結月でございます。
うちの猫が二匹、布団の上で仲良くくっ付いて寝ていた。わたしはそれを見て、すかさずその間に顔面ダイブ! そして、息を吸いまくる猫吸い!
「ああ、幸せ〜」
と、幸福とは猫にある。
二匹の猫のお腹に顔を埋める心地よさ。
そんな顔面ダイブができるのはタイミングがあるけれど、猫がお腹の上や膝の上で寝てくれるのはいつものことなので幸せは珍しいものじゃない。
しかし、猫を買い始めてから早10年近くになろうとしているが、猫を生活するようになって自分の顔が猫の顔っぽくなっている。
飼い主に似るとも言うが、どうもわたしのほうが猫顔になっているのではないか。
ところで猫は麻薬的な力があって、猫がいればそれだけでいいという考え方になる。
わたしはもともと人間嫌いだから、あまり人間と付き合うのが好きでもない。それなのに付き合わなければならないのが社会であって、まあ仕方がない。でももし人と会わずに生きていけるのなら、毎日猫とだけ過ごす。人と会わなくてもいい財力があれば、人との縁をすべて切り、猫と過ごしたいと思う。
人間というのは面倒なもので、何を言ってもわからない人にはどうやってもわかってもらえないもので、それは物事を理解する能力差というものだろうか?
それは身近にもあるし、大きな社会にある。
運転がヤバすぎる高齢者に家族が必死に免許の返納を説得するも、
「俺は大丈夫だ!」
と、頑なに返納を拒む老人を説得するのは無理ゲー。
コロナワクチンは大きな副反応はないと説明しても、副反応に怯えてワクチンを接種しようとしない人に副反応よりもコロナ感染のほうが医学的にもリスクが高いことをわからせるのは簡単なようで無理ゲー。
科学的に安全とされる処理水を汚染水と呼んで海洋放出にヒステリックに抗議する人に「科学的に安全」と説明してわかってもらうのも無理ゲー。
学校でちゃんと基礎的なことを勉強してこなかった人に物事を理屈で説明してわかってもらうことは無理ゲー。
30歳までに結婚しなくてはいけないと勝手にリミットを設けている女にその結婚は国にとって困ると説得をしてもわかってもらうことは無理ゲー。
他人の気持ちを考えない身勝手さが周りの人間を怒らせているのにその身勝手さを身勝手な奴に理解してもらうのは無理ゲー。
とまあ、人間には無理ゲーが多い。
ところが猫はそんな面倒がない。
猫はお腹の上で寝ていて、膝の上でくつろぎ、股間の間で寝ている。
喉を鳴らしながら、寝ぼけた顔をこちらに向けている。
哀しいことは、猫の寿命が人間よりも短すぎることだ。