結月でございます。
そう言えば、一昨日は愛娘のコロナワクチンを接種してきたのだけれど、注射した右腕がちょっと腫れて痛いという以外はまるで副反応なし。
わたしもこれといった副反応はなかったので、これも遺伝?
愛娘にはこの注射のことはおもしろおかしく楽しみなものとして話していたし、わたしだって早く接種券が来ないかとソワソワしていたからワクチンには超絶肯定的であった。副反応はメンタル面があるんじゃね説を唱えるわたしは意識の持ちようを大事にして生きている。
さて、そんなうちの5歳児は大きな地震が来ても熟睡状態で、スタニスワフ・レムの小説を読んでいたわたしは本を置くと身構えていた。大きな地震であったけれど、それでもここは震度4だったとのことで震度6となると猛烈なのだろう。
しかし、午後にハイボールに使った炭酸水の余りを飲んだらお腹の具合が悪くなってしまい、地震よりも、
「ああ…トイレ…」
という状況。
ウイスキーを入れたら大丈夫なのに炭酸水だけ飲むと調子が悪くなる不思議。
ちなみにわたしはペットボトルでも水はほとんど飲まない人間で、飲食店でも出された水はほぼ飲まない。水そのものはあまり好きでない。喉が乾いたらお茶である。
ところでお腹の具合が悪いながらも料理はしたのであるが、アタシの日輪刀「雅」とボブ・クレーマーの二刀流で切れ味を楽しむ。
そして、今回ではっきりとした結論は、お値段的には安いほうの、と言っても高級品であるが「雅」のほうが心地よく切れる。
いや、ボブ・クレーマーも恐怖するくらい切れるのであるが、「雅」よりもブレードが厚いため豪快さが出る。ゴツい肉を切るには適しているが、総合的に見ると「雅」のほうがいい。
さらにこれは結月仕上げで研ぎ上げていて、切れ味がまさしくシルクのごとくなのである。
我ながらこのシルク仕上げは快感で、
「たまらんわ…これ…」
と、静かな自画自賛。
しかし、本当に良く切れる。抵抗なく柔らかく切れる。
と、そんなわたしが今、ほしいものがあって、それはショップジャパンで宣伝している「クッキングプロ」である。
これは電気圧力釜であるが、100のレシピがあるらしく、食材を放り込んでスイッチを入れるだけでいい。
レシピ本がついているところが魅力で、基本レシピ100もあればそれを作っているうちにアレンジしていけば無数の料理が作ることができる。
正直、もう食べたいものがないわたしは小さな愛娘がいるから料理しているようなものだが、食べたいものがとりわけないとメニューに困る。だからクッキングプロがあれば100のレシピで迷うことがないと思っているのである。
というわけで、クッキングプロは買ってしまうかもしれない。
あとは本格的な中華包丁がほしいが、調べてみると築地の杉本刃物というところのものがすこぶるいいらしい。
お目当てのサイズだと5万くらいするから一級品である。
本場の中国の料理人でさえ、ここのものを買い求めるという品物で、これなら中国でわざわざ買わなくてもいいかもしれない。それに包丁だと空港で没収されたりしやしないかという危惧もある。
あとは杉本の出刃もほしい。やはり刃物好きとしては出刃を持っていないと格好がつかない。
と、「雅」とボブ・クレーマーの二刀流でさえかなりのものだから、ここに最上級の中華包丁と出刃があってもはっきり申し上げて、
「いつ使うの?」
と、まさしく趣味の世界である。
しかし、菜切包丁なんてあってもわざわざ使わないし、刺身包丁だって出番なんてないのだから、趣味とはいえ、あっていいものはやはり中華包丁と出刃に尽きる。
道具から生まれることがあるもので、出刃があれば魚を捌きたくなり、食卓のメニューも変わってくる。
食べたいものがなくとも趣味の包丁があればそれを使いたいがために作りたい料理が決まってくる。
というわけで、築地に行くことがあったら杉本刃物の本店に立ち寄ってみよう。やはり包丁は握ってみなければわからないから通販じゃ買えない。
さて、今日は保育園に愛娘を送り届けるとそのまま小山のタイヤ店へ。夏タイヤを事前に入金していたのでスタッドレスタイヤから換えに行ったのである。
タイヤはもちろんいつものミシュラン・プライマシー4で、このプレミアムコンフォートタイヤは実にナイスで、信頼性が高い。
愛してやまない清水和夫さんのダイナミックセイフティテストでもプライマシーは「王道」と表現されていて、なんてったってミシュランなのである。
とにかく快適で、音も静かで、走っていてこれまたシルク感。それでいてウエット性能が抜群で大雨でも安心して乗れる。
帰りに愛車を走らせながら、
「ああ…たまらん…」
と、雅の包丁と同じ心地よさに酔う。
やっぱり上質なものはすばらしい。上質さとは必ず心地よさがあるもので、それは余計な負担をかけさせない作りをしている。
きっと人間も同じで、上質な人というのは他人に対して余計な負担をかけない。だから心地よく付き合える。
そう考えると、自分という人間がどうやら上質ではないらしいことが今更ながらに判明してしまい、自分が上質でないから上質な包丁を持ってみたり、上質な車を持ってみたり、そこに上質なタイヤを装着したりして外から上質度を補う。
しかしこれでも昔に比べればちょっとはマシになったと思う。上質の領域には程遠いが、昔に比べれば随分マシな人間になったような気がする。
というより、あまりにも昔が酷すぎた。まるで荒砥だけで研いだ包丁のように。