結月でございます。
栃木に来て、約3ヶ月。
やっぱ駄目だわ、田舎。田舎はアタシには合わん。クソつまんねー。
と、そんなことは最初からわかっているスペックが都会人のわたしは、田舎では自分の才能を発揮できる場がないことにちょっとイラついている。
今はネットがあるから情報発信自体はできるとはいえ、やっぱね、わたしみたいな人間は都会でないとニーズがないよ。
だって、わたしは今まで人を不良にすることを仕事にしてきたからね。
「ユー、これ、やっちゃいなよ」
と、一皮剥けない人を剥いちゃうことをやってきた。そんなクソつまんねー人生やってていいの? お前、バカじゃね!?ってことを言ってきた。
でもさ、田舎って、そういう一皮剥けたい欲求がある人がいないんだよね。
つまり、一皮剥けたいっていう気持ちは都会的なものなんだと思う。
「あー マジ、東京に戻りたいわ!」
なんて言いつつ、愛娘のシャンシャンを見ると、
「デへッ」
としている。
シャンシャンのためには栃木がいいと思う。自然も多いし、過ごしやすいし、保育園はよくしてくれるし、不満はない。
シャンシャンを東京で育てるとなると、それはそれで嫌だね。遊ぶ場所もないし、建物が密集しすぎていて、ダイナミズムを培えない。
東京出身だと、事業などでもあまりすごい人っていないんだよ。地方出身者のほうがエネルギーがある。やはり、東京に小さい頃からいると、それが当たり前になって一旗揚げようっていう精神が培われないし、自分に対しての驚きがないんだろうな。
という事情もあり、すぐに東京に戻ることはないとはいえ、東京でなきゃ、わたしは存在価値がない人間。
田舎でくすぶっているこの気持ち、熊本に4年いた時と少し似ている。熊本でもやりきれなくてイラついてた。
でも熊本の時と異なるのは、栃木のことは好きだってこと。熊本は正直、好きじゃなかった。土地のナショナリズムが強すぎて排他的で、よそ者は居場所を作ることができないから。すごく嫌な土地だった。
とはいえ、熊本にもお世話になったし、好きなところもあるのだけれどね。今はなんとも思っちゃいない。
しかし、このイラつきがいいのかもしれない。不満がないと人間は爆発できないから。
事業はどうやって誕生するかって、それは不満から生まれる。ついでに言うと、芸術もね。
それは社会に対する不満でもいいし、自分自身に対する不満でもいい。
強烈な不満がない人は起業になんか憧れず、大人しくサラリーマンでもやっとけ。
だから栃木の田舎で自分の才能が生かされない不満を溜めに溜めておくことっていいことかもしんない。
いや、やりようにとっては自分の才能を栃木で活かせるんだよ、多分。まだ3ヶ月で、見つかってないだけで。
でもやっぱ、自分は都会の人間だと思う。
先日、保育園から8キロほどのところにある道の駅でモツ煮込みを買った。屋台で出している店で、一度買ったらおいしかった。するとそこのオヤジから、
「こっちの人じゃないでしょう?」
と、言われ、
「そう。ちょっと前に東京から越してきた」
と、答えると、
「そうだろうと思った。雰囲気も立ち居振る舞いも違うもん!」
そりゃ、そうだよ。田舎モンと一緒にすんじゃねーよ。
と思いつつ、わたしはあのオヤジのことが好きで、モツ煮込みを買っている。
ともかく、栃木はいいところだし、土地のナショナリズムもないし、住みやすい。だから離れたいとも思わない。そして、再び東京に住みたいかっていうと、そこまで強烈には思わない。だって、銀座にも住んだし、今更ね。
だから、栃木で過ごしながら、東京で才能を発揮できるようなことを考える。そんなことをやっていたら栃木でもおもしろいことはできるんじゃないかな。
栃木に来てから小説も一本書いたし。これは東京での生活じゃ、できなかったかな。
これからもう一本書くかな。愛娘が眠っている間にね。