結月でございます。
先週の台風で台東区だったかの避難所でホームレスが断られたという話があった。こういうことが起こると、謝らなければならないっていうのは今のトレンドだけれど、わたしは断る気持ちは普通に理解できるのよね。
それが役所的には住民登録があるかないかとか言い訳もあろうけどね。
左翼系の人たちがホームレスの人権云々という批判をするのを見ていると、なんか違うなって気はする。
要するにホームレスが避難所にいたら、くせーし、きたねーし、イヤじゃん!ってことなんだよね。
あとは治安の懸念もあって、ホームレスだからといって犯罪者であるわけはないとはいえ、この時代に働かないでホームレスやってるってどういうことなんだよ!っていう疑問があったり、金がないから避難所で何か盗みでもやるんじゃないかという不安があったりする。
現実はそうでないにしても、人間というのはそういうステレオタイプな想像をしてしまうし、でも実際に窃盗をするホームレスもいるかもしれない。
避難所にホームレスと一緒になったら、わたしみたいな人間だと普段接することがない人を見ると取材精神が沸き立って、いろんな話を興味深く聞きに行くけど、普通はそんなことはしない。
もし2歳の愛娘が一緒だったら、積極的にホームレスに近づこうとしないだろうし、親心として念のため離れておくか、安全に不安があるようなことがあればホームレスは断れって言うと思うね。
左翼系は無理に美談にするところがあるけれど、まずは普通に考えて「くせーし嫌じゃん!」という認識を隠しちゃいけないんじゃないかな。
差別をなくそうとかもそうだけれど、頭ごなしに差別を否定するのではなく、まずは人間の根本的な特性として「くせーし嫌!」という嫌悪感を認めることが大事。それを認めた上で人間としてどう振る舞えばいいのかを考えて行くのが筋。
その手続きがあってこそ、倫理っていうものが考えられる。
今はみんな内心、「くせーし嫌!」って思ってるくせに自分がいい人演出をして、キモいくらいに優しくしたりするよね。こういうのを偽善という。
偽善でなくなるためには「くせーし嫌!」を自分の心にあることをオープンにしてからじゃないとね。
さて、ホームレスを避難所に入れないという処置は近代っていう概念だね。
フランスの哲学者、ミシェル・フーコーに『監獄の歴史』っていうのがあるけれど、要は監獄に隔離し始めたのが近代ってこと。うろ覚えだけど。
つまりそれ以前は犯罪者や精神異常者を分けて考える社会ではなく、変な人がいても共存していたわけ。
ところがそれを監獄という形で隔離を始めた。精神病院、刑務所、強制収容所、そういったものだね。
隔離をすると「そうである人」と「そうでない人」という区分けが発生する。でもこの区分けは今では普通とされている。
例えば、障害者という呼び方。これ、考えようによってはすごく差別的なんだよ。障害のある人のためにと社会は優しくしようと懸命だけど、健常者と障害者に線引きしているから。
だから学校だって支援学校とか障害者と認定された人たちだけを隔離して、そうでない人を普通の学校に集め、互いに接しないようにしている。
広い視野で見ると、人間なんて障害者も健常者もない。さらに言えば全ての人が障害者だと言える。なぜなら完璧な人間はこの世にいないから。
普通の学校に入っていて通り魔をするヤバいのはいる。
人と話すのが苦手っていうのも不完全という意味で障害とも言える。
とにかく完璧じゃないんだから、人間は何かしらうまくできないことを抱えている。だから全ての人が障害者なんだよ。
ところが社会が形成されると、その社会を快適にしようとする傾向が出てくる。なんとなく共有されている快適さを阻害する人間を隔離し始めるわけ。
駐車場に障害者用のスペースってある。あれは障害者に優しくするためじゃないからね。あれは障害者の車椅子などの乗り降りで駐車場が混雑して事故とかあると面倒だから、分けておいたほうが健常者が使いやすいっていう理由だよ。
パラリンピックって趣味の悪いものだと思うね。明らかに分離しているからね。それでいて障害者が頑張ってる!といい人演出してるけど、いやいやそれってすごく上から目線だし。
手足の不自由さは違うかもしんないけど、手足が不自由な人に頑張れって言えるほど、お前ってすげえ奴なの? 人間的に見たら、お前の方が頑張れって言われるほうじゃないの?
だからパラピンピックや支援学校というのは、なんか歪んだヒューマニズムが生まれやすい。
まずは本音を認めることが大事。見て気持ち悪いとか、臭いとか、それは感じちゃうものだから。道徳とはそれを認めた上に発進するものだよ。
でも避難所のホームレスは難しい問題だね。ホームレスの人権って左翼的に主張して、それで避難所に入れたらトラブルがあったとか、食料盗んで逃げちゃったとかあったらね。
そういうことはホームレスだからっていうわけじゃないのに、ホームレスがやってしまうとどうしてもゼロリスクの方向にいかざるを得ない。そうなるとステレオタイプな区分けが必要になってきちゃう。
ただ食生活がしっかりとしていないと思考能力が落ちて、精神に異常をきたすことがある。だから大昔のロシアの農奴とか、まさしくドストエフスキーの小説みたいになるわけで、極端な貧困状態は精神の異常があったり危ないのは事実。
そこを人権という大きな枠組みでひっくるめて「みんな同じ人間だし!」って避難所に一緒にしていいのかっていう話にもなってきちゃう。
かといって、避難所の中でホームレス区域を設けて、さあこっちへどうぞって分けるわけにもいかないしね。でも支援学校ってそういうことをやってるんだけどさ。
どうすればいいのかわたしにもわからないけど、ただ一つ言えるのは避難所でホームレスを一緒じゃ嫌だし、断るっていう気持ちは理解できるってこと。
この人間的事実をスルーして人権を訴えるとパヨクだよ。