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金も記号になる。

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結月でございます。

昨日は池袋で中国系の物産屋に行き、冷凍の水餃子を2キロ、そしてアルコール度数56%の「二鍋頭」を購入。この店は昔からある。路面店だけれど、半分屋台という感じ。

レジで金を払おうとすると、

「ペイペイだけね」

と言われる。

そしてスマホを取り出し、ペイペイ決済。

さすが中国、QR決済先進国だけあって、現金なんて受け付けねーよスタイル。

日本でもペイペイなどQR決済は随分普及した。なので財布の役割は免許証や健康保険証を入れるくらいになっていて、それもこの先、マイナンバーカードに統一され、さらにマイナンバーカードもスマホで見せるようになるだろう。

さて、ジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』を読んでいて、これもすでに1970年に書かれたものだから内容は「今更」感があるとはいえ、確かにポストモダンが認識された時期。

今は21世紀も20年、つまりその5分の1を終えたのだから、ボードリヤールよりもずっと新しい時代なのである。

しかしながら、消費に関してはそれほど内容は古くなっておらず、当時のような驚きはなくとも「なるほどね〜」くらいはある。

消費社会を批判的に捉えているボードリヤールであるから読むと、

「消費があるからおもしろいんじゃんかよ!」

と言いたくなるが、哲学者の文章だから本質的なところを捉えているからそんなに気にならない。

ボードリヤールのいう「記号」というのは大変よくわかる。まったくその通りだと思う。この世はあらゆるものが記号化している。

それはお金もそう。

お金は現金であるのが基本で、その金額が銀行振り込みで行き来したり、クレジットカードであったりする。

現金でないお金のやり取りではクレジットカード時代が長かった。

とはいえ、昔からクレジットカードは使わないなんていう現ナマ派もいて、それはQR決済をしようとしないことと構造は同じ。

クレジットカードとQR決済の違いはクレジットカードが限度額内での後払いであることに対し、QR決済は事前に銀行口座、もしくはクレジットカードからチャージして使うところ。

なのでクレジットカードはクレジットカード破産があってもQR決済はそもそもチャージできる金が銀行口座にないとできないわけだから、現金に近い。

それでいてスマホを通すため、現金のように盗まれる心配がいない。たとえスマホを紛失したり盗まれたりしてもスマホには暗証コードでロックがかかっている。

ともかく、現金でないやり取りのメリットは釣り銭を受け渡しする手間がないことで、小売店にとってもバイトの仕事が楽になるし、レジ金を定期的にチェックするような面倒な仕事もいらなくなる。

そしてクレジットカードよりも楽なのはQR決済は利用明細が紙でもらう必要がないことで、その場でスマホで利用履歴が確認できる。

さて、中国人がやる半分屋台みたいな物産屋でも導入できるほどQR決済は楽なわけだけれど、それなのに日本はしっかりとしたスーパーもまだ使えないところがあったりする。

それは自前のポイントカードを使わせたいなどの思惑があるとはいえ、そういうところが日本はダサいというか、統治が下手なのだと思う。

あとは小さな個人商店なども現金ばかりで、小さいからQR決済は導入しないなんていう「勘違い」が多々ある。

しかし、時代は脱現金化は間違いなく、QR決済をするたびにお金というものも「記号」になってきたなと実感する。

いや、実はお金はもともと記号的なものだった。物々交換から貨幣経済に移行した段階でそれは記号的なものとなる。

とはいえ、今度は貨幣という物質を介するために記号として捉えにくいところがあり、記号であるのに「札束」という力が発生する。

ここにきてQR決済の登場でリアルな物質的貨幣がなくなり、金額という数字が純粋に記号化された。

同時にポイントカードの登場と普及も買い物を記号化させる。

実は金というのは物質じゃないんだ、エネルギーなんだと気づいている人はいた。だから物質としての金を目的にしたり、それに振り回せれて生きるのは愚かだということは知っている人は知っていた。

それもいよいよQR決済で金が記号であることが体感しやすくなり、それによって金のために生きる行為がこれからは減ってくるだろう。金よりも生きがいが言われ出したのも平成で、令和ではそれがもっとはっきりとする。

金というのは生きがいをやり取りする記号になる。

消費の側の感覚が変わることで、物質を販売する側も金銭を得るためだけではうまくいかなくなり、あくまで金銭でないものを提供するスタンスで結果的に記号的な金を取得するようになる。

金銭が紙幣や硬貨という物質から解放されたことで、消費と提供のあり方もその価値は非物質的になってくるだろう。

そして金庫という箱が博物館入りするものとなる。

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