結月です。
浙江省は湿度が高い地域。この季節は毎日が雨。土砂降りになることは一切なく、しとしととヴェルレーヌの詩のように雨が降りしきる。しかし、パリの街並みとはまるで異なるアジア色であり、しかし、どんよりとのべつ曇っている憂鬱さはパリと似ているところはなくはない。
そんな中、散歩がてら外食に出かけた。
ちなみに明日は日本でいう大晦日で、だから休んでいる店も多い。
入った店は地元料理屋で、中はガラの悪い数人の常連客たちがひとつのテーブルにいるだけ。ガラが悪いというのは偏見で、こちらの人間は皆、声がデカく、盛り上がると喧嘩をしていなくても怒鳴り声になり、大人しいジャパニーズにはガラが悪く見えるのである。
店で飼っている犬はその男たちの側で寝ていて、その大きさは成人男性ほどある。悠々とした佇まいで、明らかに老犬だった。
その店にはメニューがない。それはこちらでは珍しくなく、食材が載せられた皿を選び、さらに調理法を指定する。
魚料理を希望するなら、リアルに魚を選ぶ。
わたしは猛烈に麺が食べたかったので、
「麺を」
と言うと、
「どんな麺?」
と質問される。
「こんな麺があるけど、どれにする?」
ではないのである。
そこで選んだ4品。
この沢エビはこちらではよくある料理。これは愛娘が気に入ったらしく、3歳のくせに三分の二ほど食べてしまった。
食事を終え、料理屋の裏がちょうど市場だったので、晩ご飯のおかずも買う。
薄暗い蛍光灯が古い中国を感じさせる風景。共産主義の香り。もうこんな場所も少ない。
しかし、今の中国は国家体制は表向き共産主義だけれど、中身はバリバリの資本主義であり、その資本精神はアメリカ以上だと思う。
さて、市場には羊肉や鴨肉などなどの燻製、蒸焼きなどを売る小さな店がある。これらは家で作るには簡単でないから買って帰る。
豊富な野菜。
鯉の干物など。
サトウキビは一本売り。
これは昔、ご馳走になったことがある。湖南省の男が買ってきたのだった。サトウキビの節を丸ごとかぶりつき、その繊維質を歯で裂きながらしゃぶって糖分を吸う。顎と歯が弱いわたしはすぐにギブアップした。
あとは鶏の足。炒めてもいいし、湯がいてもいい。大変な美味だけれど、骨と爪の処理が面倒。
そしてこれは手作りのピータン。
一瞥してスーパーのマスメイドと違ったルックスなので購入。これはうまいよ。
雨の中、はしゃぐ愛娘を抱っこしたりしながら自宅へ戻る。しかし、これまた遠い。歩く。歩く。歩く。
門がこちらにあればすぐなのに門がないものだから、広大な敷地をグルリと回らなければならない。本当は出入り口を作る予定が道路事情のせいで地元政府から許可が出なかったとか。
タマワンがそびえるマンション敷地。
写真の右側の遠くが新居であり、こんなに遠いのに花園と呼ばれるひとつの敷地。門には警備員がおり、カードをタッチすればゲートが開く。
ちょっとランチに出かけたつもりがクタクタの有様。小さな子供がいなければレンタサイクルが使えるのだか…
家に戻ると歩き疲れるもオモチャを買ってもらって大喜びの愛娘のママゴトのお相手。さらに風呂に入れる。
やれやれと思った夕刻。晩ご飯の調理担当はわたしということに決まってしまった!
ちょっとした成り行きでそうなってしまったのだけれど、完全アウェイの中国で、中国料理の本場で、中国人相手に中国料理を作るとなるとさすがにちょっとビビる。
しかし、ここで逃げるわけにはいかない。義母も病み上がりだし、連日の家事で疲れている。
「よし!じゃあ、やるか!口に合うかどうかはわからないが、それも作ってみないと結果は出ないじゃないか」
と、台所に立つ。
しかし、どこに何があるかもわからないし、どんな調味料が揃っているかもわからない。しかも、何を作ろうと決めて材料を揃えていない。そこにあるものだけでやらねばならぬ。
まずは料理ができるよう食器を洗い、まな板を置けるポジションを作る。
冷蔵庫を開けるも、野菜はそれほど種類がない。なぜか白菜だけは大量にある。
そして、見たことがない野菜。どんな味がするかわからない。しかし、見た目で目星をつける。
とりあえず料理になる肉と野菜の組み合わせを考える。これはそんなに難しいことではない。
あとは調味料を見て、食材に応じたレシピを考案する。もちろん料理本はなく、自分のイマジネーションで思い描いていくアドリブなのである。
そして、野菜を切る。
ところが包丁がまるで切れない。だから、包丁を研ぐことから始まる。
そして、アウェイで中華鍋を振り、中国で中国人相手に中国料理を作った。
さらに卵スープと白菜とキノコ料理。合計4品。
最後に作ったものは片栗粉だと思ったものがそうではなく、いまいちとろみが出ない。狙った通りにはいかなかったが、テイストは悪くなかった。
とまあ、こんな有様。
明日の大晦日は神事のための料理を作るのがしきたり。
それをわたしがまた作ることになり、神様のためのお供物料理レシピを教わりながらまたしてもアウェイで中華鍋を振る。
さあ、買い出しに出かけよう。