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【ノートルダム寺院火災】パリが燃えてしまった…

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結月でございます。

ノートルダム寺院が燃えてしまい、涙を流すパリ市民もという記事を読んで、わたしも涙を流してしまった。

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ニューヨークのテロで貿易センタービルが倒壊したときは、一体なんのことだかよくわからず、その翌日、わたしはパリへ発つ予定だった。

熊本の震災で熊本城がかなりの被害を受けたときは、少し悲しかった。熊本城は市の中心にあり、熊本の象徴であるし、大学の二次試験を終えてそのまま熊本城へ登った思い出がある。

天守閣から眺める熊本の街並みを見て、しばらくここに住むことになるのかなと思いながらも試験の結果次第だからスッキリしたものではなかった。

その後、熊本に住むことになり、一度も熊本城には行かなかった。住んでしまうとわざわざ行かないもので、東京にいて東京タワーに上らないのと同じ。ただ当時のホテルキャッスルの最上階にあったバーからはライトアップされた熊本城が目の前にあって、それを眺めながらよくマティーニを飲んだ。

テロや震災を火災と同一線上には語れないけれど、ある象徴的なものが被害を受けるという意味において、当時行ったこともなかったニューヨークのことより、住みはしたけれどその土地が好きかと訊かれたら、あまり好きではないと答える土地よりも、大好きなパリの、そしてよくその寺院の前の広場でハイネケンの缶ビールとサンドウィッチを食べながら、セーヌ川の方を眺めていたその場所のほうが大切に決まってる。

まるでホームレスのようにノートルダムの前でビールを飲んでいたときもあれば、パリの高級老舗レストラン「トゥール・ダルジャン」で名物の鴨料理を食べながら、今回、焼け落ちてしまった尖塔を見ながら、ワインを飲んだこともある。

広辞苑ほどあるような分厚いワインリストを開き、ソムリエのアドバイスを聞く前にワインは「シャトーヌフ・デュ・パープ」を選んだ。

パリではサンミシェル大通り界隈のカルチェ・ラタンにいて、シテ島へ向かうためいつもノートルダムはわたしの風景の中にあった。

さて、議員のパーティーで「復興よりも大事なのは◯◯さんなので」と支援する議員の名前を言ってクビになった大臣がいるけれど、そう言ってしまうその気持ちはわたしにはよくわかる。

自分が直接的に関わっていない土地の震災よりも自分が支援する議員のほうが可愛いのは仕方がない。その土地への思い出や思い入れがなければリアルにその復興を考えられないのは誰だってそうで、きっと日本人の大半がそうだろう。

ただ、国会議員として、大臣という立場でそれを馬鹿正直に言ってしまった頭の悪さがあるわけで。

あのひとは多分、すごくいいひとなんだと思う。頭が悪くて、正直で、面倒見が良く、だから頻繁に人前に出る役職は合わなかった。

と、そんな理解は示しつつ、わたし個人としてノートルダム寺院が焼けたのはとても悲しくて、心の中にある自分の思い出が燃えてしまうことはなくても、またパリを訪れたとき、その姿がすっかり変わってしまっていることを思うと悲しくなる。

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しかし、不思議とどの国でも寺は燃える。法隆寺だって燃えているし、金閣寺だって燃えている。

今では古くなった佇まいでも、それは数百年前に燃えて再建したという寺も数多くある。

心霊学的には火災は浄化作用とも言われていて、もちろん全ての火災がそうであるわけでないにせよ、そういう意味合いがある。

寺のような人の念が集まりやすいところは燃えやすいと心霊学的には言うことができる。

さて、ノートルダム寺院はいつも改修工事をしていた。フランソワ・トリュフォーの映画などにふと見えるノートルダムは真っ黒に汚れているけれど、今はその汚れも落とされて白い外壁。

わたしがパリをうろうろしているときは、ちょうどのその清掃をしていて、足場が組まれていた。そして数年後に訪れたときは、すっかりきれいになっていた。

もう20年近く前になるかな。ノートルダムの写真。

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この頃はまだ当然スマホはないし、デジカメだってようやく出てきたばかりで、これはソニーのデジタルハンディカムの写真機能で撮ったもの。ハンディカムもまだテープだったよね。

当時は映画ばかり見ていた。本ばかり読んでいた。今思えば壮大なインプットの時期で、だからこそ何をやりたいかはっきりしないくせにうずうずとし、いつも不機嫌だった。

20年ほどかかって、これでもようやくその毒っ気も抜けてきて、やりたいこともはっきりとしてきて、あの頃の自分と裏表の整合性が出てきたかなって思う。

と、すっかり聴かなくなっていた音楽だけれど、今、わたしはモーツァルトの交響曲第34番を聴いています。

 

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