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LGBTが嫌いならそれでいいし、嫌われたっていいんじゃないの?

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結月でございます。

わたしがあんまり好きでない言葉にLGBTというのがある。そもそも人を特定したり、自分のアイデンティティを語るのにこういう言葉でしかまとめられないのかなって気がするから好きでない。

だって、それってただの一面に過ぎないからね。それなのにそこに集約しすぎで、

「おい、お前は自分がいかなる人間であるかはそれしかねーのかよ!」

と思う。

と、こんなことがあったみたいです。

headlines.yahoo.co.jp

タイトルの通り、レズビアンバーでトランス女性が入れてもらえなかったというもので人権云々なんて話になっている。

わたしは思うんだけどね、LGBTを自称する人も時代の援護を受けて強情なところが目立つようになったなってこと。

主催者が生まれた時からガチな女だけ限定って言ってるんだったら、断られたっていいじゃん、別に。それを人権云々で断ったほうが悪いみたいな風潮って、これは違うって思う。

世の中にはいろんなひとがいるからね。同性愛が死ぬほど嫌いで病気だと真剣に思っているのもいる。

でもさ、相手が同性愛が嫌いだったり、トランスジェンダーが嫌いだったらそれはそれでいいんじゃないの。だって嫌いだって言ってるんだから、それを無理に認めてもらおうと思わなくてもいいよ。

そういうのは程度の低い話で、ピーマンが嫌いだっていうひとに無理やり食べさせるようなものだから。嫌いなのを無理強いする必要はない。

だから嫌われても、

「あ、このひとは、こういうの、嫌いなんだな。失礼しました〜」

って立ち去ればよろしい。

そして嫌われたことを深刻に考える必要はなく、

「嫌いだったら、しょーがないよね〜」

と、それでおしまいでいい。

それをだね、嫌われたことをマジで悩むから暗くなるんだよ。どうして相手に認めてもらおうと思うのかな?

自分のことが嫌いだったら、そこに関わらなければいいだけで、関わらなければ何の問題もない。

それは差別でもなく、ただの好き嫌いだから。

学校や会社でLGBTだからって嫌がらせされたりするのであれば、行かなきゃいいんだよ、そこに。学校なんて無理に行かなくてもいくらでも勉強できるし、そういうことを気にしない会社に転職すればいいだけで。

嫌いな相手を無理に認めてもらおうとするなんてすごい労力だし、時間の無駄だし、相手が嫌なことを好きにさせることも横暴だとも思うしね。

と、着物でトランスをやっているわたしはそのように考えております。

でも、とりわけ嫌がらせとか、嫌な思いなんかしたことないけどね。最初は怖かったし、緊張もしたけど、だんだん開き直って好き勝手やっているうちにどーでも良くなった。それどころか、仲良くしてくれるひとが増えたよ。

なので、LGBTで差別されたとか、嫌がらせされたとかで悩んだり自殺するひとはね、それは単にメンタルが弱いとか、世界観が狭いとか、他人はそれほど何も思ってないのに過敏だったりするだけだよ。

だから、それは根本的な性格の問題であって、LGBTであるかは関係ない。そういうタイプのひとはたとえ自分がLGBTでなくても、他のことでメソメソして悩んでメンヘラになってますから、きっと。

さて、銀座にいた頃は、わたしがこんなだからトランスなひとから着付けは教えてもらえますかと問い合わせがくることがあった。あとは結美堂の日本美人会に入れてもらえますかとかね。

全部断ったよ。

それはわたしがモノホンの女が着る着物美にしか興味がないから。たとえ性転換手術をしても、戸籍の性別が変わっていたとしてもそれは差別しているのではなく、わたしが求めている美ではないから。

結美堂はそういう場所で、そういうところだから断るのは当然。

たとえば、メルセデス・ベンツが好きなひとたちが自分のベンツで集合し、ベンツでツーリングしようよ!っていうイベントがあったとするよね。でもそこにツーリングしたいからってBMWで来たら、

