結月です。
世代が若くなればなるほどできることなら目立ちたくないというメンタルが強いらしい。しかしながら、それは日本人の特性でもあって、それがますます濃縮されてる時代ってことなのだろう。
会議では発言しないとか、自分の考えをしっかりと述べないなんていうのは日本人らしさであって今に始まったことでなく、そこが海外で日本人がやっていけない比率が高い原因とも言える。
たとえばアメリカ行って会議で何も発言しないのなら、
「あんた、なんでここいいんの?」
と言われるだろう。
ともかくそんな日本人らしさは日本独特の空気感とか、そういうムラ的な風潮があるからなのだが、それゆえに閉鎖的で息苦しい社会だと言える。
そんな閉鎖性から日本人はますます外国へ行かなくなって、若い世代もそこに金がないとか経済的な理由も相まって外国を知らずに過ごす。
日本から外に出るとその国の空気はまるで違っていて、
「ああ、自由だな」
と感じたりする。
もちろんそんな自由のない国もあろうが、日本にあるような「なんとなく」な息苦しさはないことにのびのびできたりする。
日本はあまり出過ぎたことを嫌うから、自分の個性をみなぎらせることが下品であったり、鬱陶しいものであったりする。
だから目立たないように黙ってしまうのだけれど、ちょっとそれも度が過ぎているようにも思え、
「そりゃ、国力も落ちてくるよね」
と、実感する。
他人の目線を気にしすぎ、そもそも判断基準が他人の目だったりするのだから、それもSNS的ではあろうが、どんな他人にも好かれるようなものはないわけで、それなのに他人に何を言われたかなんて気にしちゃメンタルがやられちゃうよ。
それ以前に自分を抑圧することは自分へのイジメであり、そんなことして楽しいのかなって思うけれど、そう思わないから自分を抑圧する。
マスクをする目的が自分の顔を隠したいなんて話もあるけれど、これはもはや精神病のレベルかもしれない。
学校など閉瀬的な典型例のような場所だと著しくそういう傾向があって、会社でもマスク率が高いようなところは風通しが悪いんだろうなとその社風や社員の質が見える。
ちなみにわたしは愛娘の学校でお迎えの際に他のママさんがマスク越しに挨拶してきても無視してる。悪いけど、わたしは自分の顔を隠すことを憚らない人とは関わらないことにしている。
人に対して挨拶するのに自分の顔を隠して気にならないなんて人を信用しないし、気持ち悪いから相手にしない。
顔というのは自分の「個」の最たるものであって、それを見せられないんだったらどうせおもしろいことができる人間でもなさそうだし、人に対して自分をしっかりと見せる心がないのだから無視。
他人がマスクしたから、自分もやらなきゃなんて思う人もどうせしょーもない人間に決まってるから相手にしない。
どうせマスクするならエガちゃんねるのブリーフ団みたいなものをするくらいならおもしろいけれど。
ところで何か新しいものを発明するとか、社会に対して新しい訴えをするとか、そういうエネルギーが社会を活性化させる。
その真逆でずっとこのままでいいとか、社会に対して黙るとかそうなると社会は活性化しないで落ち込んでいく。
新しさをPRすることは「個」の発揮であり、他ならぬ自分の輝きである。悪名は無名に勝るというのはたとえ悪名でも「個」があるほうがいいということである。
そうした「個」があってそれが「世界観」になっていく。
世界観がある人と話すとおもしろい。世界観がない人と話しても全然おもしろくない。
たとえ間違いでも、たとえデタラメでも、たとえ不道徳でも世界観がある人の話はおもしろい。
裏社会の話とか、陰謀論とか、宇宙人の話がおもしろいのは、それはそれで世界観が成り立っているからなのである。
そうすると今はエビデンスとか猫も杓子も口にするし、ちょっとした間違いもすぐに訂正しないとうるさい世の中だから、要するに世界観が築き上げにくい時代なのだろう。
ともかく、経緯はどうであれ、今は目立つことを憚る人が多いのチャンスはつかみやすい。なぜなら競争が少ないから。
どんな世界でも強烈な「個」には敵わない。そんな「個」がないと世界はおもしろくないのだから、結局は「個」は求められる。すなわち「個」に富が集まる。
要するに目立ちたくないから、自分の顔を見せるのが恥ずかしいからってマスクしているようなメンタルの人に将来はないわけである。
そういうメンタルが若い世代に多いとするなら、日本にいても将来は暗そう。そんな人が大人になってもおもしろいことはしないだろうし、搾取される側にしかならない。
日本全体がそうなるなら、日本の多くの産業が中国や東南アジアからの下請けになるだろう。「個」がない人間は搾取されるのである。
驚くべき「個」があれば、金を出してもほしいと思う。