします。自粛ムードもやる内容が非科学的なところが多いし、手洗いやり過ぎて手がボロボロとか、これって強迫神経症でしょう。
マスクを求めて朝からドラッグストアに並んだりするのも強迫神経症。そんな無意味な買い占めのせいで、病院の医療従事者にマスクが回らないなんて、社会が精神病になっている証拠です。
子供は感染率が低く、発症例もほぼないという統計が出ているのに、感染を怖がって公園に行けないとか、根本的に恐れ方が強迫神経症であり、無知なわけです。
いやいや、もしものことがあるから!なんて考えるのも神経症特有で、それはもしかしたら飛行機の部品が空から落ちてくるかもしれないからヘルメットを常時着用するようなものです。
もちろん対策は必要だけれど、そこはやらなくていいというところまでやってしまう社会になって、神経過敏な異常な状態。
それはテレビの煽りもあり、それは視聴率につながるので、テレビは煽り続けます。
昨日も家に帰るとテレビがついていて、それがコロナウイルスが中国の武漢研究所のものだという内容で、呆れ返ってすぐ消しました。
そういうことは世界最高の保険機関であるWHOが正式に否定しています。しかしながら、この不幸を誰かのせいにしたい人には中国のせいにしたいわけで、しかも中国アレルギーが多い日本人には最高の材料になります。
そんな内容をテレビが扱うと、情報リテラシーが低い人々は信じてしまうので、これまた社会がおかしくなる。
ともかく、こんな無駄な疑心暗鬼がウイルスよりも蔓延しては経済が破綻し、ウイルスで死ぬよりも食えなくなって死んだり、社会を逆恨みした人が通り魔を起こしてその結果殺されたりと、ウイルスよりも人間がデンジャラスになります。
さて、そんな中、コンサートはこれからなくなり、オーケストラも潰れるかもというお話。
一応、わたしはクラシック音楽のコンサートをやってきたりして、ちょこっとやりたい企画も頭にある。
でも、もうそれも叶わなくなるかもしれません。
演奏者たちはもしかして、
「コロナが終われば…」
なんて思っているかもしれませんが、コロナは終わりません。終息はしません。
コロナが終わって、まるでベートーヴェンの第九のラストの大合唱のような歓喜が爆発するようなことをイメージしていると大間違いです。そんなことには絶対にならないので。
ワクチン開発と供給にはまだまだ時間はかかるし、その間、この気持ちの悪い神経症的な社会がな〜んとなく続くでしょう。
つまり、今後もコンサートは開催されない。
コンサートの企画、そしてチケット販売などの準備には最低でも半年はかかります。3ヶ月先もわからない状態では動きようがありません。仮にちょっと落ち着いてきたとしても、また秋から冬にかけてワクチンがない状態で再燃するかもしれない。となると、年内どころか来年の春まで、いやそれ以降も企画を立てることはできません。
プロオケなどは2年ほど前からホールを確保し、日程を組んでいますが、それは開催日が近づくにつれ、具体的にはその1ヶ月か2ヶ月前に公演中止を申し出ることを繰り返すでしょう。
基本的にプロオーケストラは財務状況がよろしくなく、コロナ以前から資金が潤沢なわけではありません。
N響や読売など、母体が財力があるところはまだしも、そうでないオーケストラは公演なしの状況を何ヶ月も耐えうる力はないでしょう。これは飲食店とまったく同じ構造です。
行政が金を出しているところもただでさえコロナで出費が嵩むところに今必要でない音楽のためにオーケストラを維持するお金は出しにくくなる。
なぜなら、救済すべくは生活に直結するところからだからです。
そもそもプロオーケストラの収支はチケット収入だけでは成り立っていなくて、補助金などでようやく回っているという状態。
そこに公演がなされないとなると、オーケストラの存在そのものの意味がなくなってきます。
あとはもし感染が少し落ち着いてきたとして、公演を再開したとする。しかし客は入りません。
やっと再開!と客が押しかけるのは妄想というか、希望的観測にすぎない。
クラシック音楽はお客さんが高齢化しているので、高齢者にリスクが高いコロナとなっては、そうやすやすとホールに出かける気にはならないでしょう。
また、神経症的社会になってしまっているので、もしオーケストラ団員にコロナ感染者が出たとなると、これまた公演を中止せざる得ない。
