結月でございます。
毎日、夕刻になると保育園へ愛娘を迎えに行く。
ちょうどそれは月が出始める頃で、黄昏の色彩が混じり合う空に白い月がある。それを見つける2歳児は、
「あれ、みて〜」
と、指を指す。
先日、夜にスーパーへ行った帰り道、愛娘を抱っこして歩いていると、
「つき、つき、みて〜」
と言うから空を見上げると、月が雲から出たり入ったりしていて、それを2歳児はじっと見入っている。
わたしはその様子を見て、
「この子は大丈夫だ」
と思った。
美しいものに目が行き、それを感じられるのであれば大丈夫。
庭に咲く花を見ても、
「おはな、いっぱい〜」
と言いながら花を摘み、小さな花をわたしに見せるようになった。
実はこんな些細なことでもできない人間、つまり美しさに不感症で、何も感じない人間はとても多いのである。
美しさに見入る感性がないと、人間は粗雑になる。心に襞がなく、些細な心遣いもできない。
美意識や芸術的な感性は直接的には生活に必要でなく、金にもならない。しかし、それがないと人間は奥行きが出ない。優しさがなく、身勝手になってしまう。
そう言えば、今話題の国会議員、北方領土を訪れた彼などは美意識のない粗雑な人間の典型なのかもしれない。
東大を出て、官僚になれるほど一部分での頭はいいのだろうけど、心に襞がないから考え方も単純で、奥行きがない。
しかし、たまたま政治家だから目立ってしまっただけで、彼のような粗雑な人間は実に多いのである。
それは政治的意見のみならず、人として粗雑で、何も感じず、優しさの欠片もない人間はいくらでもいる。
そうなるとトラブルも多くなり、ひととの衝突が絶えず、誰からも信頼されなくなり、ますます荒んでいってしまう。
だから、金にはならないけれど美意識とは大事であり、芸術はできなくとも少なからず美しいものを美しいと感じ、美しいものを見入ってしまう感性はあったほうがいいのである。
わたしは月や花に見入る愛娘を見て、今がチャンスだと思った。恐るべしスピードで様々なものを吸収している2歳の今、美しいものをたくさん見せておこうと思う。
その具体的な経験は大人になれば忘れてしまっているだろうけど、美しさを感じたその波動は残り続ける。その経験があるかないかで、彼女の将来が大きく変わる。
2歳のうちに何に接するか、それでどんな人間になるかが決まってくる。
美しさを感じられる心の襞があれば、どんな小さなことでも捉えられ、世界を広められる。
世界観が大きくなれば、あの議員のように偏狭な視野の狭さしかない人間にはならないだろう。
そして、美しさを感じられれば、それを他者に伝えることができる。
美しさを吸収するには大人になってからでは遅い。美しさを感じられない大人は何を施しても心が石化してしまって美しさは入らないのである。
だから、愛娘には美しい色彩、美しい音色、あらゆる美しさを体感させ、上質で、高貴な心を持てるようにする。
それがあれば善悪の判断も身につき、いい仕事ができるようになる。
さて、あしかがフラワーパークは保育園からクルマで1時間ほどで行ける。ちょうどバラが見頃になり、きばな藤が満開らしい。
あしかがフラワーパークは、夜はライトアップされ感動的だから見せる価値はある。
生後4ヶ月のとき、一度連れて行っているが、いろいろ言葉も話すようになり、美意識も芽生え始めたからまさしくこれからで、何度も連れて行っていいだろう。
あと付け加えれば、小さい頃から美味しいものは食べておくのがいい。不味い料理はそこに美味しいものを食べさせたいという愛情がこもっていないし、それも粗雑な人間に育ってしまう要因になる。
手料理とはそこが大事なのであり、食生活が粗末だとやはり心に襞はできないのである。