結月でございます。
去年の5月までずっと使っていたWindowsのパソコンが秋頃に立ち上がらなくなっていた。
5月からはMacBook Proに換えたとはいえ、Photoshop Elementsで作っていたバナーなどがWindowsだったため、困ったな、なんて思っていた。
でも、移転もあるし、しばらくは Photoshopは使わないと思っていたけれど、ようやくWi-Fiも整い、移転後の情報発信もしなくちゃいけなくなり、ダメ元で古いパソコンに電源を入れる。
これが3度目になんとか立ち上がり、でも動きが末期患者のように悪く、ヨレヨレでクタクタ。
外付けのハードディスクに入れていなかった最新のデータを抜き出し、もう一台のWindowsパソコンに移し替える。
ところがもう一台の方は、3万5千円くらいの安物パソコンで、動きが強烈に遅い。
スペックが低すぎて、Windows10を自ら動かしきれないのか、壊れちゃいないけど立ち上がりに何分もかかる。
これは原稿さえ家で書ければいいやと思い買ったもので、しかしシステムの立ち上がりがあまりにトロく、ネットに繋いでも前近代的なほどに遅いから結局ほとんど使っていない。
今のMacBook Proは起動に10秒かかるかかからないかくらいのスピードなので、やはりパソコンはスペックが高いものを買うに限ると思った。
そして、壊れてないのに遅すぎるWindowsにPhotoshop Elementsをインストール。
これまた遅くて結局、すべてのことが終わるのに2時間以上かかってしまった。
MacBook ProのほうにPhotoshop Elementsを入れようとも思うも、大して使わないものに2万円近くも払うのも気が引けてしまう。
どうせ使うのは動画のサムネイルとか、たまに告知するバナーくらいなもので、最新のものも便利なんだろうなと思いつつ、10年くらい前のPhotoshop Elementsを使っている。
というわけで、立ち上がるかどうかが怪しい末期患者のようなノートパソコンは開かずに済むコンディションになり、サムネを作るときは壊れてないけどスペックが低すぎて立ち上がりが遅いものを使う。
将来的にわたしがサムネやバナーをバリバリ作ることが必要になれば、MacBook ProにPhotoshop Elementsをダウンロードする。
それでもノーマルのPhotoshopにはしないのは、それが月額でメチャ高いからで、
「いやいや、そこまでアタシには要らないし」
そこに金をかけるなら、動画ソフトのFinal Cut Pro Xを入れたい。しかし、まだ動画のほうもiMovieで事足りてしまっていて、これまたわたしが必要性を感じることを考えられたら買おうと思う。
と、このようにツールとは自分が何をやりたいか具体的にはっきりとして、かつそれに対する猛烈なエネルギーがないといくらいいものを持っても無駄ってこと。
逆にやるべきことがはっきりしてさえいれば、どんな難しいソフトでもすぐに習得できる。
これはね、外国語と同じなのよ。
みんなさ、日本の教育の悪影響だとは思うけれど、文法とか単語とか一から覚えようとするわけ。だから日本人は英語すら話せないんだと思う。
まずはその外国語で何をしたいか、というよりその言語が絶対に必要な具体的な環境が必要。それがないのに、ただ英語が話せたらかっこいいとか、そういう動機で英会話とか習いに行っても身につかないよ。
そもそも日本で生活していれば外国語なんて必要ない。
これが地続きの国や国力が弱すぎて海外に出稼ぎにいかないと食えないとかだと、嫌でも英語なんかが必要になる。
例えばフィリピン人でなぜ英語が話せるかって、彼らは英語ができないと食えない国の状態にあるからでしょう?
