結月でございます。
今日は循環器内科に朝から行っていて、採血されながら看護婦のおばさんと話していた。
わたしは一年半前に東京から栃木県真岡市に来たわけで、それもいきなりで、ちょっと不本意なところがある経緯ではあった。とはいえ、栃木は肌に合う土地だし、それほど不満はない。
ただ、都会人のわたしにとっては、田舎というのは寂しいというか、退屈というか、要はわたしみたいな人間にとってやることがあまりないというか、もっと言えば、必要とされないのであって、居心地はよくても自分の能力や才能が発揮されるようなところではない。
でも、ずっと東京にいて、まあかなりやりたいこともダイナミックにやったし、今はコロナでダイナミックにやりたいことがあったとしてもやれないだろうし、そもそもわたしみたいな業種はコロナ状態の中では何もできずに経費だけかかって廃業まっしぐらだったのは間違いないから、コロナ前に栃木に来たことが、結果的にはものすごくラッキーなことだった。
さて、栃木県真岡市にはあちらこちらに病院がある。またわたしが住んでいるところはこの田舎では住宅地であり、人口が集まっている場所だからなおさら、病院が多い。
東京にいる頃は、ほとんど病院へ行かなかった。銀座にも病院はあったとはいえ、仕事していてわざわざ行く気になれなかったり、自宅近辺だって歩いて20分かかるなどかなり不便だったから。
大学病院など大きなところとなると地下鉄を乗り継ぐ必要もある。
ところが真岡市はクルマでの移動が基本だから、自由自在に好きなところに行ける。そして真岡市自体が小さいし、その中心部となるとクルマで移動が10分以内となり、それで病院が多く、ほとんど全ての科が揃っている。
また駐車場が田舎ゆえに大きく、クルマをとめる場所のことを気にかけることがない。
これが東京だとまず駐車場の確保が大変で、しかも有料で高い。町医者だと駐車場はないから、それゆえに徒歩での通いになり、それが億劫で病院が疎遠になる。
というわけで、クルマを手にし、田舎のくせに病院が一通り以上揃っているこの地に来てから、わたしはすぐに病院へ行く人間になった。
さて、どうして真岡市に病院が多いかというと、これは近くに自治医科大学があるから。
その町に医大があるかないかは大変重要なファクター。
なぜなら、そこの卒業生がその近辺で開業するからであり、医大がない地域はどうしても病院の数は少なくなる。
さらに医大があるということは、医科大学附属病院もあるわけで、高度な治療も確保される。
例えば、わたしの聖地である奥日光。あそこには将来住みたいと思うけれど、あんなところに住むとちょっとしたことで病院へ行こうにもあのいろは坂を下りなければならない。それでいて日光市中心といっても病院は少ない。だったら、宇都宮まで行かなければなんて話になり、これは大変。
というわけで、栃木県真岡市は自治医大のおかげで、しかも医者として開業してもまあやっていけるだけの人口があるから病院が多い。
おかげさまで、病院には行かなかったわたしが軽い気持ちで何かとすぐ病院へ行くようになったのはこちらに来てよかったことかもしれない。
東京にいると、毎日ピリピリしながら最前線で仕事する。だからどうしても病院へ行こうとは思わない。待合室での時間がもったいないし、待つほどの時間がなかったりする。それはサラリーマンでも同じだろう。いや、サラリーマンのほうが会社に時間を束縛されるからもっと厳しいように思う。
クルマが使えないがゆえに、病院が疎遠になる東京。
なんてことを看護婦さんと話しながら、
「こちらに来て一年半経つけど、まだここには馴染んでないっていうか、違和感があるのよね」
と、わたし。
「いいとこですよ」
と、看護婦さん。
「まあ、住むには最高にいいね。保育園も広いし、子供にとっても環境はいいし」
と、わたし。
「でも、ここではね、わたしは必要とされないし、わたしが提供できるものってないのよね」
とまでは口にせず、胸の中つぶやく。