「おい、違うだろ!」

ってなるよね。その程度のことなんだよ。差別しているわけじゃない。そこでの楽しみ方が決まっているだけで、相手の人格を否定しているわけじゃないから。

だから、結美堂や日本美人会に入りたいってトランスのひとが問い合わせをしてわたしから断られてもね、それはわたしが目指しているものと違うから断っただけで、問い合わせをしたひとの人格を否定してるわけじゃない。

多分、この記事にあるレズビアンバーもその程度のことだと思うよ。なのに今は世間がうるさいからなぜか謝罪しなくちゃならない。

そうなってくると、人権を訴える方こそがヤクザに見えてくる。

そうならないために、

「失礼しました〜」

って、お互い気にせず立ち去ればいい。

まあ、LGBTが社会的にマイノリティだとしても、今は石を投げられてぶっ殺されることもないしね。

だから当の本人たちが自信なさすぎだと思うよ。自分自身に対してね。

わたしがトランスで着付けを教えていて、わたしがガチレズで女のことが好きでもさ、それでもわたしみたいな人間が嫌で、わたしからは着付けなんて教わりたくないっていうひとはいるでしょうよ。

でも、それはそのひとの好き嫌いだからいいし、嫌いだったら最初からうちには来ないから会うこともないしね。

逆にそういうのがオッケーで気にならないひととは仲良くできるしね。

自分はこんな人間だから、好き勝手にやりたいように生きてますってやってれば怖いものなんてないよ。

人格が最悪で嫌われるのは改善したほうがいいけどさ、LBGTかどうかなんて人格とは別のことだからね。だから、そもそもLBGTかどうかなんて、それを見るひと、そうであるひと、両者にとってどーでもいいことなわけよ。

どーでもいい中で、それが好きか嫌いかっていう好みの問題があって、好みが違うんだったら関わらなくていいだけなの。

と、わたしは考えているから、LGBTを認めてほしい!みたいなデモなんかは逆に嫌だなって思う。

そんなもん、社会に訴えられても困るよね。

会社に行っても、

「アタシ、トランスでーす」

って、自分が好きな服着ていけばいいんじゃね?

それを冷たい目で見るひとのことなんて無視しとけばいいし、そもそも会社って利潤をあげる組織だから、LGBTかどうかでなく仕事ができるかどうかが重要で、そこで評価されるべきだから、たとえ文句言われても、

「あんた、仕事できねーじゃん」

って言えばいいし、

「仕事に関係あることを言ってもらえませんか?」

って言えば済むんじゃないの。

着付けだって、着付けが上手いことが大事なわけで、わたしがトランスかどうかなんてそもそも着物には関係ない。

モノホンの女が着付けして、それが超下手くそだったら、それって着付け的には何の意味もないわけで。

と、そうやって生きていると、そこに共鳴するひとがちゃんと集まるので寂しい思いをすることもないし、陰口叩かれても耳には入ってこないし、LGBTなんて言葉を社会に対して使っている時点で、

「バカじゃね?」

と思っちゃうわけです。

というわけで、たかがレズか、ゲイか、バイか、トランスかなんてことを気にして傷ついたり、人権に訴えるなんていうのはね、単にメンタルが弱いだけだよ。

本当にそれで鞭打ちされたり、殺されたりするような国や社会ではないからね、日本は。

ついでに言うと、女性同性愛のことをレズと呼ぶと蔑視で、レズビアンと言わなくちゃいけないなんてことが女性同性愛の中では言われてるけどさ、そういうことが馬鹿らしいの。

クレジットカードだってクレカって短縮してるんだから、レズでいいの。

それはその人の心が蔑視しているかどうかが問題なわけで、わざわざ気を使って「レズビアン」と長ったらしいことを言わなくちゃいけないような雰囲気のほうがキモいし、異常だと思うよ。

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