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店の「好み」がある着物

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結月でございます。

先日は東京にレッスンに行く日に合わせて、ささやかなキモノ会。

駒込にある六義園に行き、その後はイタリアンの食事。

わたしが栃木に来てしまったせいで、東京にいた頃のように日程的に自由にならないけれど、たまにはみんなで着物を着るというのもいいよね。

ラインに送られてきたみんなの着物姿の写真を眺めていて、

「いい色合いだなぁ」

と、実感する。

みんな、結美堂の着物で、ああやって集まってみると、色彩が結月らしいなって自分で思うのは当たり前で、だってわたしがコーディネートしてんだもん。着物だけでなく、帯、帯揚げ、帯締め、草履、さらにはバッグまでどこからどこまでだから、「傾向」というのが見える。

一口に言えば、「はんなり」であり、毒々しい色は一切ない。

呉服屋にはどこもその店の「傾向」があって、それは何某好みと言われたりするけれど、そういう店も随分少なくなっていると思う。

「好み」がはっきりとある呉服屋がたくさん廃業したりして、残っているのはわけのわからないレンタルとか、レンタルの延長で販売しているとかそういうところだったりするからね。

それも時代の流れで、着物人口が減っている、つまりレンタルとかそういうものでなく、冠婚葬祭をはじめ、しっかりとした場では着物を着ていくという文化が日本からなくなっているせいで、需要がなくなれば良質なものから潰れていくというわけ。

大きな需要があれば「好み」を主張して、それを好んでくれる人だけを相手にしてもやっていけるけれど、需要がなくなれば販売の絶対数が少なくなるので「好み」だけではやっていけなくなるし、生き残るには手当たり次第になんでもとなって今のようにグチャグチャになる。

そんな中、結月好みをやっていけるのもわたしがマルチプルな人間で、着物以外でも仕事できるからだろうね。それに自分が好きでもない毒々しいものなんかに手を出してまで着物に携わろうと思わないしさ。

と、着物はその店の「傾向」を残すことすら難しい時代にこうしてみんなが集まってくれたらその傾向が見ることができ、また着物を売るだけでなく、その人に合ったコーディネートをして、さらに着付けも教えて、着付けもやってだから、そのような着姿を見られるのはうれしい。

好みの着物を販売するだけでも楽しい仕事だけれど、着付けも教えて、着付けもするっていうのは最初から最後まで「好み」でできる。

いくら自分がいいと思う着物を販売しても、それをどこかの美容院なんかに頼んで、その着付けがクソだったら結構悲しいものがあるっていうか、

「いやいや、そーじゃないの!!」

と、演劇の演出家さながらにヒステリックになってしまいそう。

着物っていうのは柔らかいものだから、柔らかく着付けるのがいいとわたしは思う。

ところが昨今の着付けは、着物の下にタオルやらわけわかんないものを詰めに詰めて着ぐるみにはれぼったくなってるし、色気のある人間的なシワを無理に決して不自然だし、帯はまるでブリキ板のような有様でとても織物に見えない。

まさしくガンダムのモビルスーツ状態であって、ああいう着付けは人間的に間違いだと思う。

ともかく、そんな時代に結美堂ならではの柔らかではんなりな着物姿を眺めていて、自分の世界が体現しているその風景に、

「いいね、いいねぇ」

と思いながら眺めていた。

それだけでなく、着物を着れば着る人も嬉しいから、自分だけの嬉しさだけでないから着物っていいんだよね。

また年内、忘年会を兼ねてやってもいいかななんて思ってます。

 

今度こそ、能楽を観に行きたいね。

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