結月です。
昨晩は20時に奥日光へ出発。天体観測ポイントとして名高い奥日光の戦場ヶ原へ行くためで、屈折式の天体望遠鏡を愛車に積み、そしてまもなく6歳の愛娘にスキー用の防寒着を着せ、わたしはヒートテックのタイツに山登り用の上着。
天気予報は晴れ。愛車を走らせる。
いろは坂はしっかりと除雪されているので路面はドライ。ノーマルタイヤでも問題ないほど。
しかし、1月2日はさすがにこの時間に奥日光へ行くような人はおらず、いろは坂はわたしのクルマだけなのである。
真っ暗闇のいろは坂は不気味であり、ZONEなのである。人間が立ち入るような場所ではなく、自然霊の場。時折、鹿が白いお尻を見せて木々の中に飛び跳ねる。
奥日光は男体山を霊山とした霊的な場であるせいか、霊気がヒシヒシとしていて毎度のことながら夜は怖くてハートが震える。しかし人霊のような悪質さはないからいい。
いろは坂の中腹を超えると粉雪がぱらつき始めた。そして中禅寺湖まで来るとそこそこ雪が降っている。
「これはお星様は見えないんじゃないか…」
と、窓からは一応、金星が輝いているのは見える。でも、この雪を降らす雲があるはずだ。
竜頭の滝を超えるといきなり本格的な雪になる。路面も一気に積雪。真っ暗の中ハイビームで走るが視界が悪い。そして吹雪になる。風に粉雪が煽られると、ホワイトアウトに近い。
ものすごい雪である。天体観測どころではない。助手席で愛娘は寝ている。目覚めた時には今日はお星様は無理だと告げなければならない。
吹雪のせいで通い慣れた道も把握できず、戦場ヶ原の三本松に入ろうとしたがいつの間にか通り過ぎている。かろうじてバスの停留所が見え、それは行きつけのホテルへと折れる道だった。
積雪は15センチくらいだろうか。真っ新の雪でタイヤの跡もない。不意に5歳児が目を覚まし、一面の雪、そして吹雪を見て、
「わっ!」
と、驚く。そして雪に喜ぶ。
「今日はお星様、無理だよ」
と言うと、
「見る」
と言う。
「でも、見れないものは無理だよ」
と言うと、
「見る」
と言う。
すると雪遊びをしたいと言い出し、でもこの真っ暗闇。自然霊の住処。人間なんか歩いてやしない。
仕方なしに吹雪の中、ミシュランのスタッドレスタイヤをミシミシ言わせながら純白の雪道を走る。
光徳へ向かうこの道、春は大変美しいのであるが、暗闇で吹雪は霊的に怖くて不気味なのである。
とりあえず駐車場までは来れたが、雪で道も出入口もわからない。
「雪遊びはできそうにないね…」
と、引き返す。
それでも途中でクルマから降り、少し外に出るとあまりの寒さにわがままな5歳児はすぐにクルマに逃げ込んだ。
気温は氷点下9℃である。
空を見上げると、お月様が薄らと光輪となって輝いている。たちまち顔面が雪だらけになる。
思えば、わたしが奥日光へ来ると雨が降るのである。それは天気予報を覆す超常現象で神がかっている。なるほど、真冬だから雨が凍って雪になっただけか。いつものことじゃないか。
何度も奥日光に来ているのに快晴の空で満天の星空を見たのは二度しかない。
11月、愛娘を連れて夜中にやってきた時、雲ひとつない空に降り落ちて来そうな程の星々が輝いていた。
そして数年前、台風がちょうど過ぎ去った直後、夜中にやってくると雲はひとつもなく、無数の星空が輝いていたのに不思議に雨がさらさらと落ちてくる神秘的な空だった。
ともかく帰るしかない。戦場ヶ原もまったく見えない暗闇の吹雪の中を下る。すると次第に雪は弱まっていく。中禅寺湖畔の二荒山神社にクルマをとめ、空を見上げると月はきれいに輝いていた。そしてオリオン座も見える。わずかクルマを数分走らせただけである。
「お星様を見る」
と、頑固な愛娘は天体観測を提案する。ここに望遠鏡を構えることはできなくはなさそう。ただ、ちらほらと雲が手の届きそうな距離で風に吹かれて素通りする。それに星は見えているがそんなにたくさんは見ていない。それ以前に寒い。寒すぎて気が萎える。
と、5歳時には説明していろは坂を下りる。あの吹雪が夢のように思えるほど雪はなく、路面も乾いていた。
防寒着を着込んでここまで何しに来たんだと無念さを抱えるわたしと5歳児。でも5歳児はしぶとくお星様が見たいという。
そこで考えたのが、家からクルマで15分くらいのところに県営の運動公園がある。あそこは辺りは何もなく、余計な光もない。運動公園になるほどだだっ広いのである。その駐車場なら天体観測にはいいのではないかと思い立つ。
