結月でございます。
ちょっと春っぽくなんてきた今朝、いつものように保育園まで愛車を走らせる。
ルームミラーで愛娘の顔を時折見ながら、
「可愛いね、あんたは」
なんて思っている。
親バカではなく、うちのシャンシャンは顔が可愛いのである。客観的に見て、可愛いのである。
それは目にあって、ちょうどハーフ&ハーフで、切れ長はわたしに、そして縦の大きさはもうひとりにあって、
「やっぱり女は目なんだな」
さて、今日、こんな記事があった。
記事によれば、上野のパンダ、シャンシャンは生後24ヶ月で中国に帰らなければならない。
それは日本で生まれても、国籍は中国だし、親が中国から出向で来ているようなものだから。
でも24ヶ月経っても、シャンシャンは中国には帰らないと思うよ。よほど政治的な衝突がない限りは。
中国政府だって日本で絶大な人気のシャンシャンを協定に則って無理に引き上げることで日本との友好関係を失う愚行をやるわけがないし、そういうところはとてもクレバーな国家だからね。
たかがパンダ一頭で経済的な損失を招くことは彼らは絶対にやらない。それに中国本土でパンダの繁殖は成功しているので、それほど緊急性はない。
というわけで、上野生まれのシャンシャンは死ぬまで日本にいると思うよ。
と、言っとくけど、うちの愛娘シャンシャンは上野のパンダよりも先に生まれていて、わたしが名付けたからうちのほうが先輩なわけ!
まさか漢字も同じになるとは思わなかったけれど、こんなことならパンダの名前の公募の時に申し込んでおけばよかった。
さて、うちのシャンシャンは日中ハーフだけど、国籍は日本。血は半分半分でも法律的には日本人なのよね。
というわけで、末長く日本で、なんてことに思われそうだけれど、わたしはそんなことを思ってなくて、中国でも活躍できる人間になってほしいと思っている。
なぜなら、日本はすでに将来がないし、日本語なんてできても人口減を伴いつつ、世界の中で1億人ちょっとレベルでしか通じない。でも中国語ができれば世界の4分の1を網羅できる。
そして経済的にも、テクノロジー的にも中国が世界の中心だから、シャンシャンが大きくなったとき、中国で活動できるってことは大きなアドバンテージなわけです。
さて、春めいて来た中、保育園からクルマを走らせると気持ちがいい。
栃木の風景はなんとも心地よく、言って見れば自分に合ってるんだな、これが。
わたしは栃木が好きなのは、フィーリングとしてであって、具体的にどうってものはない。
敢えて言うなら、
「海がない」
ってことがいいのかもしれない。
わたしは海が苦手で、怖いし、泳げないし、前世で海の浅瀬で殺されているし、海が好きでないわけよ。
ところが栃木は内陸で海がなく山ばかりで、海から隔てた安心感がある。
そんな栃木の特徴としてわたしが捉えているのは、
① 美人がいない
② 料理の才能がない
③ お笑いセンスがない
④ 真面目すぎ
⑤ 全てがノーマルである
といったところで、要はおもしろくもなんともない。
と、ネガティヴなことばかり言ってるのにどうして栃木が好きかというと、わたしが、
① 美人にはすでに興味がない
② 洗練された料理に興味がない
③ 不真面目は自分だけで充分
④ アブノーマルは自分だけで充分
だから。
もう面倒なのは「いいッス!」なわたしは栃木のダサさが心地いい。しかし反面、その一般的ウケの悪さのせいで都道府県魅力度ランキングで万年下位なのだろう。
わたしはミニマリストの傾向がますます深まるばかりだし、美食も散々やって、今更、すごい料理なんて興味もわかず、それより家で猫と一緒にスーパーで買うカツオのタタキでも食べてるほうが幸せ。
美人だって、今まで着物を通してたくさんの人を美人にしたし、そうでなくても美人はたくさん見てきたけど、いくら美人でも中身に文化がないと話すこともないし、耽美主義者としては美人は好きとはいえ、猫を見てるほうがいい。
また、栃木は恐ろしくお笑いのセンスがない土地で、そのリズム感の悪さは「ガッツ石松」や「ザ・たっち」がわかりやすいと思っている。
そのセンスのなさがかえって、「とちテレ」というシュールを結果的に生み出しているわけで、狙っていないダサさに魅力を感じている。
そのリズム感のなさのせいか、栃木のひとはノーマルすぎるほど真面目で、はみ出ることがない。球速90キロとストレートという具合で、身構えることがいらない。
10年前の自分だったら、きっとこんな土地で住むと発狂したに違いないのに、今はとてもすみやすく、心地がいい。
さて、栃木でわたしはたった一度も美人を見たことがない、と言われるとネイティヴに怒られそうだけれど、それは事実であって、それは地勢的に血が交わらない場所であるからだと思う。
美人が生まれる条件は明らかに血が交わることであり、それは遠方同士であればあるほどいい。
例えばウクライナなど、ああいった場所は歴史的に混血にならざるを得ないはゆえに美人が多いのだろう。
栃木は東京、もしくは江戸に近いがために、とりわけ都市文化が発展する必要もなく、むしろ徳川家の避暑地といった役割が強い。
それは今でもそうで、東京から距離にしてわずか100キロ。それゆえ、遠方の人は最初から東京を目指し、栃木には訪れない。東京から近いのに自然にスルーされる場所にあり、他府県との混血は生まれにくい。
あとは東京から100キロでも人との交流がないため、洗練されることがなく、垢抜けることがない。テレビ番組としてもその状態がとちテレとなっていて、あの独立感たっぷりな個性になっている。
とまあ、そんな分析をしていて、今まで求めてきたものの真逆なものばかりの栃木だからこそ、むしろ新鮮さがあり、好きな理由なのでしょう。