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茶臼岳に登頂。そしてユーザー車検。

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結月でございます。

今日は愛車のユーザー車検のため陸運局へ。土日は結美堂山ガール部で那須の茶臼岳登山。

茶臼岳は初めての山。登山客が多いのは登れば理由がわかり、それは登りやすいということ。今回は茶臼岳の方へ行ったが、今度は三本槍岳の方へ向かってみたいと思った。

ところで茶臼岳は火山であるから大きな石や岩がゴロゴロとしていて、地球をリアルに感じた。地球という惑星にいることを実感できて、その岩模様を褐色にすれば火星だと言っても通じる。

つまり、水星、金星、地球、火星といった地球型惑星、すなわち岩石惑星である。茶臼岳はそんな岩石の地表だった。

山ガール部は去年、スケジュールが合わずに丸一年活動できなかったため、久しぶりの登山。それに奥日光から離れて初めての那須であり、泊まったホテルも初めて。

しかし、奥日光は霊的な雰囲気が色濃くて、不気味さもあったりするけれど、那須はそれがまったくない。奥日光は今市を越えるとZONEを感じるが、那須はだだっ広くてそういうのはない。間抜けたペンションや手作り工房が多いのもZONEでないから。

さて、そんな山登りは栃木の田舎生活で引きこもりのわたしにはハードなもので、体力が元々ない上にクルマばかりで運動といえばクルマのアクセルを踏むかブレーキを踏むくらいの動作しかない。それでいて走行距離は長いから、行動範囲の広さでは東京にいる頃よりもはるかに大きい。

ともかく、もし山登りをしていなかったら年に一度や二度も運動をしない悲惨ぶりで、きっと早死にしてる。山に登るモチベーションのおかげで少しは運動をするようになり、健康に貢献している。

山に登ると絶景が見られるのが魅力であれど、それよりも少しでも健やかであるためである魅力のほうが大きいかもしれない。元気そうに見える人でもいきなり体を壊したり、足腰が動かなくなったりするリスクは年齢とともに上がっていくから、いつしか山ガール部の目的は楽しさに加え、健康のためというダサい要因も大事になってきそう。でも、それはあったほうがよくて、体というのは本当に大事なのである。

比較的体力がある人はそのリアリティに気づきにくいかもしれないが、わたしみたいなヘボはそれをひしひしと感じるわけで、病弱ほど病院に行くから病気も早期発見できるようにヘボほど肉体を健康に保てる。

とまあ、健康のためにも山には登っておいたほうがよろしい。そして、ヘボであるからデンジャラスな挑戦ができないから安全でもある。

と、そんな茶臼岳に登って、

「疲れが取れない…」

というヘボっぷり。

ついでに言うと、お酒も昔ほどは飲めなくなって、酒量は衰退の一途。それでも人よりは飲んでいても、その後のダルさが以前より大きくなり、引退して10年経ったプロボクサーのような衰えぶりで、わずか2ラウンドで息があがる。

というわけで筋肉痛はないけれど、なんとなく疲れが抜けきれない情けなさの中、愛車の車検へ。

前回からディーラーには頼まず、点検や部品交換だけやってもらった後、車検は自分で行っている。

簡単な書類を書いて、税金を払い、そして自賠責保険に加入し、クルマでレーンに並んで検査を受ける。

検査は職員が導いてくれるので、言われる通りにやっておけば10分程度でおしまい。検査表を持って再び受付に行くと新しい車検証とシールをくれる。

こうしたユーザー車検はディーラーに手数料がかからないから税金や保険、そして検査料だけで済む。手続きも簡単であるから、自分でやってしまうと早いし、金がかからない。

ただし、事前の整備だけは大切で、車検項目は大したことなくてもついてでに整備をしてもらうことでクルマを長く乗れる。今の愛車は乗り続けるつもりであるから、整備はしっかりとすることにしている。これは人間ドックと同じで、病巣は早期に発見し治療する。そして病気を未然に防ぐ。そうするほうが大病の確率が減り、苦しまなくて済むし、医療費もかからない。

今年は知っている人が若くして三人も突然死してしまった。きっとちゃんと検査をしておけばそうはならなかったはずである。

さて、山も登り終え、車検も済ませると、12月の公演のためにやらなければならないことがどっさりとあることに直面する。しかも諸々が遅れている。いや、遅れるのは毎度のことだった。得てして予定通りにはいかない。まるで山登りのようである。

公演は下山がない山登りみたいなもので、頂上が公演日である。そこにたどり着いて見事な展望が見えるのは満席の客席であるし、それを願いつつたどり着けたはいいがガスが立ちこもって期待の風景はない場合だってある。しかし、どんな結果であれ、頂上まで登るプロセスが苦難であって、息も絶え絶え、絶望的な気分に襲われることもあれば、急に楽になることもある。でも、とにかく山頂を目指さなければならない。

そして公演という頂上にたどり着いたら、あとはロープウェイで降りるだけのような「公演後」である。感動の痺れが全身に残りつつ、ステージや楽屋の片付けをし、ホールに鍵を返して終わる。呆気ないほどの終わりである。だから公演には下山の苦しさがない。

なんでこんなことを毎回やっているのだろう?と意味を失いかける時が多々ある。それも山登りと同じで、登っている最中になんでこんなにキツいことをやっているのだろう?と思う。

「そこに山があるからだ」

というのが究極的な真理で、

「そこに音楽があるからだ」

とも言えるかもしれない。音楽がなければ、公演なんかやりやしない。やりたい音楽があるから公演を行い、やりたい音楽を多くのお客さんに聴いてほしいからやる。聴いてもらえないかもしれないのにやるのだから、自分はアホじゃないかと思ったりもする。

しかし、山登りと同じく、損得勘定でやるものでないからいいのだろう。損得感情で行うものには感動がない。たとえそれが金になったとしても自分の人生には潤いをもたらさない。金のためだけに生きている人間の空虚さを見るとそれは確かなことだろう。

と、毎度のことながら公演までのプロセスはほとんど楽しいことがないという幸福の酸欠であるけれど、それが苦しければ苦しいほど公演が成功した時の喜びは爆発的で、ドMである。

「そんな公演やけど、みんな見に来たってや〜」

と、ガーシー風に言ってみる。

NHK党から出馬するガーシーの選挙ポスター、あれはNHK党に連絡するともらえるらしい。あのガーシーのポスターはなんだか魔除になるような気がする。きっとあれを玄関に貼っておくとNHKからのしつこい集金人も撃退できるだけでなく、ちょっとした鬼瓦になるのではないかと思うのである。

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