奥日光から2時間。宇都宮を過ぎ、たどり着くと予想通りのベストな雰囲気。時刻は日が変わって0時20分。
ランタンを灯し、望遠鏡をセッティング。スマホのアプリを望遠鏡に同期させる。しかし寒い。奥日光より寒く感じる。なるほど、奥日光では外に出てもすぐに車に戻ったが、ここでは望遠鏡を準備しているのだから外に出っ放しなのである。クルマの温度計を見ると、氷点下4℃。寒いはずだ。
ダウンジャケットを2枚着込んでも寒い。手袋がないから手が悴む。それでもまずは月で望遠鏡を試す。月は明るく、大きく見えるのですぐに焦点を合わせられる。
そして次は火星である。見えた。すぐに捉えられた。この天体観測アプリはあまりにも優秀である。
火星は初めて肉眼で見た。倍率の低いレンズであるから、小さくしか見えないが確かに色は褐色で小さいながらも火星だとはっきりわかる。助手席で待つ愛娘を呼び、望遠鏡を覗かせる。素直な感動の声を出す。見えた、見えたと喜んでいる。
そして、レンズの倍率を上げてみる。どうも捉えられない。いや、もう少しやればできるのだろうが、寒過ぎてそこまでやろうと思えない。とりあえず今日は見えるものを見て引き上げる。
それでもプレアデス星団を見た。感動的。図鑑でしか見たことがないそれは星々がその通りに集結し輝いていた。
次はオリオン座大星雲。これは定倍率だと多分あれかなという具合。寒くてそれ以上追うのはやめる。
最後にもう一度、月を愛娘に見せる。寒い。後頭部が冷えて頭痛がする。5歳児を車に待機させ、撤収作業。
しかし、真冬の天体観測はもっと着込まないといけないらしい。やってみてわかったが観測はじっと動かずにやるものだから、体が暖まらない。カイロも手袋もマフラーも帽子もないとできない。
天体望遠鏡を片付けるもそれは冷え切って素手で持つと氷のようである。
とは言え、家の近くにこんな天体観測に向いているところがあるとは。奥日光ほどの驚異的な星空ではないが、観測するには十分なくらいの環境。
平日の夜でも気まぐれに来ることができる。
星は無数にあるから、それを追うだけでも満たされることはなく、長く楽しめそうだ。できれば反射式望遠鏡も手に入れ、もっとクリアに見てみたいとも思うし、撮影機材を揃えて、天の川銀河を捉えたい。そのためには赤道儀付きの望遠鏡も必要になる。
そして愛娘を同伴させる。小学高学年になるまでは付き合ってくれるだろう。思えば、東京からこちらに来てから愛娘はいろんなところに毎週連れ回している。今日は茨城の自然博物館に行った。
家の中でダラダラしていたってあまり得るものはない。外に出てたくさんのものを見せる。そして求めたいものを得るにはクルマを走らせ出向く。
こういうことを小さな頃から叩き込んでおけば、大人になっても自力で動けるようになるだろう。常に外側に好奇心を持って行動する。それができればいい仕事だってできる。
ところで愛娘は火星のことはまだよくわかっていない。土星はわかりやすい輪があるから覚えている。そもそも地球の上に自分がいることも難しい話で、それこそ神秘的なことなのである。さらに宇宙があって、とてつもない遠さに木星があり土星がある。
この世は神秘に満ちていて、愛娘はクルマの中で、
「宇宙はどうやってできたの?」
と訊いてきた。
「そりゃ、神様かな、作ったのは。多分ね」
と、答える。
宇宙は神が創ったに違いない。そうでしか説明ができない。宇宙の成り立ちはビッグバン理論でわかってきているし、ビッグバン直前にはインフレーションがあったとされる。
それらは調べればわかってくる。しかし、すべての物事は「意志」がないと生成はされない。おそらくその「意志」である何かが「神」に違いない。ユダヤ教はそれを創世記に記した。そして西洋哲学は「神」を認識することに懸命になった。
意志なくしてビッグバンは起こらない。
そうは思うが、人間より高次元なものは人間には見えやしない。だから神は認識不可能なのである。
でも、宇宙があるという事実。神の意志が働き、138億年前にビッグバンで宇宙が現れ、その最先端にわたしたちは地球で生きている。実はこれはすごいことなのだ。
望遠鏡を買えば5歳児と宇宙の話だってできる。
また明日もお星様を見に行こうじゃないか。