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働かなくていい時代はまだまだ先

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結月でございます。

日本はかなり遅れているけれど、中国なんかではAIは本格的に実用のレベルに入っていて、社会が大きく変わっている。

そんなAIは日本も周回遅れであっても導入される時代は来るわけで、よく言われる「AIによってなくなる仕事」というのは現実になるでしょう。

堀江貴文さんなどはそれをはっきりと予言していて、わたしもその通りになると思う。AIによって働かなくてもいいようになるだろうし、それを見据えたこともやっておかなくちゃいけないって思う。

ただ、堀江さんは先に進みすぎるほど先見が冴えているから、それが今すぐそうなるとは言えない。ライブドアがフジテレビを買おうとしたときもほとんどのひとが堀江さんがいうインターネットとテレビの融合みたいなものは理解できなかった。でも今は現実となり、堀江さんの言う通りになっている。

結局は現実的な社会が追いつくまでのタイムラグがあるから、AIによって社会は変わるけれど、今すぐってわけではない。だからそれを真に受けてしまうと困ったことになるひとも多いように思う。

つまり、先見性を生かせるくらいのひとならよくても、それがない凡人が真に受けると今ある仕事も失って路頭に迷うなんてことになりそう。

三島由紀夫もそうで、自衛隊に乗り込んで演説したけれど、三島が危惧した日本に今はその通りになっている。しかし、あの当時にそれを理解できたひとはほぼ皆無だったに違いない。

それでもそこに同調して楯の会に入り、三島と一緒に自決したひともいる。

だから、そのタイムラグを理解しておかなきゃいけないわけで、しかしそれを理解できることが難しい。

それゆえに何にせよ、このままだとこうなる!という警告は何の効果がないと言える。

そのときのならないと大半の人はわからないから。

そしてほんの一部のひとだけが、それを予測して前もって対策を準備し、クライシスを逃れられる。

しかし、働かなくていい時代とは、今の価値観での「働く」がなくなるという意味で、何かしら人間は働き続けるのではないかと思う。

もっと言えば、働いているつもりがない時代、だろうか。

今でも好きなことをやって食えていれば、働いている意識はないんじゃないか。事実、わたしも起業してからは仕事をしている意識はあれども、働いているという気持ちはない。

きっと「働いている」とは雇われている立場のことなのだろう。

自分で仕事をしていると大変なことばかりで、これだったら手堅く雇われ人になって固定給をもらうほうが楽なんじゃないかと思うことはしばしば。でもそれをやろうとは思わない。もう思考がそうなっているから仕方がない。

仮に雇われ人になるなら、そこで金をもらいつつ、スキルや情報を得て自分の仕事に使っちゃおうという魂胆があって、結局自分の仕事にしてしまう。

スキルや業界のノウハウなどを知るには就職しちゃったほうが早い。自分でゼロから始めるよりね。

でもほとんどの人は雇われたままだけに終始しちゃうから、次のステップがないわけ。

会社なんて自分がやりたいことのノウハウを金をもらえてゲットできると考えたら、最高な場所だと思う。

自分がやりたいことが具体的にないから、毎日会社へ行くのが嫌になるんだろうけど。

さて、働かなくていい時代は間違いなく来る。遠い将来だけどね。

今やっているクソつまんない仕事なんて、AIが代わりにやってくれて、しかも人間がやるより正確で、さらにコストがかからない。そうなると単純労働とか、そういう仕事から人間は解放される。

そうなると自分の仕事がなくなる!なんて心配するようではアウトかな。

そんなクソな仕事がなくなることを喜べないようじゃ、社畜状態から抜け出せない。

思うんだけど、左翼的なヒューマニズムみたいなものって、クソつまんない労働を尊いものとして美化しているような気がする。それは本当はひどい仕事なのに、その雇用を維持することがいいことだと思っているんじゃないだろうか。

それはともかくとして、残るのは本当に人間でしかできない仕事、人間がやるからこそ価値があり、プライスがつく仕事だろうね。

会計士とか、そういうのは真っ先になくなるだろうね。あとは内科の医者とか。でも内科は医者の利権の塊なので、その意味でなくならないかも。本当はAIがやったほうがいいだろうけど。

音楽の演奏ももしかしたらなくなるかも。

AIにさ、往年の演奏者たちの音の出し方をディープラーニングさせて、精度のいいシンセで音を出せば、生身の奏者が演奏するよりおもしろい芸術をやるかもしれない。ピアノは一番やりやすいだろうね。

そうなると、プロ奏者を目指す必要もなくなってくる。なれるかどうかわからないようなものに人生を賭けることはしなくて済むんじゃないかな。

将棋の場合は結局、人間同士の闘いがおもしろいってことでコンピューター同士の対局は流行らないけど、それはコンピューター同士だとあまりにもレベルが高すぎて、アマチュアが観戦するのに理解が追いつかないから需要がないってことだと思う。

しかし、音楽は音が鳴っていればいいのだから、それを耳にして感動すれば成立する。いい演奏なら人間である必要はない。

ただ、そうなるのももっと先の話だけど。しかもそれをやるだけのニーズがあればの話。

つまり、技術的にできてもニーズがなく、AIを導入するより人間のほうが安上がりなら人間がやっているということ。

人間がやったほうが安いっていう仕事も残るだろうね。

でも、そんな仕事はしたくないから、AIにできることは任せて、好き勝手に楽しく生きたいってわけで。

それが「働かなくていい時代」ってことなんだと思うよ。

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