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コンサートをプロデュースすることとは

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結月でございます。

今年ももうひと月半ほどで終わってしまうのですね。マロオケ船橋公演が今年で、あれからまだ半年と少ししか経ってないのにどういうわけが大昔のことのように思います。

公演が終了して、わたしが生演奏どころかCDでさえもまったく聴かなくなって、バイオリンを教えはしていても、音楽的な感動からすっかり遠のいてしまっているからでしょうか。

子供の頃からずっと音楽だけはやっていて、いつも、毎日、音楽だけは欠かさず聴いていて、音楽を聴かない日はこれまでになかったというのにもうぱったりと聴いていません。

クルマを運転するときも、助手席にはCDが置きっ放しのままで、それをかけることはないです。

このように音楽がない日々を過ごすのは、小学生の中学年のとき以来だから、たった半年前の船橋公演のことが大昔のように思えるのでしょう。

とりわけ音楽が嫌いになったというわけではなさそうです。嫌いという感情は自分の中にはないので。

どちらかと言うと「飽きた」に近いでしょうか。

というか、吸収しつくしてしまって、もう聴き続けても自分に新しいことがないっていうフィーリングでしょうか。

音楽史の中で、わたしが最も愛する曲、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」をサントリーホールで、国内最高のサウンドのマロオケをやって、もうこれ以上に望むものがないって気がして、大好きなジュピターですら聴いていません。

あとは他人をプロデュースすることがつまらなくなった、もあるでしょう。

とてつもない責任を背負って他人をプロデュースすることにちょっと冷めてます。

演奏する奏者たちを見て、

「そりゃ、演奏するほうが楽しいよね。しかも金ももらえるし」

なんて思はなくもないです。

やっぱり音楽って、自分で演奏するのが一番楽しいんですよ。演奏する責任はあっても、客が集まらなくて首が飛ぶかもっていうこともありませんし。

なんて言っているようじゃ、プロデュース業は失格ですけどね。

それでいて演奏者のことはやっぱり好きで、みんなと一緒に仕事ができて、打ち上げでお酒飲んでっていうの、すごくいいですよ。

なんだろうな、疲れたのかもですね。集客することに。コンサートをすることはエキサイティングだけれど、あの集客作業をやるのかと考えると音楽が嫌になっちゃう。だって大変な苦労ですから。

そんな気持ちがどこかにあって、音楽から離れたのかもですね。

またクラシックって客層が決まっていて新規開拓がほぼ無理なのと、基本的に大衆受けはしないので、羽目を外すこともできず、なんと言うか、砂漠の中で水を求めて、稀に生えているサボテンを見つけてその根っこの水分を吸うみたいなところがあるんですよ。

そんなきつい思いをして自分が主体的に演奏するわけでもなく、自分の首をかけて他人のギャラを稼ぐために相当な苦労をしなければならない。そういうことに疲れたのかもしれません。

なので、やっぱりこんなことを言っているようじゃ、プロデュース業は失格です。自分で失格だと思っているからコンサートをまた主催する気もなく、音楽すら聴かないのでしょう。

あとは、もう十分にやったじゃん!っていうひとつの到達感でしょうか。

とは言いつつも。

音楽は聴かなくなったけど、コンサートをやると決めて必死に、死に物狂いになってやっていたときのほうが楽しかったなぁ、なんて調子のいいことを思います。

のど元通れば熱さ忘れるもあり、また苦労は時間が経つとノスタルジーの色合いを帯びてきて、大変であればあるほどいい思い出になるものです。

そうすると、何もやってない今の自分がつまらない人間に思えてきて、こんなんでいいのかなーなんてね。

いやいや、別にサボっているわけではないのだけれど、集客するあのヒリヒリ感っていいよな〜なんて調子のいいことを思ったりするわけです。

プロデュースのおもしろいところって、伝えたいことを必死に情報発信することなんですよ、わたしの場合。

こんなすごいオーケストラがあって、そのすごさを多くの人にリアルに聴いてもらいたい!っていう思い。それを伝えることがプロデュースのおもしろさ。

そして、膨大な責任を背負って前進しかしない重圧。こういうの、演奏者にはないですから。だって演奏者は家で楽譜をさらって、本番直前にリハで弾いて、本番で演奏したら終わりなので、持続性のある重圧じゃないんです。

プロデュースってウンザリするほど持続性のある重圧で、それはチケット販売開始の2ヶ月前くらいから始まります。

そういう意味ではコンサートが終わってからの達成感は演奏者よりも主催者のほうが大きいでしょうね。

これは役割分担なので、どちらがどうってわけではないですが。

ともかく。

あのすごい責任を負うことってないならないで寂しくなってしまい、その寂しさから抜け出したいがためにまたコンサートをやりたいな、なんて思わくはないです。

と、こんなことを言うと、期待されると困るんですけれどね。

今のところははっきりと「ない!」です。

強烈な使命というか、欲望というか、そういうものが魂の底から湧いてこないとできないですね。

でも、そういう使命ってどこから湧いてくるかわからないものなんです。

ちょっとした出会いがいきなりメガトン級の情熱になることもあるし、「これはいける!」と居ても立っても居られないほど興奮するものに出会えればやるかもしれない。

ただ、今はそれがないってことで。

こういうのは見つけようと探しても駄目なんです。無理に見つけたものは失敗しますから。

単に音楽的感動をプロデュースするだけじゃ、一過性でつまらないって気がしてます。同じようなことをやっても仕方がないなって。

もっと違うもの、新しいものを生み出さないと、ただのコンサートになっちゃう。

正直言って、国内で行われているコンサートの大半って、ただのコンサートなんですよね。

マンネリ化っていうか、定期演奏会があるからやらなきゃみたいなのとか、つまりそのコンサートは何のためにやって、そのコンサートによってどうしたいのかっていうヴィジョンがないものばかりでね。最悪なのは演奏者の自己満のコンサートですけど。

「俺たちの音楽を聴いてもらおうぜ!」

みたいのだけは勘弁してほしいです。

「いや、別に聴きたくないんで…」

って感じなので。

音楽を通して、どう自分を変えてくれるのか、どんな喜びを提供してくれるのか、どんな楔を胸の奥深くに突き刺してくれるのか、そういうものがないとねって思います。

ただ演奏するだけだったら、CDで十分なんですよね、今は。

だって、コンサートの開催数はアホみたいにあって、生演奏はそれほど珍しいものでないから、希少性の低いものだったらCDでいいじゃないですか。

なんてことをウツラウツラと考えつつ、刺激がないってつまんないなって思ってます。

命がけになれるものってやっぱいいんですよね。

まっ、その時期が来たらやりますよ、多分。

 

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