管楽器などは特にイメージが悪く、ウイルスを吹奏されそうに思われる。
ともかく、オーケストラクラスターなど起きてはいつまで経ってもコンサートなんてできやしない。
オペラのガラコンサートやベートーヴェンの第九やマーラーをやろうにも、声楽の歌手が舞台の前方に立つわけで、すると飛沫感染予防に最前列から5列目までは空席にするなんて処置が取られたりすれば、そんな不気味なコンサートに音楽ファンの高齢者が行くでしょうか? そもそも声楽家はマスクをして歌うことなんてできやしない。
だから、もしコンサートを解禁しても、音楽の禁欲生活を強いられていた音楽ファンが押し寄せることはないです。
それどころか、この過剰な警戒心の中では、万が一、そのコンサートで一人でも感染者が出たらもうおしまいでしょう。
ゼロリスクで頭が社会が病的になっているので、そうなったらオーケストラごと潰されます。
今はプロオケもYouTubeで動画配信したりしているようですが、これも無意味です。こういうことはやればやるほど客は音楽から離れて行く。それでとりあえず満たされるからです。
しかもそれらは無料。オーケストラの収益にはならない。
「音楽を届けたい!」といった音楽家特有のセンチメンタリズムでやっている行動ですが、そのうちそんなことをやっている場合でなくなってくるでしょう。
演奏者も動画なんかで演奏を流している暇はないはずです。自分の職がなくなる可能性が高いことを自覚して、音楽を辞めなければならないことも想定しなければならない。
そうならなければいいですが、旧ソ連が崩壊した時のようなことになるのではないかというのがわたしの予想です。
国や行政がそうしたところで補助をすべきでしょうが、もともと日本はドイツと違って文化が軽く見られてきました。コロナ以前から行政は積極的に文化に金を出すどころか、いかにして出さないかを考えていたわけですから。
文化どころか、国民生活も守ることに行動が遅いくらいな国。どうして音楽を守りますか?
これは日本だけならまだしも、残念ながらコロナは世界的な流行。だから、日本を抜け出すという選択肢もありません。音楽は外国でも通用するというのは飛行機が飛んでいればの話です。
オーケストラの財務を考えて、年内この状態が続くとほぼオーケストラは解散です。もしくは形式的には席は残しておいて、終息したらまた集まろうねという処置になるかもしれない。
今、ちょうど音楽大学生などでデビュー前だとすれば、将来はないかもしれない。コンサートという市場がなければ、演奏家なんていらないのですから。
と、悲観的なことを書きましたが、これは現状からわたしが分析したものです。そうはならないかもしれない。
しかしながら、わたしには希望的観測というファクトから離れた判断はないので、現実の割合が高い考え方をしている方だと思います。
音楽が人を救うとか、そういうお花畑の言葉に酔いしれて希望を抱く状況ではありません。
音楽そのものの仕事がなくなろうとしている。
コンサートホールどころか、結婚式でのBGM演奏ですら無理でしょう。
こんな社会になっては、あまりにも失うものが多すぎる。それはコロナ騒ぎが現実以上の過剰さで、科学的判断とはかけ離れた非科学的なところに神経症的になっているところ、それは効果が乏しいマスクに頼ったり、マスクが必要ないところでもマスクをしたり、行っても感染し得ないようなところが立ち入り禁止になったり休業したりしてしまうことによって起こるものです。
日本の場合、生活習慣が欧米と異なるせいかわかりませんが、それほどの死者は出ていない。その年齢的割合も死者は高齢者であり、40代から若い層にはほぼ出ていない。逆にマスクをしていても感染している。
そうしたところをちゃんと吟味して、何が必要で何が必要でないかをちゃんと考えれば、こんなに閉塞的で、神経症的で、攻撃的な社会にはならなかったはずです。
その結果、文化は死ぬ。
結局は自分たちの首を締めているのは自分たちであって、もうこうなってしまったら行くところまで行くしかなさそうです。
音楽家に限らず、自分の職がなくなるかもしれない現実を見据え、覚悟しながら次はどうすればいいかを希望的観測は排除して考えなければならない時代に突入しました。