結月です。
昨日は6歳の愛娘を連れて明治神宮に参り。明治神宮にはよく行ったものだが、栃木に来てから久しぶりに行けた。
神社は相性みたいなものがあって、ここ好きだなっていう神社もあれば、あまり好きになれないというかフィーリングに合わないところもある。
銀座にいた頃は氏神様が日枝神社だったから年に数度は行っていたが、そんなに愛着ある場所ではなかった。やはり明治神宮が心地いい。
あとは京都の平安神宮。中学から高校のときは必ず初詣に友達と出かけた。平安神宮は広々として気持ちがよく、そばには美術館があって、展覧会のたびに行っていた場所だから愛着がある。平安神宮なら天気のいい日に寝転がって1時間ほどいたっていいし、風水としてもいい場所なんだろう。
一方、伏見稲荷もよく行ったがそんなに好きではない。稲荷系だし、場所が窮屈なのである。
さて、そんな明治神宮に参拝した後、6歳児がいるので竹下通りに行った。竹下通りは多分、わたしは初めてのような気がする。もしかすると随分前に一度来たかもしれないが、記憶が定かでない。
日曜というだけあって、人混み状態であった。6歳児が喜ぶ店がたくさんあって、その中でビーズを自分で選べてその場でブレスレットを作るということをやった。
付き添いするわたしは退屈であったが、必死な表情でビーズを選ぶ姿を見るとこういうのもいいかと思ったし、そもそもわたしの仕事に付き合わせて東京まで来ているから彼女はずっと退屈な思いをしていたのだからお返しである。持ちつ持たれつである。
そんな竹下通りであるが、中国や韓国からの旅行客も多かったが、さらに日本人も含めて整形手術で顔がヤバい女がかなり多くてビビった。どう見ても顔面がおかしい。中には手術して間もなく、まぶたが腫れ上がっているもいるし、唇に注入しすぎてタラコ状態のもいる。
顔面が自然でなく、あまりにも不自然で目だけやたらと切れ長で異常に二重で気持ち悪いったらない。これは人間なのだろうか?と不思議に思ったが、要するに整形手術として出来が悪すぎるのである。
竹下通りに来る層やそこで働く女の子は所得が低そうで、だから安価な手術を施す病院でやっているのではないか?
高須院長がどこかで「整形は一気に全部やらないと駄目!」と言っていた。なぜなら顔はバランスなのだから、目が気になって目だけやると顔のバランスがおかしくなって余計に変になるからで、整形をするならバランスを考えて全部やらないと駄目だという。
それは考えるまでもなく当たり前のように思えるが、目にコンプレックスを抱いているととりあえず目だけ二重にしてしまったりする。二重手術だけならなんとか金がある。でも全体をやるほどの予算がないだとか。
そういう事情もあって、目だけ手術してバランスの崩れた変な顔になってしまう。
整形手術の是非がどうこうという問題でなく、顔全体をコーディネートできないのならやらないほうがいい。不自然になるだけだし、その不自然さがまた気になってさらに手術を繰り返すことによって顔面が崩壊する。
思えば、着物のコーディネートも同じで、着物だけいいものを買っても帯が安物だといけないし、いい帯でもその着物に合ってないとおかしな姿になる。さらに帯揚げや帯締めもそこに加わる。
着物も全体のコーディネートで考えなければならないが、それは顔も同じである。
高須院長はエイベックスの松浦会長との対談で、
「僕はブスが大好き。個性的だから」
と言っていたが、ブスをコンプレックスにしてどこにでもありそうな個性のない美形になるのはつまらない。
個性のない美形ならまだしも、金欠の整形で顔が変になってしまうのならナチュラルなブスのほうがいい。
顔なんて造形よりも雰囲気なのであり、それが人相に繋がるわけだが、ネガティヴで不平不満ばかりタラタラな人は美形だとしても嫌な顔をするものだし、他人と比較ばかりしていつも不幸を感じているような人もいい顔はしていない。
一方、それほど器量がよくなくても明るくて性格がいいと表情がいいし、笑いジワもいい感じで愛嬌がある。
であるからして、自分の顔のパーツよりも表情を良くすることのほうが大事で、それは考え方を変えるだけでよろしく、金がかからない。
さて、そんな東京ではようやくマスクも外れてきて、山手線でもマスク姿はちらほら程度。
しかし、栃木も戻るとマスク率が高くて気持ち悪い。それだけ栃木は閉鎖的だし情報の循環が悪い。そして他人目線で生きている人が多いこと、性格が暗いなど県民性みたいなものが可視化される。
田舎は近所からどう思われるかを気にするなど、そういうメンタルがあるのだろう。
だから性格が大事。
性格が暗いといいことなんて何一つない。
思えば金がなくても整形してしまうのも他人目線を気にしてコンプレックスになるからかもしれない。
変えるべきは顔のパーツでなく、性格。