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マロオケ・レクイエムでパラダイムシフト!

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結月でございます。

今日もマロオケ公演のための必要な書類などを準備していた。開催が確定してからというもの、わたしの頭の中には常にモーツァルトのレクイエムが鳴り響いている。今日も朝起きた瞬間、頭の中でレクイエムが鳴っていた。夢でもレクイエムが鳴っているのである。

しかし、今回のプログラムも我ながら強烈で、すごく興奮している。

レクイエムだけで1時間あるし、内容的にも重いものなのに交響曲を2曲もやる。そして最後はこの世で最も美しい曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」で〆る。

レクイエムはオーボエ、フルート、ホルンがない。その代わりバセットホルンとオルガンがあり、不思議な編成だ。

管楽器では交響曲でトランペット、ファゴットは両方あって、そのままレクイエムでも用いられる。クラリネットは38番がないから少し休むことができるが、トランペットとファゴットは出ずっぱり。

これはかなりのハーデストジョブだけれど、一流の彼らならやってくれるし、この公演へのメンバーの気合いが並々でないから乗り切れる。

モーツァルトのレクイエムはいろんな意味でとんでもない曲で、それはいくら語っても語り尽くされることがない。

しかし、公演をする立場で言えば、オーケストラの背後に合唱団が控え、曲のほぼ全般にわたって合唱があり、さらに独唱まである。

そういう風景はベートーヴェンの第九が知られるところであれど、個人的見解で言えば、わたしはモーツァルトのレクイエムのほうがはるかにダイナミックであると思う。

レクイエムと交響曲を比較するものでないにせよ、第九は合唱が最終楽章だけだし、モーツァルトのレクイエムに比べると内容が軽い。モツレクはもっと恐怖で、もっと恐ろしく、もっと重苦しく、もっと内向的で、すぐそばに神がいる。

いくら第九がすごくてもモツレクには敵わない。第九は人間レベルのマックスの凄さであって、モツレクはその人間を越えた神の重圧が漲っている。描かれているステージが違うわけだ。

しかし、その恐ろしさもアヴェ・ヴェルム・コルプスが癒してくれるに違いない。このコロナ禍の中で、レクイエムの恐ろしさだけでお客さんを帰すわけにはいかない。神の恩寵の優しさと美しさが最後に必要だ。

このコンサートをやることに熱気が上がっているわたしは11月22日の太田区民ホール・アプリコでの大感動を思い描き、日々興奮状態にある。

マロオケでモツレクができる喜び。過去に薄っすらと夢見ていたものが現実になる。レクイエムはずっとやりたいと思っていた。それが最高のかたちで11月22日に実現されようとしている。

昨年から苦しめられてきたコロナの日々が終わろうとすることをこの公演でシンボライズしたい。

もちろんウイルスはゼロになる代物ではない。ウイルスを撲滅することはあり得ない話だから。

しかし、コロナに振り回されていた局面からその次の世界が見え始めている、つまりパラダイムが変わる段階に切り替わってきた。わたしはそれを確信している。

だからこの公演に来てくれた人は、マロオケのレクイエムを聴いて新たなパラダイムで生きてほしいと願う。

押し付けがましいものでなく、そうなればいいと思う。人それぞれがどうなるかわかりやしない。音楽に人を変える力があるかどうかも定かではない。ただ、そういうことがあっていいじゃないか。

この公演を誰よりも聴きたい観客はわたしだと自惚れている。だから、ホールの一番いい席には自分が座るつもりでいる。

プロデューサーはそうでなくてはいけない。それくらい惚れ込んでいるからこそ、自信を持ってこのコンサートの来てほしい!と訴えかけられる。

絶対に損はさせない、来てよかったと思ってもらえる、この感動は死ぬまで思い出すことができ、死んでもあの世で思い返すことができる、それくらい大きな価値だから来てほしい。

メンバーもゾクゾクするような演奏者が集まっている。この公演に対しての思いも強い。それはとてつもないエネルギーとなって合唱団と共に爆発する。

その爆発が倍化するにはたくさんのお客さんがいなくてはならない。観客のハートに音楽が共鳴して、それが演奏者のエネルギーと核融合する。すると信じられないような大感動が生まれる。

今は東京が緊急事態宣言中のため、コンサートホールの入場制限があり半分しか入れてはならないと言われている。

しかし、11月はもう解除されて満席にしていい状態になっているだろう。

高齢者が多いクラシック音楽ファンはワクチン接種が済んでいるだろうし、オーケストラメンバー、そして合唱団もワクチンを終えているくらいかもしれない。

これまでコンサートが中止され、演奏者は演奏機会を失い、観客も音楽を体感することができず、中止でなくとも後ろめたい気持ちやヒヤヒヤした思いで隙間だらけの座席に座っていた。

音楽があっても、音楽が躍動できない日々だった。

でも、11月22日は思う存分、音楽に躍動してほしい。

いつまでも悲観していちゃいけない。

現象はたったひとつであり、それをどう見るかで世界が各々の映り方をする。

悲観してしまう薄暗い気持ちは捨ててしまおう。

世の中はそんなに悪いものじゃない。

この公演に来て、弩級の感動を持って帰ってほしい。

そして、最後の曲、アヴェ・ヴェルム・コルプスの美しさに泣こう。

世界は美しい。

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