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小麦の奴隷が真岡市にオープン

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結月です。

堀江貴文さんのオンラインサロンから生まれた「小麦の奴隷」、ものすごい勢いで店舗が増えているけれど、なんと!栃木初の店舗が真岡市にオープンしたのである。

早速カーナビで調べてみると、うちからクルマで10分。真岡と言っても益子のほうかな。

知っている道だけど、恐ろしく田舎なところ。ところが小麦の奴隷は田舎でニーズをつかんでいるらしく、なるほどスーパーの見当たらないような場所であるから、イケたパン屋は目立つし、近所にいる人は買いに来る。

それに小麦の奴隷はカレーパンが名物で、他のパンも品質がいいと聞くから、都会のど真ん中に出店するより田舎のほうがいいという戦略はうまい。

と、今度、パンが好きな愛娘を連れて買いに行ってみよう。

栃木に来てわかったことは、栃木は食に関してはかなりレベルが低いということ。令和の時代にまだ昭和時代そのままの店内で、メニューも昭和という飲食店が普通にある。

とちテレでリポートされるような店も一見洒落ているように見えても、地方の洋食屋という域で、セブンイレブンのレトルトのほうがうまそうと思えるハンバーグにレタスとトマトが添えてあったりと、要するに洗練されていない。

土地というのは何が栄えるか、その地政学的なもので説明もつくが、食はやはりある程度都会化する条件がないと栄ない。あとは流通であり、例えばフランスのリヨンは美食の街として知られるが、それは地理的にイタリアやスイスに近く、いい食材が集まる流通があったからである。

そういう意味で栃木はただ通り過ぎる場であり、各地から食材が集まる拠点にもならず、また歴史的にもド級の大名がいたわけでもなく、文化が栄える条件は揃っていない。

あとは産業であろうか。大きな産業がその土地に興ると人が集まり、食文化が栄える。なぜなら、食が商売になるから。

なので、栃木のグルメは土地柄的にお粗末だと言ってしまえる。

B級グルメが少しあるが、唐揚げをソース焼きそばと絡めるとか、そういう発想でちょっと勘弁してほしい。さらに言うと、そこに目玉焼きが乗っかったりして、ああ、絶望…

しかしながら唯一、栃木の食で超一流のものがある。それは蕎麦。栃木の蕎麦は大変うまい。

まず、鹿沼などで上質の蕎麦粉が採れる。そして、唐揚げ入り焼きそば&目玉焼きといった洗練度ゼロの県民性とは真逆なほどに蕎麦を打たせると見事。

そば打ちは栃木人のメンタリティに合うのだろうか。

栃木全土で蕎麦は打たれているようだが、有名なのは鹿沼と日光であろうか。

日光は水がいいので蕎麦がうまいのかもしれない。

しかし、わたしにとっての栃木の蕎麦ナンバーワンは、栃木市出流町にある「いづるや」である。ここの蕎麦は絶品中の絶品で、採石場の果てにあるという辺鄙な立地であるのにいつも行列ができているほどの人気。

というわけで、どうやら栃木は蕎麦以外に関しては、本気で料理が下手、センスなし、というボロカスな結月評価であるが、これは事実である。

とは言え、これほどまでにセンスがなくて、それゆえに徹底的にダサい飲食店は東京的価値観からすればレアな驚きであり、ネタ的にはおもしろい。しかしこちらの人はそれをネタとしてやっていなくて自然にやっているのであるが。

日本のことはあまりたくさん知らないけれど、わたし自身の経験で言えば、メシがうまい場所は、まず大阪。食い倒れの街である。

大阪は商いの町であるから、洗練されたというより、安くてうまいというノリ重視なうまさがある。そして、古くから都市であるから、文化が栄え、それに伴って食も栄える。

大阪のうまさは「だし」ではないか。すなわち「旨味」。大阪には旨味がある。

都として絶対的地位の京都の食文化の洗練は異常なほどである。まさに歴史である。

大阪のように一口食べて、うまいわー!というノリではなく、京都は美的であり、食だけでなく、そこにもてなしの文化が重要視され、もはや京都の食は食べることだけの話ではない。食の中に文化の総合力がある。

そして、熊本。熊本も実に食べものがうまい土地である。味付けは濃いめであって、洗練さはそれほどでなくともセンスの良さがある。なんだかよくわからないけど美味いのはセンスのせいだろうと思う。

九州では福岡も美食の土地柄である。玄界灘もあるし、食材がいいのだろう。いい食材が手に入る地理条件があれば自ずと食文化は栄えるし、都市でもあるから人の交流も盛ん。

そう言えば、一度だけ行った新潟の佐渡島もおいしかった。とにかく食材がいい。食文化として栄えるほどの人口はいないが、食材のよさが卓越している。

とまあ、わたしが知らないだけで他にもたくさんおいしい食がある土地はあろうが、代表的な郷土料理はあれど、その土地全体に食文化が栄えていて、洗練されていて、センスがあって、うまいものを作る気質がある土地となると思いのほか少ないように思う。

そういう観点では、食は京都、大阪であろうか。

東京は全国からうまい料理人が集まるから、もちろん日本一の美食の街だと言えるが、元来の食文化としての東京はそれほどのものでない。京都、大阪のように食文化が歴史的に根付いているような雰囲気は東京にはない。

そんな京都と大阪であるが、美味しさには大きな違いがあって、大阪は、

「わしが食うてうまいもん、あんたも食うてうまいもん」

というまずは自分が食べてうまいものという自己中心がまずあって、そこから他者へ派生するおいしさ。

京都は、とにかくお客さんに喜んでもらえるもてなしのためのおいしさの探求という視点が色濃く、だから自己の厚かましさがない。

だから、京都でばかり食べていると、たまには大阪で食べたくなる。大阪でばかり食べていると、京都で食べたくなる。羽目を外したり、お行儀よく楽しんだりと振り子のように心は違う方向に振れながら両方を求める。

とまあ、そんな上方で育ったものだから、栃木の食がセンス皆無、料理が下手なことにボロカスになってしまうわけで、ついでにいうとそんな批判精神も上方ならではである。

「こんなん、あかんわ」

「なに、あほなことやってんの」

「あかん、あかん、あかんもんはあかん」

「こんなもん、どないせえちゅうの?」

「やる気ないんやったら、やらんでええ」

などなど、上方というのはそういうものの見方をする。

とは言え、栃木にいてそんな上方カラーを出すこともなく、わたしは寛容である。唐揚げがソース焼きそばに絡まって、余計なことにその上に目玉焼きが乗せられようともわたしは文句は言わない。心の中では、

「あのな、焼きそばに唐揚げ絡めてうまなる思とんのか? どういうセンスしとんねん。それにこの目玉焼きなんやねん。焼きそばに合うわけないやないか。そんなこともわからんのか。だいたいな、発想が貧乏学生やねん。料理したことない学生が下宿に住むようになって、やけくそで作ったようなもんやで、これは。こんなん食べるんやったら、焼きそばUFO買うて食べたほうがマシやわ。なあ、あんた、こんなんで金取るの?」

なんて思っていても、口にはしない。

なぜなら、わたしはもう食にはこだわらなくなったし、まあいろんな土地にはいろんなものがあるわ、と構造主義的考え方をするから寛大なのである。

ところで、唐揚げを絡めたソース焼きそば&目玉焼きは食べたことがない。以前、とちテレで見ただけである。

だから、実在はしている。もちろん、わたしは食べには行かない。

栃木はやっぱり蕎麦。蕎麦が絶品。

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