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お世話になりましたっていいよね。

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結月でございます。

この間の台風で80代の夫婦の家が浸水し、亭主が足腰が弱く、逃げ出せずに泥水にのまれながら奥さんに「世話になったな」と言って死んでいったという記事を見た。

災害であろうと病死であろうと老衰であろうと、死ぬ間際に相手に、

「お世話になりました」

と言える夫婦っていうのは、夫婦が成功した証だと思う。

まず離婚せずに死ぬまで夫婦であり続けられたことがすごいことだからね。そして、死に際に相手への感謝が言えるのは、それだけ苦難があったからで、修羅場もあれば、離婚危機もあったに違いなく、そういうものを結果的に乗り越えてこそ、最期に相手がいてくれたから自分がやっていけたという「お世話になりました」という言葉が言える。

これが険悪な関係のままで、克服するどころか修羅場真っ最中だったら死んでいく相手に、

「早く死ねよ」

と、つぶやくのは人間としては普通だから。

さて、手前味噌なことを言うと、もし今、わたしが死ぬとしたら、相手には、

「お世話になったね」

と、間違いなく言う。

今のところ17年ほど一緒にいるけど、現段階でもあいつには世話になったと心底から思う。

いろんな面で問題ありな女だとは思うとはいえ、あれくらいじゃないとわたしとは付き合えないに決まってるし、同時にあんな問題ありまくりな女と付き合えるのは世界の中でもわたしくらいしかいないと思う。

それもまあ、週一くらいしか会わないからいいわけで、毎日一緒に暮らしていたら1ヶ月ももたない。

あいつのことはクズだと思うことは多々あるけれど、そもそもわたし自身がかなりのクズだからね。毒には毒っていうように、お互いが毒物なんだと思う。

互いのクズのジャンルが異なることでうまく補い合いながらやっているのだろう。つまり、それぞれの長所と短所が凹凸になって合致しているという感じ。

わたしが抜けているところをあいつが長けていて、あいつが抜けているところにわたしが長けている。

ともかく、死ぬのはまだまだ先の話で、あと何十年もあるから先のことはわからない。どちらが先に死ぬかもわからないし、死の間際に一緒にいるかどうかもわからない。

愛娘が大学くらいに行ってくれれば、わたしはパリでひとりで住みたいと思ったり、奥日光でひとりで住みたいと思ったりしている。

創作をするにはひとりだけの空間じゃないとできないしね。

でもそれも今のところの想像だからどうなるかわからない。

もし、死の間際に目の前にいるなら、

「お世話になったね」

と言う。

あっちが先の場合も同様に、

「お世話になったね」

と声をかける。

何十年先も同じ気持ちかどうかはその時にわかるとして、今、17年を総括したら世話になったなと思う。

17年の間、わたしはいろんなことをやったけれど、その成果のほとんどはわたしだけのものでなく、あいつの協力があったからできたものばかりだからね。

やりたいことやれたのは、わたしの実力なんかじゃないよ。そのことだけははっきりしているから、やっぱり、

「お世話になったね」

なんだよなぁ。

そんなこと言っていても、先方はそんな金にもならない言葉なんか要らないって思ってるよ、きっと。

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