結月です。
着物の仕事をしているわたしは着物の話には興味ないんですよね。着物の話をされてもさ、アタシは自分が売った着物にしか興味がないから。要は自分がコーディネートしたり、自分の美意識の結果に興味があるから、自分以外の仕事の着物は自分と異なる他人の仕事だからカンケーねえって思ってる。
あとは着物着たらこんなだよねとか、そういう世間話的トークも全然興味ない。それって感想であって、これまた自分のクリエイティブとはカンケーないから。
じゃあ、どんな話に興味があるかというと、自分が知らないことについてかな、やっぱり。
普通さ、その人に話を合わせようとすると、その人の専門ジャンルのことを必死に話しかけようとする。だからわたしに着物の話をしてきたりする。そういう共感を得ることがいいと思ってるんだろうけど。
でも、こっちは仕事でやってるから、そんなこと話されても特に驚くことはないし、大抵は、
「ふ〜ん」
でしかなく、要するに退屈なわけ。
着物以外だったら、クラシック音楽の話をされても困るかなぁ。わたしと同水準で話せるアマチュアはそうはいないし、いたとしても音楽なんてそれぞれの好みとか感想を言われるだけだから、そんな話を聞いても、
「自分がそう思うんだったら、それでいいんじゃね?」
としか思わないもん。
音楽の初心者に「この曲聴きました!」と言われても、やっぱり、
「ふ〜ん。で?」
としかならない。だって、初めて聴いただけだったらまだそんな深い理解はないに決まってるし、それってただの報告だよね。だからこっちが驚くようなことは言わないのはわかってる。そんな相手にこっちが熱くなることもないし、だからなんとも思わない。
他には絵画や映画もそうかな。哲学や文学のことも話題にされたくない。どうせつまんないし、見解が浅はかだったら腹が立つのも嫌だし。
でも、それらのジャンルでズバ抜けたところまで行っている人の話はおもしろいよ。
音楽だったらN響のマロさんと話たらおもしろいもん。マロさんが、
「メンデルスゾーンは甘え上手」
って話したときは感動したね。そうだ、そうだ、確かにそうだ。メンデルスゾーンは甘え上手だって、自分が今まで気づかなかったことを言われて「なるほど!」って思ったから。
映画なら黒澤明の撮影監督をしていた上田正治さんと話してもそりゃおもしろいよ。何時間でも話せる。
とはいえ、そういった人たちと専門分野の話をすることなんて、仕事とか企画じゃないとわざわざ話さないわけで、普通に会ったら普通の話しかしない。そんなもんだよ。
わたしだけじゃないけど、専門分野を持っている人に話をするためにその専門についての話題をニワカで振っても駄目だから。そういうのはさ、酒好きにお酒をプレゼントするくらい愚かだから。
酒好きなんか馬鹿だから、酒にはすごく詳しい。だから好みもはっきりしている。そこにお酒を知らない人が良かれと思ってお酒なんかプレゼントしても、
「こんなつまんねー酒、飲まねえし…」
みたいになっちゃう。
酒好きがうれしいのは、
「家にあっても飲まないんであげます」
これだよ。気を使わなくていいし、プレゼントみたいに念は入ってないし、それほど好きな銘柄でなくても要らないからもらったで無責任に飲める。
わたしは自分が知らないことに興味があるから、着物とか音楽の話ってつまんない。それらはほとんど開拓しちゃってるもん。
知らないことと言っても関心がないものは興味持てないから駄目だね。例えば、焼き物とか。
わたしは絵画は好きなんだけど、茶碗とか壺とか皿とか、ああいう焼き物の良さってまるでわからない。美術館で何度見てもハートは冷たいまま。何も感じない。皿なんか100均でいいと思ってる。国宝を見ても、
「ふ〜ん」
としか感じない。
興味ないスポーツを見るのと同じ感覚かな。
勝手なものだけど、自分のテリトリーってあるんだよね。そこに収まってないといけない。
自動車の免許を取って3年ちょっとが過ぎた。自動車学校へ通っている頃から見ていたモータージャーナリストの清水和夫さんのダイナミックセイフティテスト。これはまだ見てる。
これはクルマには素人のわたしにとって知らないことをたくさん紹介されるからおもしろい。乗ったことがないクルマでも清水さんの解説を聞いていると、
「う〜ん、なるほど!」
なんてエキサイトする。
特殊な技能や知識を本格的に持っている人の話っていうのはおもしろい。そこがディレッタントとは違うところ。
世の中の人は大抵サラリーマンなので平均的な技能や知識で生きていて、特に日本では抜きん出る人は少ない。だから異動が多いわけで、中途半端なジェネラリストばかりなんだよね。そりゃ、おもしろい話なんか聞けねーわ。
今の自分を破壊してくれるような話がおもしろい。
今までこう思ってたけど、全然違ってたんだー!って目が醒めるようなもの。なかなかそういう話には出会わないけどね。
話に限らない。2015年の5月に初めて奥日光に行ったときは衝撃的だったね。なんじゃ、ここは!とびっくりしたよ。だから今でも行ってる。ずっとパリがいいと思っていた人間の履歴が、奥日光の風景に破壊されたわけ。
ただ、それはわたしにとっての衝撃であるから、奥日光になんとも思わない人はわたしにとっての焼き物と同じ。
去年、北海道をレンタカーで飛ばしたとき、助手席にサロンメンバーがいたけれど、彼女のナビゲーションがすばらしくてびっくりした。車載のカーナビなんかよりも的確でわかりやすく、こんな優秀なナビゲーターがいてくれると、運転ってこれほどまでに楽で安心なんだと初めて知った。あんなに北海道の大地をぶっ飛ばせたのは隣に優秀なナビがいてくれる信頼があったからなのは間違いない。
これなら一緒にラリーに出られるんじゃないかと思ったほどだけど、そういう体験も自分にないものだからおもしろい。
未体験のこと、自分にとっての未知、そういうものを求めると人間はどんどん進化する。でも、知っていることに埋没していると前には進まないどころか、進む時代に取り残されて退化する。
自分の世界を広げるほうがおもしろいって思うけど、思いのほか、現状維持に走る人のほうが多いよね。
だから老けるんだよ。
自分が知らないことに興味があれば、ずっと新鮮でいられる。老けるはずがない。
人に合わせるおべんちゃらなんかやめて、他人が知らないようなことをやるべきだね。
なんて言っても、それを探すようじゃ、すでにアウトなんだけどさ。