結月でございます。
とんぼのめがねは みずいろめがね
あおいおそらをとんだから
とんだから
とんぼのめがねは ぴかぴかめがね
おてんとさまをみてたから
みてたから
とんぼのめがねは あかいろめがね
ゆうやけぐもを とんだから
とんだから
なんて歌がある。すごくいい歌詞だと思うんだよね。
トンボの目が水色のなのは青いお空を飛んだからで、トンボの目がピカピカなのは太陽を見たからで、トンボの目が赤色なのは夕焼け雲を飛んだから。
つまりね、今はなんでも説明的すぎるご時世。なんでも事実で説明しちゃう。となると、トンボの目が水色なのは色素がどうとか、トンボの目がピカピカなのは目の構造がそうなってるとか、トンボの目が赤色なのは遺伝子的にどうとかそんな話になる。
トンボの目の色が青空のせいだとか、太陽のせいだとか、夕焼けのせいだとかっていうのは生物学的事実に反することだろうけど、生物学的知識で説明しちゃうとおもしろくもなんともなくなる。
とにかく、ググれば事実はすぐわかるし、ちょっと怪しくてもWikipediaでも事実を調べられる。
それが役に立つことは多々あっても、じゃあ、それでおもしろいのかっていうとどうなんだろう?
わたしは結構、冗談なイカサマを言うことがある。それはあえてそう思ったほうがおもしろいからであり、事実に即していないことだったりする。
でもさ、それを事実で説明されちゃって、わたしの冗談を否定されちゃうとさ、
「あー おもろない」
なんて冷めてしまう。
冗談には「こうあってほしい」という希望というか、おもしろさへの欲望がある。笑いっていうのはそういうところから生まれてくるんだよね。事実からじゃジョークは生まれないわけ。
言ってみれば、文学なんて嘘っぱちだよね。最初から嘘、フィクションを書く。
ところが文学はストーリーは嘘っぱちかもしれないけど、その裏側に人間の事実、いやそれ以上の真実があるもの。だからおもしろい。
上質なジョークもイカサマな話だけど、「人間ってそんなとこ、あるよね!」という真実が描かれる。
トンボの歌はそこまでは深くないけれど、トンボの目が水色なのは青空を飛んだからと言ったほうがおもしろいし、ロマンティック。
その水色の目を考えただけで、大空を飛ぶトンボの視界がわかるようでちょっとドキドキする。
人を迷惑にする嘘っぱちは困るけれど、ロマンティックな気持ちにさせる嘘、人間の真実を垣間見させる嘘っていうのは事実なんかと比較にならないほど価値があるものだと思う。
ポール・ヴァレリーは、
「三つの事実より、一つの美しい嘘を」
と言ったらしいけれど、わたしも美しい嘘派。
なんだか世の中がギスギスしているのは、美しい嘘が否定されて、色気のない事実的説明をされてしまうからなんじゃないかな。
人を楽しませるのって、素っ気ない事実ではなく、ロマンティックな嘘だよ。まぎれもなくね。