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ママさんたちの不思議

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結月でございます。

先日は保育園の始業式でそれに伴い保護者の懇親会。後は役員決め。

こういうのは苦手というか、わたしはとりわけ懇親したい気持ちもないので行くのが面倒だったけれど、そうは言っていられない。

と、ママさんたちに紛れながら自己紹介したりする。

しかし、不思議なことにわたしが知らないママさんたちがわたしのことを知っている。毎日、送迎ですれ違っているとはいえ、とにかくわたしは先方の子供が誰なのか知らない。なのにどうして他のママさんはわたしを識別できるのだろう?

そんな不思議を考えてみたら、推論として、

「人間は見たいものしか見ない」

という原則に思い当たった。

人間とはそんなものなのである。見たものだけが世界なのである。

すなわち、わたしは他の子供なんかそれほど興味がないからすれ違ってもその親の顔まで見ていない。そしてその逆で、子供の親がどんなのかを見たいと思っている人はよく見ているから親の顔を知っている。

まあ、ママ友なんて言葉があるくらいだから、関係をよくしておこうと思うのかもしれない。

とまあ、懇親会で隣同士になったママさんの名札を見て、

「ああ、あの子のママさんってこの人なんだ」

と今更ながらに思うわたし。

愛娘から誰それ君という話は聞くから、それでわかる。でもあまり関心がないから数人しか知らない。つまり、子供の名前と顔もあまり一致していない。

そして、もうすでに懇親会でグループになったママさんの顔と名前を忘れてしまっている。多分、すれ違ってもわからない。

とにかく、興味がないものは覚えられないのである。

懇親会では先生が親同士で話しやすくするためにテーマを出してくれた。

「最近、うれしかったこと」

このお題を聞いて、

「あ〜 つまんねえ。ガキじゃあるまいし…」

と、付き合ってらんねえ感が瞬時に出てしまったわたしだけれど、ママさんたちは必死に考えている。なんて素直な人たちなのだろう。

わたしの番になって、

「うれしいことなんて別にないかな」

と、わたし。

「う〜ん、うれしいかどうかなんてことを考えて生きてないから、特にないかな。かと言って、自分が不幸だと思って生きてるわけじゃないんだけど」

と、さらにわたし。

他のママさんは子供が何かしてくれた時などと話している。なるほど、そういうことか。

まあね、うれしいことね。愛娘といてうれしいってことはやっぱり感じない。うれしいことは考えてないからね。でも愛娘と一緒にいて楽しいことはたくさんあるよ。

質問が「最近、楽しかったこと」だったらよかったのに。わたしは楽しいか楽しくないかの基準て生きている。楽しくないことはやりたくない。

ところで自己紹介がてら、今ハマっているゲームの話に盛り上がるママさんたちがいて、それを見て、

「あっ、これはもう自分と会話にならないわ…」

と、小さな絶望をした。

ゲームなんか興味ないし、得られるものがないのにガチャ課金して金を注ぎ込んだり、自分がゲーム会社のカモになってることも気づかず、愚かな消費者になっているのにゲームにハマってると公言してしまうなんて恥ずかしくね?

なんて思うところで、生きてる世界が違うんだと思った。

かと言って、

「最近読んだジャン・ボードリヤールの記号論にはちょっと衝撃を受けました」

なんて言えるわけもない。

しかし、小さな子供がいる家庭内で親がゲームしてるってどんなのだろう? ちょっと想像ができない。

ちなみにうちの愛娘はテレビがつけられると、

「うるさいから消して」

と言う。

ああ、なんてわたしにそっくり。テレビは苛つくノイズでしかない。

やっぱり子供は環境次第なのである。

でも、わたしはゲームをする親が悪いとも思わない。親としては駄目な側面かもしれないが、人間的には明るくて良さそうな人ばかりだったから、誰かみたいにひねくれているよりずっといい。

ただ、ゲームという消費は将来的にあまり役立たない気がする。そこに時間と金を費やすことにあまり有意義なものを感じない。

と、ちょっぴり愛娘の小学校受験を考えてしまった。

さて、役員決めがあり、こういう面倒なものはやらない主義のわたし。やらないというより、性格的に合わなさすぎて駄目。学校に貢献する気がないし、だから無関心すぎて役立たず。

それに容量が悪いとか、自分から見て無駄なことが嫌いだから、そんなことがあると思わず、

「それ、無駄じゃない?」

とか言ってしまう。つまり、面倒な奴なのである、わたしは。

さらにチームプレイが苦手だから孤立する。その上、サボるのがうまい。すなわち何もやらない。

というわけで、ギャラも出ない役員になんかなるわけがない。そもそも変則的な仕事だからそこに付き合うこともできない。

と、頼まれてもやらないと決め込んでいたのに、驚くことに役員希望の挙手をした人が定員よりも多かった。自ら手を挙げるなんて、その理由がまったくわからないのだけれど、その意識高い系にビビってしまった。

その他の手伝い、例えば運動会の準備などにも挙手が連なり、いとも簡単に決まっていく。

そんな意識高い系のママさんたちのおかげで、意識低い系のわたしはほぼ存在しない立ち位置でスルー。

ほんとに世の中わからないものである。どうしてそんな面倒なことを自らやりたがるのだろう?

思えば、東京オリンピックだってボランティアがたくさんいる。彼らは交通費なども自腹で志願するというじゃないか。

わたしはギャラも出ないボランティアに生きがいを感じるメンタリティーはないけれど、ボランティアをやりたがる人は多い。

それって日本人的なのだろうか? だから神風特攻隊が成立したのだろうか? 

まあ、愛娘が世話になってる保育園だし、大掃除くらいは頼まれたら「しょーがねーな」って思うけれど。

しかし、いろんな価値基準で生きてる人がいるってことだよね、わたしもその一例として。

ところで頼まれごとをされやすい人っている。やはりそれは人が良さそうだったり、キャラが薄かったり、ポリシーがなかったりしそうに見える人なのかもしれない。

頼まれたくないのに頼まれてしまう人。例えば、いつも飲み会の幹事にされちゃうとか。それでいて断る勇気がないみたいな。

そういう場合は、わたしみたいに駄目人間ぶりをひと目見てわかるくらいの雰囲気を出しとくことかな。

なんかこの人、やらせても駄目そうだし、無理にやらせたら粗相ばかりで余計に大変になるって思ってもらうこと。

わたしは飲み会の幹事なんかしたことないけど、それは飲む気満々だから幹事に指名されない。酒を店に注文する側でなく、酒持ってこい!とオーダーする側だから。それに酔っ払ったら会計なんて計算できないからわたしみたいな人間を幹事にさせるわけにはいかない。

そうやって社会は駄目人間を面倒な役職から排除してくれるシステムがあるから、やりたくないのに頼まれる人は駄目人間になることをお勧めしたい。

しかし、趣味がゲームって駄目人間だと思うんだけど、そんな人が役員に積極的に立候補するのだから人間というのは多面的なもので、わたしはゲームはやらないけど意識高い系に関しては意識の低い駄目人間。

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