結月でございます。
なんだか過去最大級とか言われる台風が通過中だけれど、今回は三連休だったから普通は会社が休みなのは救いだった人が多いんじゃないかな。
でも思うに、日本人ってどちらかと言うと精神論で、台風でも会社に来いっていうところが強くある。
前回の台風では計画運休で駅が大混乱していたけれど、そういう大変な思いをしないと日本人は変われない気がする。無意味な精神論みたいなものをぶっ壊すにはね。
日本はルール化するのが苦手なので、台風でも会社に行くべきかどうか迷ってしまう。わかりやすくルール化されていれば、行かなくて済むのに。
その決定を現場に任せたりと、責任の所在を曖昧にして、願わくば責任あることをしたくないという社会だから、もし会社を休んで何か業務に支障があってそのことが自分のせいにされても困るから無理してでも会社に行っちゃう。
だから前回の経験を生かすには通勤時間に台風が直撃することが必要で、今回のように三連休だと台風の時の行動をルール化するチャンスがなくなってしまい、またしてもうやむやのまま次の台風で心配することになる。
日本社会は考え方が合理的でないせいで、ある程度痛い目に遭わないと社会が変わらない構造。
さて、うちの近所のスーパーも昨晩行ってみると、今日は台風のため営業を17時までにするというアナウンスがされていた。
リアルタイムで現在15時。ものすごい雨と風で、こんな中、どれだけ飢えていてもスーパーなんかに買い物に行く人はいない。
じゃあ、なぜスーパーは17時まででも開けてしまうのか? なぜ客がいないとわかっているのにレジに立つおばさんがいるのか?
そこが合理的でなく、変な精神論、さらには休むことへの恐怖、それは後から難癖つけられる面倒から来るものがあるせいだよね。
予報によれば、夜中までこの雨風は続くのだから、17時に閉店しても従業員は帰れない。店に待機となってもその分の時給は出ない。
コンビニなどもそうだけど、客が来るわけがないのになぜ開けるんだろうね? 一部、閉店するコンビニもあるにはあるみたいだけど、店舗の判断に任せるらしく、本部の責任逃れ感がたっぷり。
こういう時は台風が通過する場所の店舗、その具体的な店舗を決めてホームページで公開するとかすればそのコンビニの評価も高まると思うけど、それをやらない。
目先の利益が減るのが嫌だし、閉めたことのクレームが怖かったりするのだろう。
でも、そういうことはしっかりと管理する立場の本部がやらなくちゃいけないけど、やっぱ日本は上が責任を取らないよね。
結局、店舗の判断に任せて、その店舗も閉めるのは気がひけるからできるだけ営業しようとする。ずぶ濡れになってバイトが出勤する。時給は同じ、特別手当もなし。
しかし、どうせ客が来ないんだから、店を開けたほうがコストがかかる。売り上げが立たないのにバイトに給料を払わなくちゃいけないから赤字。
こんな台風でも店を開けていましたっていうおかしな美徳みたいないもの、いい加減、この国からなくなればいいのにね。少しずつなくなっては来ていても、まだまだある。
商売はお客さんに来てもらって初めて成立する。その客がどう考えても来ない状況下で、つまり利益が出ないのがわかっているのに店を開けようとする不思議。
会社に行っても取引先だって混乱しているのになぜか出社しようとする不思議。そして大幅に時間に遅れて到着し、結局ほとんど仕事できませんでしたとか、もう馬鹿以上のレベルだよ。
サラリーマンの辛さをわかれとか言われると困るけど、そういう傾向があるから根性論はなくならない。みんなこんな台風で外に出たくないんだし、出たって仕事できないんだし、じゃあ、出なくていいじゃん。会社休みでいいじゃん。店は占めていいじゃん。
それを実行できるようなルールを作ったり、情報網を構築したり、そしてそれを発令する責任者を決めればいいのになかなかやらないんだなぁ、日本は。
責任の所在が曖昧なせいで、結局現場で大混乱。下っ端が苦労することになる。
日本人はもっと合理的に、クールに物事を分析して行動を決めるようにならなくちゃ。
組織がそうならないのは結局、個人が合理的でなく、つまらぬ情念で生きているからだと思うよ。
そのアホらしさに気づいて、できる限り無駄な負担をなくす社会になるには三連休での台風では駄目なんだろうな。
逆説的になってしまうけれど、変な根性論がある日本の精神性を壊すにはどうにもならない混乱と被害が続くことが必要なのかもしれない。
一度だけの混乱じゃ、日本人はすぐに忘れてなんの対策もしないから。
昨年の猛暑でエアコンを学校に完備させないとならないっていう議論、どこにいっちゃったんだろうね?
死者が出てお騒ぎして、でも合理的な対策をせずまま、たまたま次は死者が出なかったら進展なくスルーされて、また死人が出れば大騒ぎするっていうパターン。
やっぱ、単に頭が悪いだけなのかもしれない。
それが組織になり、社会になり、国家になり、わかっている人が多数いても個人の力じゃ変化できない巨大なものになっちゃっているのだろうね。