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30代で好奇心を維持できるか?

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結月です。

哲学者の東浩紀さんがYouTubeで酔っ払いライブを4時間以上もやっていて、これがなかなかおもしろかったのだが、最後のほうはアルコールがまわって悲観的になり、絶望色が濃厚に。

酒量を激減させたわたしは今更わかるが、お酒を飲むと鬱っぽくなるし、ネガティヴになる。お酒を減らせば見える世界が変わる。

さて、東さんが自分はもう52歳でもう終わっているなんてことを言っていて、確かに東さんは20歳の頃にデビューしているから、なるほどスタートが早いと50代でそういう境地になるのはよくわかる。まるでスポーツ寿命の短いプロ野球選手のように。

わたし自身を照らし合わせると、わたしはずっとデタラメでいい加減に生きてきたから、すべてのことが遅れている。スタートが遅いわけで、恥ずかしながらもここ数年でやっと大人になれたかな?と思う。

今よりも若い頃にもっとちゃんとしていれば、大きな実績を残せたんじゃないかと後悔するわけで、でも同時にスタートが遅かったから東さんほど絶望的な気分になることはなく、むしろその逆で今はジェネオケのことにも一生懸命だし、この年で6歳児の面倒は日々、看なければならないしで、若返った気もする。

実際、毎日エアロバイクで最低でも90分のエクササイズをし、食生活を改善させて体重を減らしたら体の状態がとても良くなって、体重計が示す肉体年齢は実年齢よりも10歳近くは若く表示されるようになった。

目の前にジェネオケがあるし、そのほかにもやりたいことはいくつかあるので、要するに目的達成できていないものだから満足もできず、絶望もしない。

とどのつまり、現段階ではまだ好奇心を保てているというわけである。

しかし、30代になると好奇心が衰えてくるのが一般的なようで、20代の頃までは自分にとって新しいことがたくさんで未経験に惹かれる。だから習い事を始めてみたり、憧れにチャレンジしてみたりするが、30代になると現実がちらほら見えてきて、40代になると現実だけになる。

30代で好奇心が減衰すると40代は悲惨、というか自分が生きている意味を失いそうなのは、日本人の大半は男女ともにサラリーマンであるからで、今は40代だと会社にも居場所がなくなってくるし、自分自身も意欲がなくなってきて惰性で生きるようになる。

育児を理由に仕事をしていないと子供が巣立つと絶望的になるようで、自分の存在を失ってしまうことも見受けられる。

いや、これは仕事をしつつ育児をしていても、その仕事に生きがいがなければちょっとメンタルは苦しい。

だからこそ、30代での好奇心減衰はまずいわけで、でも好奇心そのものがないという人が実はノーマルであり、何かに対して好奇心を持っている人は稀。さらに好奇心を持ち続けられる人はもっと稀。

日本の閉塞感はサラリーマン人口の多さにあるようにも思う。なぜなら勤め人だと生活が「会社」になってしまい、外側に目が向かなくなるから。

その最たる環境は宝塚であり、あれはブラックホールのように内側へ引き込む重力が強すぎる閉鎖的環境で、日本の会社は本質的に宝塚であろう。

好奇心を持つ時間もない日々であり、せめて土日くらいはと思うもたった二日しかない自由時間は昼寝して終わっていたりする。

さて、わたしは自由人としてずっと生きてきて、でもそれもいつしか数十年はそう生きてきて、するとわたし自身は好奇心を持ちつつ生きているのに、わたしより年下の人たちがアラフォーあたりになったりしていて、その好奇心の減衰みたいなものを感じることが多くなった。

一口に言って、鮮度が落ちたという感じで、なんだかわたしのほうが若いように思う。

それが同世代となると絶望の香り、無気力のやるせなさ、取り止めのないゆるさ、みたいなものが漂っていて、

「おいおい、まだまだ死ぬには早いぞ」

と、言いたくなる。

もちろんそんな人ばかりではなく、たとえば堀江貴文さんなんかは原子力さながらにエネルギーが発散されていて、通常人の1000人分以上は生きているように見える。

とはいえ、やはりそういう人は稀、である。

そういえば、2010年前後あたりは女の時代だった。女の人が元気だった。

ガチレズなわたしは当時、銀座にいて、その時代の流れにものすごく期待した。事実、楽しかったし、女の上向きなエネルギーと共に着物もやったし、女の発想が社会を動かしていたように思う。

しかしそれも長くは続かず、特にコロナで女の時代は終わった。だから今は女の人もそんなに元気には見えない。

2010年くらいから日本の女の人にあれだけ期待したのに結局何も残っていないのは、日本女性が社会を変える力がなかったのかな、とも思う。

日本は長らく男尊女卑でやってきたから、女の人自身もまだ萎縮するところがあって爆発的にはなれなかったのだろう。

コロナの影響もあるが、美的なものが瀕死になった、それは日本女性の元気のなさにつながっている。

要するに女の人の好奇心がものすごく減衰しているということで、2010年から数年間にあった女ならではの好奇心が見られなくなった。

そんなこともあり、しばらくぶりに会ったりするとその人に「衰退」を感じることが多く、口にはしないががっかりというか、寂寥というか、悲しさというか、そんなものが滲み出る。

こういうのは自然的な老化なのかはわからない。でも、あんなに好奇心旺盛で2010年あたりを過ごしていたのにたった10年で…とその変化に驚く。

と、そんな偉そうなことを言っていて、自分はどうなのだろう?

変化はしている。2010年の頃とは明らかに違う。

でも衰退はしていない、と確信は持てる。

いや、むしろ今のほうが大人になれて、昔より物事をきっちりとするようになって、かつ新しいことも始めていて今こそがわたしという人間の最新形だと思う。また6歳の女の子といつも一緒にいるから、若すぎるほどの若さの影響を受けているせいもある。

好奇心を持てよ。

そう言われても持てるものでない。なぜなら好奇心は持とうと思って持てるものでなく、湧き出るか湧き出ないかというものだから。湧き出ない土地をいくら掘り返しても井戸は出やしない。涸れた井戸をいくら掘ってももう水は出てこない。

しかし、それもどーでもいいことのように思う。そんなところに自分が関わっても仕方がない。期待するわけもなく、期待すること自体は上から目線だし、涸れたものは涸れたのである。

自分の中にだってすでに涸れたものはたくさんある。涸れたからこそ、水を追い求める。それが新たな好奇心というやつで、自分はそこを追求する。

年を取るのが悪いことでない。老けることがよくないことなのだ。

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