結月でございます。
なんか、こんなことになっているみたいです。
津原泰水って作家が百田尚樹の本をツイッターで批判したら、出版予定だった文庫本を幻冬舎が出すのをやめたって話のようです。
ちなみにわたしは津原泰水って作家は名前も知らなかったし、百田尚樹の本はそもそも読むわけはないので、両方のことは詳しくは知らないです。
そこに幻冬舎の見城社長がこんなことをやらかしてしまって、面倒なことになっている。
さすがに実売数をネットで公開してしまうと、「この作家、売れないからやめといたほうがいいよ」みたいなことを喧伝されるから作家にとって不利益だし、読者にとってもいいことはあまりない。
しかしまあ、文庫を出すのを諦めたっていうのは、経営的にはわからなくはないんですよ。
例えば、結美堂という着物を販売する会社があって、そこには京都のいくつかの業者さんとの付き合いがある。そのいくつかから着物を仕入れたり、制作をお願いしたりするわけだけれど、もしその一つの業者が結美堂が制作を頼んだ他の工房のことをツイッターで悪く言われるとこれは困る。
だって、結美堂としてその着物がいいと判断して制作しているのに、同じ取り扱い業者がイチャモンをつけてくるとそれを買ったお客さんは気分が悪いよね。
とまあ、こういうことが幻冬舎の中で起きているわけで、それは結美堂と違って大勢の社員が携わっているからさらにややこしくなる。
結美堂みたいにわたしがひとりでやっているとそういうことにはならないけどね。わたしは人付き合いが下手だし、人をまとめる才能もないし、人からとやかく言われるのが嫌だからひとりでやって、自分がいいと思うものしか扱わないようにしている。
しかし、幻冬舎にはそれぞれの担当編集者がいて、それぞれの本を編集して、出版社としてリスクを背負いながら本を出している。
そこに会社として出版している別の作家がネットで同じ会社の本を過激に批判すると、社内でその作家の担当編集者の立場がなくなるっていうのはすごくよくわかる。
まあ、悪口言いたくなるような本かもしれないけど、会社内の事情もわかってやれればそんな大人気ないことはしないんだけどね。
で、他の作家たちからも幻冬舎の対応に批判が出てるけどね。でも作家って経営のことはわからない人たちばかりだから。書く立場での理解しかなくて、サラリーマンの悲哀みたいなものや経営的にどれだけ大変かというリアルはわかっちゃいない人ばかり。
そういうことがわかってれば、たとえ百田尚樹の本がクソだとしても黙ってるよ。わたしがその立場なら黙ってる。そんなことをしたら編集者が気の毒だしね。
そういうアダルトなことが言えるのもわたしが一応、自分で経営をやってる経験があるからなんだけどね。
とはいえ、作家って基本的に人格的におかしいのがやるわけで、作家にそういうアダルトな常識を求めるのも難しい。いや、現実的にはちゃんとそういうところをわきまえた作家だけが残っていくものだけどね、よほどずば抜けた才能がない限りは。
こいつ、超絶トラブルメーカーだけど、小説を書かせたら超ド級だわ!ってくらいの力があれば、何やっても許してもらえるよ。
これは音楽界も同じでさ、例えばヨーヨー・マくらいの超ド級になればコンサートを突然キャンセルしたって許してもらえるっていうか、それだけのリスクを負ってでも主催したいって思うよ。
でも、見城社長がやらかしてしまいたくなったのところを見ても、多分、津原泰水っていう作家はそこまで超ド級じゃないんじゃないかな。
すげえ大物だったら百田尚樹の本をボロカスに言ってもオッケーなわけよ。
もし今、三島由紀夫が生きていて、
「この本は類い稀なる駄本である」
と言っても、多分、
「ありがたきお言葉、ありがとうございます!」
ってビシッと直立しちゃうよ。
つまり、会社として部数を稼げない作家が部数を稼いでいる本の悪口を言うから見城社長的には腹が立つわけで、この気持ちは経営者としてはよくわかる。
ただ、世の中はそういう視点を持った人よりもサラリーマンや消費者として生きている人がほとんどだから、どうしても理解されない。だからここは社長も黙ってスルーがよろしく、中途半端に関わらないのがいい。だから、文庫本も出しておけばよかったと思う。
だって、部数の少ない作家のツイッターなんてそれほど影響力はないわけだし、そこはうまくまとめて両方の編集者の立場を守るのがよかったんじゃないかな。
わたしは出版って、「広場」(スクエア)だと思ってる。
広場ってさ、弁当食ってる奴がいたり、噴水で水遊びしている子供がいたり、屋台があってホットドッグを売ってたり、いちゃついているカップルがいたり、スリもいるかもしれないし、ホームレスが寝ていたり、自殺を考えてベンチに座っているのがいたりさ、いろんな人たちがいるでしょう? 十人十色の人生がそこに無秩序にあるわけよ。
それと同じく出版はいろんな考え方の人がいて、いろんな人生を歩んできた人がいて、高貴もあればゲスもあり、ロマンもあれば現実もあり、美もあれば醜悪もあり、とにかくいろんなものが集まっていて、それらを発信するものだと思うわけ。
だから、百田尚樹の本がクソだとしても、そういう風に考える人間もいて、それを批判する人もいる。批判するってことは批判されることにもなるからお互い様だしね。それくらい出版は広場のようにいろんなものがあってよく、あとは読者がどう捉えるかであってね。
なので自分の本を出してくれる会社が出版している他人の本を執拗に悪く言うのはどうかとも思うし、それを上手に広場にできなかった幻冬舎もどうかなと思う。
そもそも作家として他人の本をどうこう言う時点で暇なんだろうし、自分の世界を描くことで精一杯な作家は他人の本なんかどーでもいいと思うよ。
そういうのは批評家とかに任せておけばいいわけで。
もし百田尚樹みたいなのが気に入らなくて、そういう世界が嫌なら、そうでない世界を小説で描くのが作家というもので。
というわけで、見城社長が実売数を公表する粗相があったせいで、幻冬舎のほうが分が悪い感じだけど、経営的に考えればそんなにおかしいとも思えないし、多分、そこに至るやり取りは非礼なくきっちりとあったと思う。
そういうビジネス的な常識のやり取りができない作家がいて、面倒なことになってしまったんじゃないかな。
そして最終的には部数もない作家を相手にどうしてこんなことまでしなければならんのだという気持ちになってしまったんだろうな。
でもほんと、作家がいくらアウトローな職業だとしても、ビジネス常識がないと扱いにくくて仕事はなくなって行く。
というのはわたしは音楽で経験していて、大した演奏もできないのに偉そうな奴とかね、会ったことあるよ。
「いやいや、お前なんかをプロデュースしねえし!」
という感じでね。
ぞっこん惚れ込むような演奏をする人だったら、多少の面倒でもやろうと思う。
そもそも出版に反対していた作品を書いた作家に自分の会社の売り上げを立ててくれる本を悪く言われたら、そりゃ、社長としてはムカッとくるのは当然でね。
だから実売数を公開したのはその作家を陥れようとかじゃなく、単に「俺の気持ちをわかってくれ!」という反射的なものだったと思う。
でも、やはりそこは広場だからってスルーしておけば面倒は大きくならなかったかな。