だから、なんとなく英語ができたらいいなっていうのは、それを習得するには動機が薄すぎる。
海外に生活しなくちゃならないとなると、その国の言語を知らないと生活できないから覚えちゃうけどね。それくらいの動機と必要性が大事ってこと。
ところが日本人って動機が曖昧なのに、一からすべてを覚えようとするわけよ。教科書や単語帳の最初からね。
いや、そんなことやってたらキリないし。
そもそも日本語だって、経済に詳しくない人は経済の専門用語なんて全然理解できなくて内容は意味不明ってたくさんある。でも不自由はしないよね。
それは自分が経済を専門にした仕事をしてないから、そういう生活をしてないから。
でも外国語を一から覚えようとするのは、経済やって文学やって日常会話やってとあらゆるシチュエーションを全部やるくらい壮大なこと。
母国語でさえ、専門外の言葉は知らないんだから、自分が必要とするものを習得すればいいだけなんだよね。
でもその必要性を自分ではっきりさせられていないどころか、そんなもの初めからないのに曖昧で、漠然で考えすぎるから英会話教室は入会費だけで儲かる。
そう言えばさ、着付け教室も同じでだいたい普通に着物着るのだったら帯なんてお太鼓だけ知っておけばいいわけよ。まあ、お太鼓すらできない人が半幅帯に逃げてるってのはあるけど。
お太鼓だけできれば事足りるのに振袖に使うような飾り帯って覚える必要あんの? ないよね?
そもそも飾り帯なんて自分で結ばないし、他人に着付けるにしたって着付ける職業に就かないと成立しないし、着付け師になったとしても振袖なんかほとんど仕事ないから使わない。
あとは半衿交換もさ、あんなの最初から教える必要ないし。だって交換なんて必要性が出たときに後から覚えればいいし、面倒なら金払って職人にやって貰えば済むしね。
それを一から覚えさせようとするから着付けは面倒だなってなっちゃう。
無駄ばかり教えてるのに、無駄なことに真面目っていうか、無駄かどうかすら自分で考えられない人は一から始めて着付け教室にボッタクられるわけだけど。
最終的には社会で何の意味もない着付けの看板なんかすごい金払って取得して、それって教室が勝手に作ってる資格商法ってことにも気づかず、
「馬鹿じゃね?」
って思うけど、頑なに頑張っちゃう人はいる。で、結局どこにも使えないんだけどね。
と、あらゆることは自分に猛烈な欲求、これを絶対にやりたくてたまらない!っていう欲望、それが最初にあるべきで、それなのにそんな気持ちがない人がファッション感覚で技量を身につけようと思うからうまくいかんのよ。と同時に資格商法はウハウハ。
技量を身につけてからデビューしようとか、それ逆だから。
やりたいことでデビューしてしまってから技量は身につけるものだよ。
準備を万全にしないと始められないってみんな思いすぎ。だから行動できないわけで。
結局のところ、準備は万全と思っても始めてみたら想定外のことなんていくらでも出てくるし、それをこなしながら実力がつくわけで。
と、わたしがMacBook Proにたった2万円弱のPhotoshop Elementsすらダウンロードしないのは、自分がそれを猛烈に必要だと思う動機がないからで、これから動画でもっと具体的にこうしたいという企画が思いついて、それを実行してからだと思うから。
それが具体的でないのにダウンロードしたって金の無駄で、どうせ使わない。
自分がやりたい目的のためには金はケチらない。
でも、目的が曖昧で、それがあったら何かできるかな〜みたいな受け身の状態だと金は使わない。
そう言えば、これ、飲み会も同じだよね。
ただの憂さ晴らしで飲むのってつまらないし金の無駄。
この人と飲んだらおもしろいとか、交流を続けていたい!って思うひととは飲むよ。
でも、たまに飲みたくもないのに飲んどいたほうが角が立たないからいいかなみたいなこともあるわけで、こういう気分で飲んでも本当につまらない。社交辞令っていうか、不可抗力っていうか。
とは言え、もう随分、つまんない飲みはしなくていいようになったかな。
お酒飲むのも金はかかるし、時間も取られるから無駄なことはしたくない。
青臭い年齢のときは、とりあえず飲みたい!って感じだったけど、今はやりたいことだけやりたくて、やりたくないことはやりたくないね。
でも、やりたくないことをやらないほうがやりたいことのほうにその分、エネルギーを回せるからパワーが出るんだよね。