結月でございます。
去年からWindowsパソコンからMacBook Proに変えたわたしだけれど、今、ボロくて半死に状態のWindowsのレノボを立ち上げている。それはMacBook Proにエクセルを入れていないから。
アマゾンジャパンとの手続きでいろいろ記入しなければならないものがエクセルで送られてくるため、ずっと使っていなかったWindowsを立ち上げる。
しかし、パソコン自体が古く、しかもかなり使ってヘタっているし、今のネット環境に対応するだけのスペックがないため動作がすごく遅くて、その上、機嫌を損ねるとフリーズしてしまう。
そんな状態でヒヤヒヤしながらデータ入力し、先方にメールで送る。
改めて長年使っていたレノボを触ってみて、よくこんなパソコンで昨年まで仕事をしていたものだと思う。
2016年のマロオケ東京公演のときもこのパソコンで、2000席のチケット管理をぴあやイープラスとウェブを通してやっていた。
初期のユーチューブも動画編集をこれでやっていて、10分の動画のホワイトバランスを変えるのにその処理が一晩かかっていた。
このスペックだと動画編集ができないということでMacBook Proになったわけで、パソコンがスペック的に使えなくなることに時代って進んでいるんだなと思ったりする。
そんな環境なもので、アマゾンジャパンに送るものが遅れてしまったりと、やっぱちゃんと今の時代に要求されるものを処理できる道具がなきゃ駄目なんだなと認識。
これって人間も同じで、時代に見合うスペックや能力を持ってない人材は使いようがない。だから40代でもリストラ対象になるわけ。ITの技術進歩はすごく早いので、まだ30代だって油断してると、五、六年なんてあっという間に経つから、その頃にはリストラ対象になってるよ。
でも、アマゾンってすごくちゃんとしていて優秀な会社なんだなと思う。ITの会社は考え方も合理的だし、問題解決のために情を排してクールに考えられる傾向があるからとてもやりやすい。対応も早いしね。
逆に古い体質のままで、曖昧な人間的なやり取りだったり、その会社だけにしか通じないオリジナルルールで対外にも接するようなところはやりにくい。
とはいえ、合理的に徹しすぎると元来曖昧である人間の融通が利かなくてやりにくいこともある。ちょっとしたことは人間的な査定で処理しちゃったほうが早いこともある。
まあジャンルによるかな。人間的な義理人情を用いたほうがいいやり取りもあれば、ドライに合理的にやったほうがいい場合もある。
その見極めができて、その都度シフトし、バランスを調整できればいいんだけど、双方のやり取りなものはその共通した感覚って互いに持てないんだよね。だから合理的にドライに決めちゃいましょう、そのほうが間違いがないからっていう流れになる。
だから時代としてはIT的合理性というか、プログラマー的発想というか、そっちの方へどんどん進んでいる。これはいいことでも悪いことでもない。ただ古い人間にとっては我慢ならないかもしれない。
わたし自身は結構保守的なところもあるし、義理人情もこう見えても大事にしているところがあり、その一方でIT的合理性で考えるところも多々ある。
でも何か物事を決定する時やその順序を考えるときは徹底して合理的に考えてる。なぜなら、そこに人間的な曖昧なものを持ち込むと決定に時間がかかるし、面倒だから。
思うに基本となる考え方やコンセプトは人間的であるべきで、それを実行する手続きや手段は合理的っていうのがいいんじゃないかな。