結月でございます。
先日、栃木にいるときに日産のゴーンさんが逮捕されたというニュースをテレビで見て、ちょっとだけびっくりしたけど、それも数秒だけで、すぐに無関心。
だって、アタシの愛車は日産じゃないし。
仮に日産のクルマに乗っていても、会長職の人が逮捕されても自分が乗るクルマには関係ない。
ゴーンさんが何をしたのかよくわからないし、会ったこともないし、50億円を自分の懐に入れていたとしても、アタシに還元されるわけないし、やっぱカンケーないんだよねー
と、いつの頃から、わたしは無関心な人っていうか、自分に関わらないことには本当に興味がなくなっています。
そうなるとケッコー楽で、だって自分が関わらないことに関心を持って腹を立てたり、ゴーンはひでえ奴だとか思うこと自体が時間の無駄だし、そーいうことはやらないほうがいいんだなって思うんですよ。
ここでも何度かわたしが音楽に興味がなくなったって話はしたけど、それは他人の演奏に興味がないわけで、他人の演奏を聴いてウンチクを垂れたり、
「いいね!」
なんて言うのがバカらしくなったというか、そんなことより自分の世界を築いたほうがおもしろいって気がするからです。
創作活動って、どうしても他人の影響を受けやすい。多分、演奏家だって誰かの演奏に影響を受けて自分の演奏を作ったりするし、小説だって憧れの作家がいたらどうしてもそれっぽいものになりやすい。
でも、それが本当にオリジナルかって考えると、そーじゃないんじゃないかって。
「真似ることから始めろ」
とか言う人、結構いるんだけど、いつまでも真似たり参考にしたりしていてもつまんないんじゃないかな。
だから、無関心の塊で、自分の興味にあることにしか興味がないわたしはなるほどオリジナリティを生み出すのになかなかいい精神状態なんじゃないかという気がします。
そんなワケで、無関心ってか、興味がないっていうわりに自分がやりたいことにはすごい興味があるという状態になっていて、今まで取り込んできたものが形なく消化されて、すっかり栄養として吸収したんだなってことでしょう。
なので、音楽に興味がないっていうか、他人がやる音楽に興味がないだけで、音楽をやるときは他人の演奏を素材として使って自分が築き上げたい音楽空間を作るとか、そういう方向になっていくと自分で予測しています。
まだそれが具体的でないだけで、アイデアが具体的になったらコンサートをやるかもしれないです。
それは今までのやり方でない、もっと別世界のものとして。
とまあ、この世に起きている現象のほとんどは自分にカンケーないことばかりであって、どこかの国で飢餓で死者がたくさん出ていようが、本来はカンケーないです。
だって、それに関心を持っても自分では何もできないから。問題が大きすぎてね。
ちっぽけな自分にはどうすることもできないから、そっちの世界で何とかやってもらうしかない。冷たいようだけど、口先だけで支援を訴えても、現実はどうにもならないから。
「じゃあ、あんた、何できるんだよ?」
って話になる。
それよりも人間は自分が今、こうして生きていることで目の前にあることを一生懸命やるしかないから。
他人のことを憂えたり、腹を立てたり、批判したり、そういうことは実は自分には関係ないことだから。
まずは自分のことをしっかりやって、そして自分に本当に関係ある人のことを大事にしよう。
というワケで、ゴーンさんが逮捕って大半の人には関係ないです。その話題のテレビを見る時間が無駄であって、そんな時間があるなら好きな本を読むとか、勉強するとかしたほうがいいんですよね。