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ひとつじゃ駄目だけど、いくつかでいい境地

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結月です。

この1年以上、ほとんどのものに興味がないっていう状態で、内面も物質的にもミニマリスト化しているわたしですが、かと言ってしらけているわけでもない。

今までは人並み以上の興味と好奇心で積み重ねてきたものがあるとちょっとは自負していて、その反動が、つまり膨張する宇宙がいつかは収縮して行くと言っちゃうと大げさだけど、なんかそんな感じなわけでして。

大好きな音楽もそれまではいつだって音楽が生活の中で鳴り響いていたのに今はごく稀で、でもそれはやっぱりモーツァルトで、たくさん音楽を聴いてきて、結局モーツァルトばかりになって、そしてサントリーホールで最高のモーツァルトをやって、そしたらモーツァルトもしばらくは聴かなくなって、今やっとちょっとは聴くようになったのはやはりモーツァルトだってってこと。

音楽に関しては、モーツァルトとあとはバッハがあればもういいかな。スパイス代わりにベートーヴェン。

食べるものにも興味ない。2歳児がいる都合、ひとりだったら見ないテレビをつけたりしてみると、どのチャンネルも食べ物の特集をやっていて、一体、テレビを見る層ってどんだけ食い意地が張ってんだよ!と思う。

食べるものには興味がなくとも、2歳の愛娘がいるから料理はちゃんと作る。自分のためじゃなくて愛娘のために作るから、美味しいものはできあがる。

しかしながら、いくら興味がないと言っても、たったひとつじゃ飽きてくるっていうのはある。

明日は東京にレッスンなので、クルマで往復で200キロほど走るけれど、いつもの愛車、メルセデス・ベンツではなく、もう一台のアウディで行く。

それはたまに動かさないとバッテリーも上がるし、それに明日は荷物があるから。

そんなアウディを乗ると、ベンツとはまるで違った走りで、好みで言えば一も二にもなくベンツだけど、アウディもたまに乗るといいななんて思っちゃう。それくらいテイストが違っていて、ステアリングは過敏なほどクイックだし、エンジンの音もちょっぴりマッチョで低音を利かせるし、これはこれで楽しいななんて思う。

そんな風に最高のひとつがあっても、たまにはそれと違ったものを味わうのは悪くないなって思う。

クルマと同じように多分、セックスなんかもそうで、いつも同じ相手じゃいけないんだろうな。

と、そこまで関心はないけれど、程よいセフレがいて、お互い後腐れなくっていうのはいいことなんだろうなってことがわかり始めた。

不倫となると、後腐れなくがなくなってしまい、実にドロドロとしたものになるからよろしくない。

要するに一張羅が良くないんだろうな。

数多くの選択肢を持っていながら、それを選んでいるというのはよくても、選択肢がないそれだけっていうのは惨めになる。

選択肢を持っていて、どれがいいものかという審美眼みたいなものがあればいい。けれど、それを得るには膨大な無駄と消費をしなければならない。

結局モーツァルトがいいよねっていうのは、わたしが膨大な音楽に関わってきて、そして残ったものがモーツァルトだっていう意味でね。だからよくオススメとか訊かれて、訊かれれば「モーツァルト」って答えるわけさ。で、勧められてモーツァルトを聴いてくれるのは嬉しいけど、モーツァルトだけしか聴かないっていう人が多くてさ。

いやいや、そうじゃないって。なんでそう簡単に正解を求めるかな? どうしてもっと好奇心を燃やして無駄をしないのかな?

無駄を費やすと自ずと選択肢が広がる、そうするとモーツァルトでないかもしれない。その人にとってはブラームスかもしれないし、マーラーかもしれない。

そうやって自分にとって最高のひとつは何かという境地にたどり着いて、その上で過去の消費の中から得たあといくつかのものがあればいいと思う。

着物にしたってさ、クオリティはいいものをたくさん持っていても、お気に入りのひとつって出てくる。それがいいんだよね。全部いいものなんだけど、でもこれが一番好き!っていう気持ち。

そして、一番好きなものを着る回数は多くても一張羅じゃみっともないし、飽きてくるからたまに別のものを着る。すると、それも悪くないんだけど、やっぱりお気に入りを着ちゃうみたいな。

だからわたしの着物も気に入っている着物って、もう裾がボロボロだもん。裾がボロボロって、まあ普通のひとはそうならないけどね。かなりの回数着ないとそうはならないから。

で、お気に入りのものを超えたい!って思うわけよ。これよりももっと気に入れるものってないかなって。そういう探求があっていろんな試行錯誤をする。そのプロセスを経ると、いつの間にか、自分が結構、博識になって、審美眼が身についている。

超えたいっていう探求をしながら、やっぱり超えられなかったっていうのが本当のお気に入り。着物なら裾がボロボロになった訪問着だし、音楽ならモーツァルト。わたしにとってはね。

悲しいかな、着物はもう直せない。修復不能だし。でも音楽はCDだからよかった。劣化しない。これがSPやLPレコードだったら擦り切れてもう駄目になってる。

とまあ、それだけ今までにいろんなことをやって、しまいには興味がない人間になってしまったのだけれど、それはベクトルが変わったということ。

吸収する興味から放出する興味に完全に切り替わったというわけで。

すでにあるものよりも見たことがないものに興味がある。

見たことがないものを他人に期待するよりも自分で創っちゃったほうが早いしおもしろい。

見たことがあるものに関しては、ひとつじゃ駄目だけど、いくつかで十分っていう感じなんだよね。

でもそれはクオリティの悪い安物ではなく、上質なものというのが当然。

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