結月でございます。
ニジマスを釣りに行く公園の近くにはイチゴ農園があり、この季節、イチゴ狩りが賑わう。
そこには農家からの野菜も直売りされていて、特大のほうれん草も130円ほどであるばかりでなく、クオリティが最高で、スーパーで売られるものとはまるで異なる。
というわけで、ほうれん草、小松菜、油菜などをたくさん買う。
すると、冷蔵の陳列台に栃木の郷土料理「しもつかれ」が並んでいるではないか!
栃木研究家(いつの間にか)としてのわたしは「しもつかれ」を見ると買うことにしている。
正直に言って、爆裂にうまい!というものでは決してなく、大昔はこれがご馳走になったんだろうなという観測。
今は物質的にすごく恵まれた時代で、マクドナルドもあればケンタッキーもあり、ジャンクでさえうまい。
そうではなく、明治時代とかそれ以前とか、その当時の日本の状況を考えれば「しもつかれ」は鮭の頭を用いたご馳走であり、それが栃木の郷土料理となったのではないか。
なので、今では栃木県民でさえ、積極的には食べないどころか、
「給食に出てきたときは最悪な気分だった」(栃木県民談)
という扱いで、令和を生きる最新の日本人の舌には合わなくなっているのだろう。
しかし、そういうものにこそ価値を見出すのが研究家という人種であり、栃木研究家(いつの間にか)としては興味深い食べ物。
この「しもつかれ」、作る家庭や作る人によってテイストがまったく違うという。
そこがおもしろいところで、栃木の郷土料理としてあるのに味が統一されていない。
確かにわたしも今まで食べた「しもつかれ」は同じ味というものがなかった。しかし、ルックスは「しもつかれ」とわかる。
原則的に鮭の頭、大根、人参、この3つはマストであるようで、後の味付けは特定されていない。
そこで思ったのが、「しもつかれ」とはハーレーダビッドソンであるということ。
アメリカの大型バイク「ハーレーダビッドソン」は、何が楽しいかというと、その走りというより自分流にカスタマイズすることだとバイク好きから聞いたことがある。
カスタマイズするとメーカーが作り出した原型から遠ざかってしまうじゃないかとわたしなんかは思うのだけれど、自分だけのハーレーを作る楽しさがあるという。
しかし、いくらカスタマイズしても、それは「ハーレー」であることは変わりなく、いわば「俺のハーレー」ということらしい。
おそらく「しもつかれ」もそれと同様で、「しもつかれ」であることの枠は決して壊さないが、テイストは自己流で、もしくはその家庭流で作るものと言える。
だから年に一度、日光で「全日本しもつかれコンテスト」というあまりにもニッチすぎるイベントが開催され、自分流の「しもつかれ」を披露し、来場者が投票する。
ここで、
「ちょっとそれ、おかしくね?」
と思うのは、「しもつかれ」は栃木の郷土料理なのに、なんで全日本と銘打つコンテストなんだよ!という点。
さすがにこれは無理があり、いくらPRしたいと言っても全日本なわけねーだろ!と思う。
それはいいとして、栃木研究家(いつの間にか)のわたしとしては今年はこの日光で行われるイベントに参加するつもりでいる。
さて、今回買ったしもつかれはこんなの。
ふむふむ、ルックスはやっぱり「しもつかれ」。
食べてみると、比較的甘い。砂糖を入れているのかもしれない。
まあ、悪くないかな。個人的にはもうちょっとアダルトなテイストが好み。でも、毎度のことながら食べてみて、
「ビミョー」
な感じ。
これは一体、うまいものなのか、そうでないのか?
さて、そんな「しもつかれ」を食べつつ、今日は3歳の愛娘を連れて、定番の鱒釣り。愛娘は釣り竿に魚の手応えを感じるのがおもしろいらしい。
鱒は数週間来なかったうちに成長していて、どれもサイズが大きかった。今回は12匹も釣ったよ。
早速持ち帰り、家に着いたらすぐにハラワタを抜いて、塩焼きにする。
やはりニジマスは塩焼きにするなら鱗は取らないほうがパリパリに仕上がって美味しい。
釣ったばかりのニジマスを焼いて食べる。これは栃木ならではの美食。
素朴だけれど、鮮度が抜群。
さて、今度、「しもつかれ」を自分で作ってみようかな。中華風にして唐辛子のテイストにしようと思ってるよ。